フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月24日(水) 晴れ

2015-06-25 13:09:17 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ(ツナ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

今日もいろいろ回る一日。

郵便局、区役所、(母が入院していた)病院へ。

昼食は病院の近くの「宝来」で。

肉野菜炒め定食。

蒲田駅に戻る途中、auショップに立ち寄る。

ボロボロのいまのケータイを新しいケータイにする。スマホ全盛のいま、ケータイ(ガラケー)の選択肢は少なく、高齢者用のものを別にすると、2機種しかなかった。京セラ製のグラティーナ2とマーベラ2で、上位機種である後者を購入することにしたが、在庫がホワイトしかなかったので、ブラックを取り寄せてもらうことにした。利用プランはこれまでどおり「Sシンプル」(月々2688円)。

スマホに移行することもチラッと考えたが、やはり、どう考えても、自分には不要である(あれば便利なのかもしれいが、なくても困らない)という結論になった。電話とメールができればそれで十分。自宅の書斎と大学の研究室にPCがあるから、通勤時間にインターネットはしなくていい。電車の中で音楽を聴いたり、ゲームをしたいとも思わない。通勤時間は基本的に読書タイムだ。何より、電車の中で、ホームで、階段で、改札を通るときでさえ、スマホの画面から目を離さない人たちの姿(ゾンビに似ている)を見ていると、「ああはなりたくない」と思ってしまうのである。きっとそれだけの魔力があるのだろう。クワバラ、クワバラ。

研究室で使用する食器に先日購入した清水直子さんの新作が加わった。

夕方まで雑用をして、帰る。

東京ステーションギャラリーで開催中の「鴨居玲 踊り候え」展をのぞく。初めて聞く名前だが、昭和3年の生まれ(母より1つ下)で、昭和60年(1985年)に57歳で亡くなっている(自殺だったそうだ)。

スペインの村に住んでいたときに描いた、酔っ払いや老婆の絵、そして晩年の自画像が有名なようで、一見すると醜い人たちが見せる一瞬の奥行きのある表情(そこにその人の人生が凝縮されているような)を好んで描いたようである。

自画像は醜いが、実際の彼は俳優の川口浩に似た美男子だった。今回の没後30年の企画展に合わせて彼の伝記を書いた長谷川千恵子(日動画廊代表取締役副社長)はこう書いている。

「本書を書くにあたり、改めて鴨居のことを思い起こすと、作品の印象に反して彼自身には、「格好いい」という形容詞しか思い浮かべることができない。そが彼の美学でもあった。身長はスラッと高く、日本人離れした彫の深い顔。それを嫌味に見せないよう、三枚目を演じてみせる様や照れたような笑み。それらすべてが、稀代の格好よさを印象づけていた。」(1-2頁)

「鴨居は「魂の放浪者」である。いつも何かを求め、失望したり、これで良かったと安堵したりの繰り返しであった。その生活の中で女性に求めるのは、あくまで鴨居の独走に優しく付いてきてくれることだったのだろう。女性から何かを「求められる」ということは彼には負担でしかなかった。・・(中略)・・・鴨居の優しさに接した女性は、鴨居を仮想恋人としてしまう。しかし鴨居はそれ以上、絶対に誰も自分の世界には踏み込ませない。それゆえ、誰にも仮想恋人以上の場所はない。それでも、鴨居の甘い雰囲気に接するだけで女性は満足感を得る。そこが鴨居の憎いところであった。」(44-45頁)

蒲田に到着。すでに午後6時半だが、まだ十分に明るい。 

電車の中で読んでいた本を切りのよいところまで読もうと「テラス・ドルチェ」に入る。

アイスコーヒーを注文。

7時半、帰宅。

夕食はピーマンの肉詰め。

デザートは小玉スイカ。


6月23日(火) 曇りのち雨

2015-06-24 00:49:59 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

2限は演習「個人化の社会学」。

昼食は研究室でコンビニおにぎり。

3限は講義「現代人のライフスタイル」。

夕方、卒業生のNさん(論系ゼミ3期生)が研究室にやってくる。Nさんは私大の職員だが今日は渋谷に出張で来て、仕事終わりに寄ってくれたというわけだ。お土産にいただいたお菓子を食べながら研究室でしばらく雑談をしてから、「五郎八」へ食事に行く。

