八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

お手伝い助かります

2009年11月25日 14時43分32秒 | 日々是神明奉仕

ここ最近、頑張って(主にⅠ権禰宜が)毎日、更新していたのですが、昨日はOCNのシステムメンテナンスのため、更新ができませんでした。

   

おいおい頼むよOCN

   

ともあれ本日は朝から良いお天気。

    

あまり寒くもなく過ごしやすい一日でした。

   

そんな中、来る12/6に当社の儀式殿を使用される“国際ワークキャンプ”の皆さんが使用させてもらう御礼にとお掃除のお手伝いに来てくださいました。

    

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この時期は落ち葉があとからあとから降ってきて、清掃するのもきりがありません。

   

ですので、この時期お掃除を手伝ってもらうとほんとに助かります。

   

さてこの“国際ワークキャンプ”どんな団体でどんなことをするのか、それは当日また更新するかと思いますので、その時までお楽しみに。 

   

では本日はこのへんで。 禰宜


勤労感謝の日

2009年11月23日 14時25分37秒 | 国民の祝日

ですね。I権禰宜です。

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本日、勤労感謝の日の主旨は「勤労を貴び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」というものです。皆さん、感謝しましょう。感謝されましょう。

さて、この勤労感謝の日ですが、本来は宮中において陛下が新穀を神様に捧げて、またそれをお召し上がりになる、「新嘗祭」というお祭の日でありました。

新嘗祭は遠く飛鳥時代、皇極天皇(斉明天皇 594~661)の御世に収穫物に感謝する大祭として始められ、江戸期以前までは旧暦11月の第2卯日に行われておりました。やがて明治の初めに現在の23日に固定され、現在まで続いております。

・・・・・ちなみになぜ23日かというと、固定されたときの卯日が単に11月23日だったからで、特に深い意味は無い・・・との事です。

戦前・戦中まではそれこそ「新嘗祭日」という名前の国民の祝日であったのですが、戦後諸々の事情により勤労感謝の日と言う名称に変更になりました。

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現在でも宮中では陛下がこの日に新穀を天神地祇に捧げ、また召し上がる祭儀が執り行われ、また各地の神社においても、神様に本年収穫した新米を捧げる祭典を行っています。

普段は仕事で忙しいであろう皆様も・・・この日には1年の収穫を神様に感謝しつつ、お互いの勤労を讃えあおうではありませんか!

I権禰宜


ぱらぱら☆てくてく

2009年11月22日 14時11分01秒 | 巫女の社務日誌

こんにちは。

久しぶりの御奉仕の巫女Kです(^o^)丿

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今日御奉仕の巫女KとMNです。頑張ってお掃除してます(かなりやらせ・・・)。

今日はあまり天気が良くなく、雨がパラパラ降っていたけれど、可愛い子どもたちがたくさん一生懸命傘を差してテクテク歩いてきました。

みんな可愛くてお父さんとお母さんもわが子にアイドルのように写真をいっぱい撮っていて、見ていてとても楽しかったです(*^_^*)

子どもたちは緊張の中式を受けていたと思うけれどあたしも久しぶりの巫女でかなり緊張しました。でも子ども達に癒され頑張りました。

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明日も笑顔いっぱいの子どもたちがたくさん来てくれればいいな、と思う明日お休みの巫女Kでした★


宗祇と木屋瀬宿

2009年11月21日 14時21分04秒 | 神職所感

毎日、七五三で賑わっています。こんにちはI権禰宜です。

さて昨日は、木屋瀬にある北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館において、北九州市立自然史・歴史博物館の有川宜博先生の中世の木屋瀬~連歌師宗祇・木屋瀬目代伊藤氏のことなど~と題した勉強会に、宮司・筆頭権禰宜と私の三名で行って参りました。

ぎっくり禰宜さんはお留守番です・・・。

普段木屋瀬に行く機会が少ないので、余り木屋瀬の街並みをゆっくり見たことがなかったのですが、成程・・・宿場町の街並みが色濃く残っている気がします。

会場の木屋瀬宿記念館に早めに着いたため、記念館の展示を拝観しましたが、とても解りやすい展示でした。黒崎にもこのような記念館があったら良いなぁ・・と思ったり。

一通り拝観すると、ちょうど時間になりました。

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いざ会場へ。

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会場は参加者で満員状態でした。学生時代中世史を専攻していた私も思わず学生の頃に戻った気がして興味深く拝聴しました。

さて・・・メインテーマとなった宗祇(1421~1502)ですが、史上著名な連歌師で、所謂連歌を大成した人物として知られています。この宗祇は、周防・長門・豊前・筑前の守護大名である大内政弘(1446~1495)と連歌を通じた交流があったため、大内氏の勢力範囲である北部九州にもその足跡を残しています。

文明12年の9月に山口を出発して大宰府・博多を経て、再び山口へ帰着するまでの36日間は紀行文「筑紫日記」に詳しく、木屋瀬は「木屋の関」で記載されています。木屋瀬での話では扇天満宮の社名の由来となった話なども記され興味深いです。

残念ながら時間の都合上、途中退席を余儀なくされましたが、非常に有意義な時間でした。

普段なにげなく住んでいる、または通っている町にも色々な隠れた歴史があるのだと再認識をする良い機会になりました。こういった歴史も後世に伝えていかなけば・・と思った次第です。

I権禰宜


ぎっくり!

2009年11月20日 12時00分27秒 | 日々是神明奉仕

皆様、こんにちは、禰宜です。

    

齢満38歳、私本日、人生初の“ぎっくり腰”になってしまいました

    

朝、境内の清掃をしている時に、落ちている小さな枝を拾おうと腰を屈めた瞬間に、

   

“ぐきっ!”っといってしまいました。

    

その痛さったら、しばらく立つこともできませんでした。

   

で、やっと立って歩けるようになってから、お宮のすぐ下の整形外科にいったのですが、骨や関節には異常なく、純粋なぎっくり腰とのことで、安静にしていれば治るとのことでした。

    

しかし、まだそんな年齢ではないと思っていただけに、かなりショックです

   

神職たるもの毎日神様に対し拝礼をしないといけないので、けっこう腰に負担が掛かります。

   

これからはこんなことがないように日々腹筋背筋を鍛えようと思います。

    

皆様も運動不足にはくれぐれもお気をつけください。

    

ちなみに北九州市で健脚(=足腰?)の神様といったら足立山妙見宮さん。

    

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近頃、改修工事をされて社殿も新しくなったようですし(上の画像は改修前に撮影したものです)、足立山の紅葉もそろそろ見頃かなと思いますので、今度の休みに、二度とぎっくり腰にならないようにお参りしてこようかしら。

   

妙見宮さんの由緒や健脚についての由来などはHP

http://www.myouken.or.jp/ 

   

を御参照ください。

   

ではまた。