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八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

御成敗式目

2011年04月30日 07時16分50秒 | 神社豆知識

今日で4月も最終日。

・・・気付いたらもう5月に入るんですね・・・。

なんだか1ヶ月があっという間です。

こんにちわI権禰宜です。

さて昨日、定期的に購読している書籍の最新刊が入荷したような・・・気がしたので、社務を終えてから街の書店へ向かいました。

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・・・あ、あった。

『現代語訳 吾妻鏡10 御成敗式目』

五味文彦・本郷和人・西田友広 編(吉川弘文館)

う~ん・・・吾妻鏡

宇治山田での学生時代、某教授の講義を泣きながら受けていたのを思い出しますねぇ・・・

この現代語訳・吾妻鏡の最新刊である第10巻は、御成敗式目成立時期を扱っています。

御成敗式目は、詳しくは知らなくても、名前だけなら誰もが一度は必ず聞いたことがあるはずです。

とりあえず簡単に言ってしまえば・・・

鎌倉幕府の法律です。

御成敗式目が制定されるまで、鎌倉幕府には明文化された法律はなく、それまでの先例や習慣、道理によって訴訟が行われていました。

時の執権・北条泰時(1183~1242)はこの状況を憂い、武家社会における成文法制定を志します。

そして貞永元年8月10日に制定されたのが、51ヶ条から成る御成敗式目です。貞永年間に制定されたため貞永式目などと呼んだりもします。

さてこの御成敗式目、51ヶ条から成る武家社会の法律・・・と申しましたが、その第1条には何が規定されているでしょう?

武士の法律ですからね、主君への忠誠でしょうか?武芸の鍛錬でしょうか?こだまですか?いいえ、誰でも

・・・答えは、

一、可修理神社専祭祀事 

(神社を修理し祭祀を専らにすべき事)

そう・・・神社について規定されているんです。

以下このように続きます。※読み下し

右、神は人の敬ひによって威を増し、人は神の徳によって運を添ふ。

然れば即ち恒例の祭祀陵夷を致さず、如在の礼奠怠慢せしむるなかれ。

これによって関東御分の国々ならびに庄園においては、地頭・神主ら各その趣を存じ、精誠を致すべきなり。

兼ねてまた有封の杜に至っては、代々の符に任せて、小破の時は且修理を加へ、

もし大破に及ばば子細を言上し、その左右に随ひてその沙汰有るべし。

・・・つまり、

一、神社は破損すれば修理し、日々ひたすらに祭祀を執り行いなさい。

神様は人が敬う事によって神威が増すのです。また人は神様の御神徳によって運命を開くことが出来るのです。

ですから昔から続く祭典を疎かにしたり、神様へのお供え物を怠ったりしてはいけません。

幕府の支配化にある地域では、役人・神職はこの事をよく理解して日々の勤めを果たしてください。

併せて神社の修理についてですが、領地を所有する神社は小さな破損の場合は自分たちで修理し、大きな破損がある場合は詳細を幕府に報告してください。担当の者が適切に処置します。(以上I権禰宜意訳)

・・・こんな感じの内容です。

今からおよそ800年前の・・・しかも侍たちが考えた法律ですが、至極真っ当な事を言っていますね。

特に神社修理の部分の「小規模破損は自費でやってね。でも大規模破損だったら行政の担当者に言ってね」は中々に生々しい・・・まぁ法律だから仕方ないんですけども

それにしても、武士たちが初めて作った法の第1条が、神社について・・・というのは興味深いですね。と同時に、当時からいかに神社が大切にされてきたかがわかります。

・・・神は人の敬ひによって威を増し、人は神の徳によって運を添ふ・・・・

この事努々忘れるべからず。

I権禰宜


堀川の鎮守神

2011年04月21日 13時27分46秒 | 神社豆知識

気付いたらもう4月も後半。

段々と『緑の季節』が近づいてきますね。

こんにちわ。I権禰宜です。

本日は午後から宮司以下、O権禰宜・K出仕の3名が諏訪町の枝光八幡宮へ助勤に行っており、またT権禰宜も出社日ではないため、私一人ぼっちです(笑)

さて先日当社が兼務します水巻町の河守神社へ視察に行って参りました。

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旧郷社・河守神社

河守神社はその名の如く堀川(河)の守護神として堀川近隣の住民より篤い崇敬を受けてきた神社です。

堀川は楠橋より洞海湾まで至る全長12キロの人工の川で、江戸時代の前期に開削工事が始められ、完成までにおよそ150年の月日をかけた旧福岡藩の一大事業でした。

完成後の堀川は治水・水運業に重要な役割を果たし、また堀川を利用する村々の守護神としてこの河守神社が創建されました。

そんな川の神・河守神社では秋季大祭に御神幸が行われ、御旅所までの片道数百メートルを渡御しておりますが、かつては堀川神の名の通り、堀川沿いの広い地域を御神幸しておりました

今回視察したのは、かつて御旅所祭を行っていた場所です。

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一つは折尾。

折尾駅の6・7番ホーム(ポツンと離れているほう)のすぐそばにあります。

もう一つは楠橋。

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こんなに遠くまで御神幸をしていたんですね。

堀川によって生活が向上した人々の思いが窺い知れます。

楠橋~折尾の巡幸経路・『堀川鎮守の道』を、初夏のお散歩コースにいかがでしょうか?

