フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月25日(日) 晴れ

2007-11-26 10:29:19 | Weblog
  午後、暖かな陽射しに誘われて散歩に出る。家を出るときは恵比寿の東京都写真美術館にでも行こうと考えていたのだが、来月の1日に渋谷に卒業生のHさんの写真展を観にいく予定があり、写真美術館はそのときでもいいやと考え直し、そうしたら途端に「甘味あらい」の贅沢あんみつが食べたくなって、池上に行く(蒲田から池上線に乗って二つ目)。まずは駅前商店街にある古書店「大黒」をのぞく。店の外の100円均一の書棚に中央公論社の『日本の文学』の端本がたくさん並んでいた。1、2冊購入しようかと思ってやめておいた。それよりもあとから「日本の古本屋」のサイトで調べてみて、全巻揃いで安く出品されていたら、それを購入しようと思ったからである。『日本の文学』全80巻が刊行されたのは1960年代後半、私が中学生の頃である。無論、当時の私の小遣いでは買い揃えることはできなかった。それがいまなら買える。金持ちになったからではない。全集ものの古本がいまは驚くほど安くなっているからだ。底値を打っているといってもいい。むしろ心配すべきは代金ではなく置き場所であるが、書庫にはまだいくらかの空きがある。80巻なら大丈夫。「大黒」では以下の本を購入した。

  長田弘『私の好きな孤独』(潮出版社)
  草間時彦『私説・現代俳句』(永田書店)
  松本清張『昭和史発掘』(松本清張全集32、文藝春秋)
  神吉拓郎『曲り角』(文藝春秋)
  川本三郎『80年代 都市のキーワード』(TBSブリタニカ)

  そのとき店には私のほかにもう2人客がいて、その1人がこの3月に定年退職されたフランス文学の市川先生に似た雰囲気の人だった。と思っていると、向こうから「やあ、先生」と声をかけられたのでびっくりした。なんと市川先生ご本人だった。な、なんで先生がここに? もしかして池上にお住まいですか? 「今日は女房と一緒でね。いま、女房はこの近くで用事をすませているところで、私はそれまで時間をつぶしているというわけ。いえ、僕の住まいは品川です」とのこと。あるんだ、こんな偶然。古本屋の主人はわれわれがお互いを「先生」と呼び合って挨拶を交わしているのを珍しいものを見るように見ていた。
  「甘味あらい」に来たのは3ヶ月ぶり。贅沢あんみつは季節季節で入っている果実が変化する。今日は栗が入っていた。カウンターの中にはご主人と、もう一人、奥さんとおぼしき和服の女性がいて、ますます小料理屋のような雰囲気であった。
  本門寺の境内を歩く。陽はもう大分傾いているが、少しも寒くはない。境内を歩いている人たちはみんな穏やかな顔をしている。本堂の賽銭箱の前で、何か具体的な願い事をするわけではなく、小春日和の一日に感謝して手を合わせた。

           
                     五重塔夕景

           
                       落日

  帰宅して、善は急げ、「日本の古本屋」のサイトで『日本の文学』の全巻揃いを検索したところ数件ヒットした。安値ではあっても月報が欠けていたりというのはよろしくない。少考して、尼崎市にある彩華堂に注文することにした。価格は1万5千円である。一冊あたり200円の計算になる。ついでに集英社版『世界の文学』全38巻を検索してみたところ、名古屋市にある神無月書店から2万5千円で出ていたので、ついでに購入することにした。集英社版『世界の文学』は、1970年代後半、私が大学院の修士課程の学生だった頃に刊行されたもので、現代文学中心の斬新なラインナップだった。たしか第一回配本はアラン・シリトー『長距離ランナーの孤独』ではなかったか。かっこいいタイトルであり、TVで宣伝していたこともあり(いまでは本の宣伝をTVでするなんて考えられない)、記憶に残っている。しかし、いかんせん値の張る全集であったので、そのうち集英社文庫に入るようになったら買い揃えようと考えていたら、文庫化されたのはほんの一部で、結局、そのままになってしまったのである。若い頃に手の出なかったものにようやく手が出るようになった頃にはこちらが歳をとってしまっているというのはよくある話だが、文学作品については、それは必ずしも悲しい話ではない。「ちくま日本文学」の宣伝パンフレットの中で、作家の重松清がこんなことを書いていた。

  「嘘みたいな話だが、つい先日、筑摩書房に「『ちくま日本文学全集』はまだありますか?」と問い合わせたのである。四十代半ばになってホンモノの小説を読みたくなったのである。『全集』の在庫はなかったが、「もうすぐ新しい形でよみがえりますから」と言われた。うれしい。ドキドキする。再会する作家もいれば初めての作家もいる。若い頃には歯が立たなかった作家や作品でも、いまなら・・・と楽しみにしている。だって、芥川クンや太宰クンより、オレ、もう年上なんだし。」