「五郎八」はNさんのリクエスト、彼女はここのつまみ類が好きなのである。今日は蕎麦は食べずにつまみだけたくさん食べようということになった。

まずは4品注文。飲み物は二人ともウーロン茶。

田楽。

イカ焼き。

鴨のつくね。

もつ鍋。(Nさんの大好物)

ここが折り返し点。後半の4品を注文。

五郎八サラダ。

カキのバター炒め。(この時期のカキはどこの産だろう。ぷりぷりで美味)

卵焼き。

おでん。

あー、食べた、食べた。二人で8品は多過ぎた。6品がいいところだった。

食後のコーヒーは「カフェゴト―」で。

二人ともブレンドコーヒーを注文。さすがに「スイーツは別腹」とはいかなかった。

卒業3年目、先日25歳の誕生日を迎えたばかりだ。職場での責任も重くなってきた。

花も嵐も踏み越えて、強く、素直に生きていってくださいね。

「カフェゴト―」を出て、交差点のところで分かれる。Nさんは地下鉄に。私は研究室にもどって、雑用を片付けてから帰る。

10時過ぎに帰宅。デジカメを大学に忘れてきた。


6月22日(月) 晴れ

2015-06-23 16:58:02 | Weblog

7時半、起床。

トースト、カレー、サラダ(トマト、ベビーリーフ、レタス)、紅茶の朝食。

昼前に家を出て、大学へ。今日は月曜日で授業はないのだが、先週に予定していたゼミ論指導が学生の就活の関係で今日に延期されたのである。

昼食は中華料理店「奈津」で。

ランチメニューの中から肉野菜炒め定食を注文。ご飯は少なめにしてもらった。

肉野菜炒めは中華の定食の定番といってよい。栄養のバランスがいい上に、旨いのだから言うことはない。最後の方で、残っている肉野菜を汁と一緒にご飯にかけて食べるのがなんとも旨いのである。

キャンパスのスロープを上りながら「あっ!」と思った。以前(工事前)はスロープを上りきったところの校舎の壁に時計が掛かっていたが、工事後はそれがなくなっていることに気がついた。さらにいえば、中庭から事務所へ抜けるところの校舎の壁にも時計が掛かっていたが、これもなくなっている。教室には元より時計がないから、これで事務所や図書館や学食などのスペースを除いて、校舎から時計が全部撤去されたことになる。これは「時間に追われる生活からの解放」をめざしているわけではなくて、たぶん、複数の時計を一元的に(同じ時刻になるように)管理することが面倒だからではないだろうか。

3限にS君とTさんのゼミ論指導を行う。S君がもってきた麩饅頭をTさんがもってきた紅茶でいただく。二人とも麩饅頭を食べるのは初めてとのこと。夏に食べるひんやりとした和菓子である。美味しいでしょ。

麩饅頭は上品な甘さだったが、ゼミ論指導は辛口で行った。参考文献を数冊読んだ程度で、すんなり結論(問いの解)にたどり着けるようなテーマはゼミ論には不向きである。もっとああでもないこうでもないと苦しんで書かなくてはいけない。そういうプロセスを省略してはいけない。