I権禰宜


最年長

2011年03月22日 08時43分42秒 | 神社豆知識

三月も後半のはずなのですが・・・肌寒い日々が続きますね。

こんにちわI権禰宜です。

さて先日、岡田宮の狛犬達のお話を致しましたが、実は紹介し忘れ・・・と申しますか、果たして『標準的な狛犬』に分類してもいいのかどうか・・・と考えているモノがありました。

折角のこの機会ですのでご紹介させていただきましょう。

それがこちらです。

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ほぅら。

とても年代を感じるでしょう?

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吽。

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阿。

彼らは正徳5年(1715)に松尾芭蕉の高弟・志太野坡(1662~1740)と交流のあった黒崎の俳人・久芳水颯が奉納した物。

つまり約300歳

恐らく当社の狛犬では最年長でしょう。

形状から柱などに組み込まれていた装飾的な狛犬と思われます。

普段は殿中の保管庫に保存されていますが、拠るべき柱を失ってもなおお宮を護り続ける彼らは、まさに狛犬の鑑といえるでしょうね。

I権禰宜


日々お宮を護ります。

2011年03月11日 12時32分03秒 | 神社豆知識

さぁ!本日も良い天気!

・・・少し肌寒いですけど・・・。

こんにちわI権禰宜です。

さて、突然ですが、

Q岡田神社には何体の狛犬がいるでしょう?

※・・・・なんか以前も同じ話題の記事があったような気がしますが・・・気にしたら負けです。

まぁ、当社に御参拝された事がある方でしたら、何体かはすぐに思い浮かぶのではないでしょうか。

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先ずは手水舎の所に居る・・・昭和生まれの吽と、

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阿です。

正参道に居ますからお馴染みですよね。

さてさて次に思い浮かぶのは・・・

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拝殿の脇に居る阿と、

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吽。彼らは大正生まれです。

この4体の狛犬はすぐに見つけられると思います。

目立つ所に居ますからね

・・・しかしまだ半分。

当社の狛犬はあと数体居るんです。

どこかというと・・・

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幣殿の横。ちょうど末社・猿田彦大神の前に逆立ちしている阿。

建立時期は判読しにくいのですが、江戸後期の当社大宮司・『駿河守直縄』と刻まれていますので、おおよそ天保年間前後の頃の作でしょう。

実はこの子は一人ぼっち

番は既に朽ち果ててしまっているんですね・・・。

それでも健気?に彼は今日も逆立ちを続けております

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さらに・・・神門脇に居る阿と

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吽。彼らは文政10年(1827)生まれ

口元の辺りに年季が入ってます。

以上が普通に探せば見つける事が可能な狛犬達です・・・

が、

実は岡田宮にはあともう1対、狛犬が棲んでいるんです。

それがこちら。

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文政2年(1819)生まれ200歳近い、阿と

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吽。

なんと申しますか・・・・・

赤いですね。

あと眼力がすごい。

木製作りのこの狛犬は福岡藩10代藩主・少将斉清(1795~1851)公奉納のもの。

市内の狛犬の中でも古い部類に入るのではないでしょうか。

彼らのみ、殿内に棲んでいますので気になる方は職員に申し出ていただければ拝観可能です。

と、いうわけで岡田神社に生息する狛犬は全部で9体

彼らも私ども同様、毎日お宮を護っている愛すべき僚友なのです。

参拝の際に彼らを見つけたら、ぜひとも労いの声をかけてあげて下さいね。

I権禰宜


修験道の歴史ある社殿

2010年11月27日 12時10分14秒 | 神社豆知識

こんにちは、G出仕です。今日は先日英彦山にあります高住(たかすみ)神社にお邪魔したときのことを書かせて頂きます。

紅葉狩りを兼ねて行って来たのですが、 社殿が特徴的で本殿が洞穴のような所から飛びだしているような造りでございます。修験道の信仰の根付いた英彦山にはこの様な造りの社殿が多いそうです。

社殿は、本殿・拝殿共に千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)を配した大変立派な建物です。

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ちら以前は大変社殿が痛んでおったようですが、氏子の方が材木をためていて此の時の為にとっておいたそうです。その為、材木の木割(きわり・・・材料の幅や柱間などをきめる比例のこと)が大きくどっしりと重厚で、大切にされている想いが詰まった社殿でした。

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出発前岡田宮は14~15℃あったのですが、なんと高住神社は5℃でした。12月末には雪が積もると言う事です。参拝の節はどうぞお早めにお越しください。G出仕でした。