  そうそう、と私は相槌を打った。そしてこうも思った。私の場合、夏目クン(享年50歳)より年上なんだし、と。

11月24日(土) 晴れ

2007-11-25 11:56:24 | Weblog
  午後、いいお天気なので、昼食をとりがてら散歩に出る。キシフォトでヘッドフォンを購入。以前持っていたのは小さくて軽いやつだったが、使っているうちにヘッドバンドの部分が折れてしまったので(私の頭が大きいせいだろうか)、口径が大きくて丈夫な造りのものにした。ルノアールでツナとポテトのサンドイッチと珈琲を注文して、持参した高澤秀次『吉本隆明1945-2007』(インスクリプト)を読む。そろそろ冬休みが地平線上に見えてきたので、授業モードから研究モード(清水幾太郎研究)へシフトしていこうと思う。

  栄松堂で高田香雪『書き込み ペン習字』(日本習字普及協会)というペン習字の練習帳を購入。

  「手本をよく見て、すぐその右隣りに丁寧に習う。手本との違いを探しては更にその右の行に書いてみる。順次、手本から遠く離れつつ、徐々に自分のものにして行く、という段取りで実力がつくようにと工夫しました。十分に観察の眼を養いながら、おちついてペンを運ぶようにと勧めます。」

  いまさら練習して字が上手になるとも思えないが、いまの私は、万年筆で字を書くという行為そのものが楽しく、よく手元にある紙片に名前や住所や「寒中お見舞い申し上げます」とか書いたりしているので、これをもう少し意識的かつ計画的に行なうことで、楽しみつつ、少しでも上達すればもうけものである。栄松堂では以下の新書・文庫も購入。

  飯沢耕太郎『写真を愉しむ』(岩波新書)
  栗山民也『演出家の仕事』(岩波新書)
  梅田望夫『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書)
  一ノ瀬俊也『旅順と南京』(文春新書)
  羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ』(PHP新書)
  渡辺昇一『自由をいかに守るか』(PHP新書)
  『尾崎翠』(ちくま日本文学004)
  『寺山修司』(ちくま日本文学006)

  「ちくま日本文学」は15年ほど前に刊行された「ちくま日本文学全集」60巻のうちから30巻を選んで新しい装丁(「全集」は文庫版よりも一回り大きくかつハードカバーだったが、今回は普通の文庫本)で復刊したものである。巻数が半分に縮小されたことで落ちた作家は、正岡子規、島崎藤村、寺田寅彦、中勘助、石川啄木、佐藤春夫、萩原朔太郎、夢野久作、岡本かの子、白井喬二、金子光晴、大仏次郎、石川淳、海音寺潮五郎、中野重治、堀辰雄、木山捷平、長谷川四郎、大岡昇平、武田泰淳、梅崎春生、島尾敏雄、福永武彦、花田清輝、織田作之助、富士正晴、岡本綺堂、渡辺一夫、中野好夫、深沢七郎である。「全集」に「誰を入れるか」というのは当時の編集委員会で大いに議論されたのであろうが(実際、「全集」は当初50巻の予定であったが、途中で10巻追加されて60巻になったことからもそれがうかがえる)、今回は「誰を残すか」ということで野次馬的にはこちらの方が面白い。まず、詩と評論・エッセーがばっさり落とされたようである。それから時代小説も切って捨てられた。詩と評論・エッセーと時代小説は「全集」の大きな特徴であったから、これらを外したことで、「ちくま日本文学」は「全集」のたんなる縮小再生産ではなく、近現代小説中心のリスク回避的縮小再生産になった。あとは売れ筋から外れた近現代小説の作家が一人一人落とされていったということだろうか。たしかに堀辰雄なんてよくいままで生き残っていたものだと思う。ようやく寿命が尽きたかという印象を受ける。中勘助も『銀の匙』一本でよく今日まで頑張ったと思う。岩波文庫の力は大きい。織田作之助は「関西の太宰治」のようなイメージで珍重されてきた面が多分にあり、東京偏重主義の緩和剤としては有効であったであろうが、ベスト30となるととても無理だ。・・・というように、それぞれのファンには申し訳ないが、落とされたことの合点がいく作家がいる一方で、佐藤春夫を落とすのか、石川淳を落とすのか、深沢七郎を落とすのか・・・溜息をついてしまう人選もある。そうした溜息はついついベスト30に残った作家の人選への八つ当たりに転化する。幸田露伴と幸田文は親子で残っているが、前者は骨董的価値で、後者は女性作家が少ないことへの配慮から残ったとしか思えない(尾崎翠についてもそれはいえる)。梶井基次郎のレモンはもう賞味期限切れなんじゃないのか。稲垣足穂を残すとはずいぶんとマニアックだ。マニアックであること自体は悪くはないが、だったら夢野久作の方を残すべきだったろう。色川武大は個人的には好きな作家だが、とても殿堂入りするタイプの作家ではない。あの世で麻雀卓を囲みながら舌を出しているに違いない。折口信夫や柳田國男や宮本常一は作家ではないでしょう。方針に反するんじゃないの。それともフォークロア系は売れ筋だから特別扱いなのか。・・・と、ああだこうだ、いろいろと楽しめます。少なくとも私にとっては、ミシュランガイド東京版よりもずっと楽しめます。