予定していた時間を30分ほどオーバーしてゼミ論指導を終える。

大学を出て、「SKIPA」に顔を出す。前回来たのが5月17日の句会のときだから、一ヶ月ぶり(以上)である。アイスチャイとパウンドケーキを注文する。

「SKIPA」の常連客であるフリーライターのAさんとおしゃべりをした。

帰りに有隣堂でNHKの俳句講座のテキスト(7月号)を購入。 

夏の句というとまっさきに思い浮かべるのが、次の句である。

  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る  山口誓子

鈍い色をした水面にギラギラとした夏の日差しを感じる。都市の、周辺の、無機質な夏の風景である。

次回の句会は7月12日。兼題は「時」である。まだ何も考えていないが、そろそろ意識の片隅に俳句のことが浮上してきている。

6時半、帰宅。

夕食は焼き魚(銀むつの粕漬け)。右上の皿は枝豆を春巻きの皮で巻いて揚げたもの。ビールが飲みたくなる(飲めないけど)。

デザートは小玉スイカ。

夏至の一日があっけなく終わった。


6月21日(日) 曇りのち晴れ

2015-06-22 09:20:45 | Weblog

6時半、起床。

トースト、鶏の唐揚げ、サラダ(トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

昨日の記事をブログにアップする。

昼食は冷やし中華(胡麻だれ)。

午後、母の友人のSさんが娘さんと一緒に焼香に来て下さる。

曇りがちだった空が夕方になって晴れる。

夕食はカレーライス。

ダーグ・ソールスター(村上春樹訳)『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』(中央公論新社)を読み終える。母の入院中に読み始め、途中で母が亡くなったため、しばらく中断していた。母のいた世界と母のいなくなった世界を架橋する読書となった。

とは言っても、小説のテーマは母の生死とは関係がない。風変わりな小説だった。最初は中年の男が妻子と安定した仕事を捨てて女のところに走るという(フィクションの世界ではわりとよくある)話かと思ったが、それは物語の序幕に過ぎなかった。訳者である村上春樹は「あとがき」で次のように語っている。

「とにかく不思議な小説だというのが、読み終えて本を閉じたあとの僕の偽らざる感想だった。タイトルだけではなく、中身もそれに負けず劣らずユニークだ。よくわけがわからない、と言ってもいいくらいだが。それでもとにかく面白い。「この話はいったいどうなるんだろう?」と思いながら最後まで息もつかずに読んでしまう。しかしなにしろけったいな話である。/何が変と言えば、まずその小説スタイルだ。いったい何が新しいのか古くさいのか、それすらうまく判断できない。文体や筋立ては一見してかなり保守的なのだが、全体的なたたずまいはむしろ前衛的ですらある。僕はこの本について「それはどんな小説ですか?」と誰かに訊かれるたびに、「そうですねえ、コンサバな衣をまとったポストモダンって言えばいいのか・・・」ととりあえず答えてきたのだが、それ以外の適当な表現はいまだに思いつけずにいる。」(249-250頁)

同感である。

主人公のある「企て」がこの小説の核心である。その「企て」の話は小説の途中、中間地点よりも少し手前の辺りで突然語られ始め、しかし、その後、大学生になった主人公の息子が彼の家にやってくるところで中断し、もしかしたらあの「企て」の話はたんなる通りすがりのエピソードだったのかと読者が諦めかけたあたりで、マラソンレースでいえば「35キロあたり」(ここからが勝負所!)で再浮上して、一気に実行に移される。

あの「企て」は一体何のために行われたのだろうか。小説の中では、主人公も自分の「企て」の意図をうまく説明できずにいる。しかし、私にはわかる気がする。主人公はそれまでも人生を演劇的に生きてきた。社会学的な目で見れば、人は誰でも役者なのだが(役割理論)、自分の生活の演技性を自覚している人はそれほど多くはない。アマチュアの劇団で俳優も経験している彼は生活=人生の演技性について普通の人よりも自覚的であったと思う。そもそも妻子と安定した地位を捨てて女のところに走るという行為もその演劇性(ドラマチック)に自ら酔っているところがあった。「企て」は生活=人生の演技性をより徹底化し、虚構性と呼ぶべきものへ昇華するためのものだったのではなかろうか。そして、その際、その「企て」に加担してくれる数人の他者と「秘密」を共有することで、宿命的な孤独から救済されることを期待したのだろう。


