本日、夕方、入院中の母が亡くなりました。享年88歳でした。
7時、起床。
トースト、卵焼き、ウィンナー、サラダ(トマトとレタスとベビーリーフ)、紅茶の朝食。
6月1日はマリリン・モンローの誕生日で、生きていれば89歳になるとラジオのパーソナリティが言っていた。そうか、母とモンローは1つ違いなのか。
10時ごろ、病院へ。
一晩病室で過ごした妹と交代する。
昨夜も母は吐き気と戦っていたようだが、午前10時頃に打った吐き気止めの注射(違うタイプの薬)が効いたようで、吐き気は収まり、眠れるようになった。
相部屋だったときのAさんが今日ご退院で娘さんと一緒に挨拶に来て下さった。母の話し相手になっていただいたありがとうございました。
昼食は病院の近所の「鳥久」でお弁当を買ってきて、部屋で食べる。
特製弁当の中身は鶏尽くし。焼き鳥、チキンカツ、鶏の唐揚げ、鶏つくね。
デザートは「藤肥軒」の麩饅頭。
午後も母はずっと眠っている。穏やかな一日だ。自分一人なので、本を読んだり、日記を書いたりして過ごす。
3時ごろやってきた妻と交代して自宅に戻る。
メールをチェックし、返信を書き、明日の授業(2限の演習と3限の講義)の休講を事務所に伝え、受講生にコースナビの一斉メールで補講の課題を伝える。
玄関先の花に水をやり、病院に戻る前に、「phono kafe」にちょっと顔を出す。
ナポリタンポテトサラダとあずき茶を注文。
ロープ状のパリパリしたものは春巻きの皮を揚げたものである。
スプーン置きの小皿は常連客で陶芸作家の清水直子さんは「phono kafe」の開店二周年に大原さんにプレゼントしたものである。
病院に戻る。
7時頃、仕事終わりのミサキさん(甥っ子のリョウスケの嫁さん)が見舞いに来てくれた。
病院の近くにある「はま寿司」という回転ずしの店に食事に行く。
平日の夜ながら混んでいて、しばらく待つ。
回転寿司は初めてではないが、久しぶりで、その間に回転寿司はずいぶんとシステム的に進化していた。お茶の淹れ方からして教えてもらう(卓上にお茶の粉の入った缶が置かれていて、湯呑に自分で粉を入れて、蛇口からでるお湯を注ぐのだ。ティーバッグではないのは経費節減のためだろう)。醤油の小皿がみつからなにと思ったら、最初の一皿を寿司を食べ終えたら醤油皿に使うのだと教えてもらう。なるほど。ベルトコンベア上の寿司を取るだけでなく、パネルで注文すると、自分の近くに注文した品が来るとパネルがそれを知らせてくれる。他のテーブルの人が注文した皿を取ろうと思えば取れてしまうが、そういうことをする人はいない(少なくともそういう前提)でシステムは稼働している。信頼のシステムなのだ。
システムへの興味に後押しされて、15皿(+浅利の味噌汁)も食べてしまった。
3人の分合計で3500円ほど。あまりにも安い(平日の夜は100円の皿は90円になる)。
お腹いっぱいである。
ミサキさんは病院からタクシーで蒲田駅へ。私と妹は病室に戻り、10時半ごろ私は自宅に戻る。妹は今夜も母の側で寝る。