11月23日(金) 晴れ

2007-11-24 02:36:41 | Weblog
  午後、散歩に出ようかどうしようか迷ったが、録画してまだ観ていなかったETV特集「言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡」(2007年7月1日放送)を観ることにした。前回の「ライフストーリーの社会学」の授業で吉田さんの「私の転機:終戦目前の召集令状」という文章を取り上げたのがきっかけである。吉田さんは召集令状に従って昭和20年3月8日に大阪に徴兵検査を受けに出向いたが、不合格となり、見知らぬ人の善意で大阪に一泊し、帰京を一日延ばしたおかげで、3月10日未明の東京大空襲に遭わずにすんだ。吉田さんはこの2日間の経験から、自分の生命がいかに多くの人の死と苦難と善意によってあがわなれたものかを知った。戦後間もなく、吉田さんはそれまでの勤めを辞め、何の成算もないまま音楽でものを書く生活に腰をすえた。それは、今度こそ自分の力で生き、いつ死んでも悔いのない日々を送ろうと考えたからだった。音楽評論家「吉田秀和」誕生のエピソードである。吉田さんは1913年の生まれ。今年で94歳であるが、週に一度のNHKFM「名曲の楽しみ」、年に4回のペースの朝日新聞「音楽展望」をいまも担当されている。ETV特集「言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡」は1時間半の番組だったが、言葉を選びながら穏やかに語る吉田さんの姿に私は釘付けになってしまった。それはとても充実した午後のひとときだった。本当に深く考えている人は決してエラソーに語ったりしないものだということ、心の底から好きな仕事をしている人は仕事の大変さではなくその楽しみを語るものだということ、そういうことを吉田さんの語りを聞きながら改めて認識した。
  夕方、今夜はすき焼きにしようと提案する。今夜は家族全員がそろっているから(それは最近では週に一度あるかないかだ)、娘の誕生日(25日)と妻の誕生日(28日)のお祝いを今夜やろうと。妻は外食に未練があったようだが、今日大学の授業があって帰宅したばかりの娘は(金曜日の授業回数を確保するために祝日にもかかわず授業があったのである)家で食事がしたいといい、私の提案が通った。さっそく私と息子の二人で買出しに出かける。東急のスーパーですき焼きの食材一式を仕入れる。肉は一番高い100グラム1200円のものにする(ただし数が足りなかったので、980円、780円のものも混ぜる)。これまでのわが家の記録は100グラム1300円だったから、記録更新とはいかないが、それに「肉迫」するものである。東急プラザの名店街でケーキとプレゼント用にチョコレートの詰め合わせを2箱購入。家の近所の花屋で花束(2束)を購入。食材とケーキとチョコレートの代金は私が負担し、花束の代金は息子が負担した。月明かりの道を歩きながら、女性へのプレゼントの大切さについて息子に語って聞かせた。