6月20日(土) 晴れ

2015-06-21 11:06:22 | Weblog

7時半、起床。

パン、ソーセージ、サラダ(トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

午前中に葬儀社の担当者が2人、別々の用件で来た。1人は葬儀費用の清算。9年前、父の葬儀も同じ葬儀社で行ったが、そのときより規模が小さかったことと、父の死後、母が「友の会」の会員になっていた(会員割引が適用される)ことで、、父のときの3分の2ほどだった。

もう一人は「友の会」への入会の手続き。「友の会」は加入した本人の葬儀だけでなく家族の葬儀にも割引が適用されるのだが、加入者である母本人が亡くなったので、改めて私が加入することになった。

11時半に東急蒲田駅の改札で卒業生のMさん、N君(ともに論系ゼミ5期生)と待ち合わせる。卒業後3か月の再会である。

土曜日の蒲田ということで、「まやんち」と「phono kafe」のどちらで食事をしたいかを事前にMさんに聞いておいた。「まやんち」にも相当惹かれたようだが、彼女は「phono kafe」を希望した。

惣菜を9品注文し、私とN君はご飯セット(玄米+味噌汁)、Mさんはパンセット(パン+スープ)をチョイス。賑やかな食卓である。

二人からそれぞれお土産をいただく。

Mさんからは、彼女の会社が開発した商品。左は『ワンピース』に登場する「ガレーラカンパニー」製の設計ノート。ゴーイングメリー号の最後の活躍を支えたアイスバーグが社長を務める造船会社で使われている設計ノートというわけだ。マニア垂涎の一品である(たぶん)。それとやはり会社が開発にかかわった特製ポップコーン。映画を観ながら食べるものだろう。

 

N君からはやはり彼の会社で開発した商品をいただいたが、発売前ということで、残念ながらここで紹介はできません。それと和菓子。こちらは彼の会社とは関係ない。

新しい客が入ってきて、満席なので大原さんが「すみませんと」その客に謝ったので、われわれが席を立つことにした。「phono kafe」には1時間半ほど滞在した。

デザートは、土曜日なので満席かもしれないが、ダメもとで「まやんち」へ行ってみることにした。もし満席だったら、池上の「バター・リリー」に行くつもりだったが、ちょうど第一波が引いた後だったようで、すぐに席に案内された。「phono kafe」→「まやんち」というのはなかなか実現できない理想的コースである。両方行きたい場合は、「まやんち」を午前中に予約して(午後は予約不可)、「まやんち」→「phono kafe」という逆コースをたどることが多いのだ。

私とMさんは「フォレノアール」、N君は「ガトーバナーヌ」をチョイス。お茶はスタッフの方と相談してそれぞれのものを注文。

私が「まやんち」に男女の二人組を連れてくるのは、これで二回目で、店主のまゆみさんが「あらっ」という顔をされた。前回はカップルでしたが、今回はそうではありませんからね。お気遣いなく。

映像制作会社と出版社、それぞれ自分のやりたい仕事のある会社に入ったが、最初の配属先は必ずしも希望通りではなかったようである。でも、最初から何もかも希望通りというわけにはいくまい。まずはやりたいことのある会社に入れたことをもってよしとしよう。まだ試用期間だから、責任ある仕事を任せられるのはもう少し先だろう。いまのうちに社会人生活の基盤をしっかりしたものにしておくことです。健康にはくれぐれも留意してください。

今日は梅雨の晴れ間の一日だった。これから先の社会人生活では天候の急変も経験することだろうが、自分を見失うことなく、歩いて行ってほしい。

二人とはJR蒲田駅の改札で別れた。

夕食は鶏の鶏の唐揚げネギソース掛け。

デザートはMさんからいただいたポップコーン。濃厚チェダーチーズ味とキャラメル味の混合。美味しかったです。