毎日、七五三で賑わっています。こんにちはI権禰宜です。
さて昨日は、木屋瀬にある北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館において、北九州市立自然史・歴史博物館の有川宜博先生の中世の木屋瀬~連歌師宗祇・木屋瀬目代伊藤氏のことなど~と題した勉強会に、宮司・筆頭権禰宜と私の三名で行って参りました。
ぎっくり禰宜さんはお留守番です・・・。
普段木屋瀬に行く機会が少ないので、余り木屋瀬の街並みをゆっくり見たことがなかったのですが、成程・・・宿場町の街並みが色濃く残っている気がします。
会場の木屋瀬宿記念館に早めに着いたため、記念館の展示を拝観しましたが、とても解りやすい展示でした。黒崎にもこのような記念館があったら良いなぁ・・と思ったり。
一通り拝観すると、ちょうど時間になりました。
いざ会場へ。
会場は参加者で満員状態でした。学生時代中世史を専攻していた私も思わず学生の頃に戻った気がして興味深く拝聴しました。
さて・・・メインテーマとなった宗祇(1421~1502)ですが、史上著名な連歌師で、所謂連歌を大成した人物として知られています。この宗祇は、周防・長門・豊前・筑前の守護大名である大内政弘(1446~1495)と連歌を通じた交流があったため、大内氏の勢力範囲である北部九州にもその足跡を残しています。
文明12年の9月に山口を出発して大宰府・博多を経て、再び山口へ帰着するまでの36日間は紀行文「筑紫日記」に詳しく、木屋瀬は「木屋の関」で記載されています。木屋瀬での話では扇天満宮の社名の由来となった話なども記され興味深いです。
残念ながら時間の都合上、途中退席を余儀なくされましたが、非常に有意義な時間でした。
普段なにげなく住んでいる、または通っている町にも色々な隠れた歴史があるのだと再認識をする良い機会になりました。こういった歴史も後世に伝えていかなけば・・と思った次第です。
I権禰宜