           
                     明日が満月

11月22日(木) 晴れ

2007-11-23 09:22:08 | Weblog
  7時半起床。朝飯前にブログの更新・・・と思ったら、「投稿」ボタンを押した途端にせっかく書いた記事の内容が失われてしまった。gooブログの改善されるべき最大の点である。再度書いている時間はないので、この時点で午前中の更新はなくなった。私は毎日、就寝前か翌日の午前中には更新をしているので、それがないと何かあったのかと思われてしまうので、困るのである。でも、しかたない。
  2限の演習は「学歴社会」をめぐるグループ発表であったが、内容が濃かったわりには質疑応答が不活発だった。それは、第一に、発表が自己完結的というか、聞き手の質問や反論を誘発する工夫がいまひとつだったことと、第二に、聞き手の側に何か一言発言してやろうという意気込みが乏しいことによる。一般の講義と演習との違いは、学生が発言する機会があるかないかである。頭上の空間に向かって片手を突き上げてごらんなさい。
  昼食は「秀永」で。カウンターの空いている席に座る。隣の若い女性はホンコン飯を食べている。肉と野菜の辛味噌炒めと目玉焼きをご飯にのせたもので、たぶん「秀永」オリジナルの掛けご飯である。実は、今日はホンコン飯を注文しようと店に入る前から決めていたのだが、隣の客が食べているのと同じものを頼むのは多少のためらいがある。第一に、「まねっこ」は個性的であることに高い価値を置く現代社会にあっては幼稚な行為であり、第二に、後から来た中年男がたまたま隣合わせた若い女性と同じものを注文するのは、そこに何らかのコミュニケーションの意図ありと誤解されるかもしれないからである。ほら、酒場のカウンターで、イングリット・バーグマンが一人でお酒を飲んでいるところへ、ハンフリー・ボガードがやってきて、彼女をチラリと見やってから、バーテンに「彼女と同じやつを」と注文する・・・そんな感じがするじゃないですか(って、するか!)。店員が注文をとりに来るしばしの時間、私は逡巡したが、もしここでホンコン飯以外のものを注文したら、これから先、私は自分の気持ちに正直に生きることができなくなってしまうと思い、意を決して、「ホンコン飯」と注文した。そのとき、彼女の動きが一瞬止まったように見えたのは決して錯覚ではないと信じる。私のホンコン飯が運ばれてきたとき、彼女は彼女のホンコン飯を3分の2ほど食べ終わっていたので、われわれが東京は新宿の小さな中華料理店のカウンターで同じホンコン飯を口に運んでいた時間はほんのひとときのものだったが、そこにはカサブランカの港の匂いがした(厨房の甲殻類の匂いだって!)。
  研究室に戻ってブログの更新をして、後は夕方まで基礎演習の学生のレポートの個別指導。予約をとった上で来るように(ただし待つことを厭わなければ飛び込みも可)と言っておいたのだが、本日、指導を申し込んできた学生は6名。一人当たり30分と時間を決めて、持参した原稿(事前にメールで原稿を送ってきた学生もいた)に目を通してアドバイスをする。
  7時半、帰宅。今夜はおでん。普段からわが家は鍋料理が多いのだが、これからは圧倒的な鍋料理のシーズンに突入する。

11月21日(水) 晴れ

2007-11-22 14:02:36 | Weblog
  朝夕の冷え込みがすっかり当たり前のものになってきた。「初冬」という言葉を使うのにもう何のためらいもない。2限の授業で使う教室(38号館AV教室)は大きい上に、前の時間に授業がないものだから、教室が暖まっていない。「冬季は20度」という室温設定に文句はないけれども、最初は高めの設定でやってもらわないとなかなかその20度に達しない。学生たちはコートを着たまま授業を受けている。「お寒い話」だ。
  午後は卒論演習。締め切りまで2週間ちょっということで、誰かの発表ということではなく、自由に質問を受け付ける。書式等の形式的な質問にひとわたり答えてから、個別指導に入る。これから先は、終日論文に取り組める日が何日もてるかの勝負ですと言っておく。
  生協戸山店で本を数冊と雑誌を1冊購入。雑誌は『Esquire』(日本版)12月号。特集テーマ「文学は世界を旅する」にひかれて購入した。池澤夏樹編集の「世界文学全集」全24巻(河出書房新社)の刊行が始まり、その第一回配本はジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』である。青山南先生による新訳である。すでに購入し、今度の連休中の一日を使って読むのを楽しみにしているのだが、その青山先生が「『オン・ザ・ロード』追走」というエッセーを寄せている。

  「ケルアックの後を追ってみたい。ケルアックが見た新しい地平線をこの目で見てみたい、と思った。
  原著が刊行されたのは1957年で、ちょうど50年前だ。そんな昔の風景なんざ、とっくに消えているだろう、と言うひともいた。かもしれない。しかし、ぼくがしたいのは風景をみること(だけ)ではない。北アメリカ大陸を突っ走るという感覚が知りたい。ケルアックが見たような新しい地平線からはどんな風が吹いているのか、それにあたってみたい。」(69頁)

  私も旅に出て、風に吹かれてみたい。そして、風の歌を聴け。

           
      バドワイザーが合っていると思うが、下戸なのでファンタオレンジ

  6時半から大田区男女平等推進区民会議に出席。2つの課の課長さんに来ていただいて、男女平等推進プランの推進状況についてのヒアリングを行った。点検する側とされる側であるから、もっと緊張感の漂うものであってしかるべきだが、途中から懇談会のようになってしまって、物足りなかった。質問→答弁→質問→答弁というやりとりの中で責任者の言質をとってはじめて何ぼのヒアリングである。委員の持論や経験談などは別の機会に披露していただきたいものである。
  9時帰宅。風呂を浴び、夕食をとり、録画してまだ観ていなかった『ガリレオ』を観る(掘北真希が出演していたが、彼女の見せ場がなかったのはなぜ?)。最近は朝が早い分、夜は12時を回るころには眠くなる。フィールドノートの更新は明日の朝にして、寝ることにした。高知のMさんからも「(私のために)無理はなさらないでください」とメールをいただいた。心優しいMさんには何か送っておきましょう(「踊る!さんま御殿」のナレーターの口調で)。