8時15分、起床。
朝食の前に近所のポストに郵便を出しに行く。
最初の集荷に間に合った。でも、宛先は都内だが、翌日配達はないとなると、届くのは三連休明けの火曜日になるのかしら。5日もかかるのか。ふぅ。
チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
テレビ東京の大江麻理子アナウンサー(46)が退社する(6月下旬予定)ことになったそうだ。ニュースキャスターになってからはお顔を見ることがなくなったが、『モヤさま』に出演していた時は毎週見ていた。品のよさと親しみやすさを兼ね備えた稀有な存在だった。
「あなたの定年退職にあせたわけではありません」
昨日のブログを書く。
原稿を書く。
今日は妻の自宅でのビーズ教室の日。リビングから生徒さんたち(4名ほど)の話し声や笑い声が聞こえる。「これはご主人にな内緒だけど・・・」という声がするので、ちょっと顔を出して、「いま、内緒話されてました?」と挨拶をする。
昼食は「吉岡家」に食べに行く。原稿書きの日々で来る頻度が増えた。
向いは交番。万が一、店内で客同士が喧嘩になって「表に出ろ!」となっても、大事になることはない。
鍋焼きうどんを注文する。寒いときはこれが一番。生卵と餅をオプションで。たまにすき焼きうどんというものを食べるのだが、その度に、「やっぱり鍋焼きにすればよかった」と思う。すき焼きとはいってもやっぱり肉が違うのである。A5ランクの国産牛肉を使ったすき焼きうどんなんてものはないのである。
店内のTVでは寒波の話題。こんどの三連休は寒波のピークで、連休明けに春到来とか。
家を出るときに「きりん珈琲」に電話をして焙煎を頼んでおいたので、取りに向かう。「吉岡家」からの道すがらにある蔦に覆われた家。蔦は象の形に剪定されている。
昔、「屋根裏」という名前のカフェバーだった。いまも店主さんだった方が住まわれていて、外観はしっかり保たれている。
入口には猫。
踏切の近くに、近々、バングラディッシュ料理の店がオープンするようである。「バングラディッシュ」と聞くと、私なんかの世代では、世界最貧国で、あばら骨の浮き出た小さな子供の写真などが思い浮かぶのだが、最近は所得水準も上昇してきている(同時に格差も広がっている)ようである。蒲田はエスニック料理の店はたくさんあるが、バングラディッシュ料理を看板にする店は初めてではないかしら。前の店舗の居抜きなのだろうが、小料理屋風の外観が多国籍的でいいですね。
「きりん珈琲」に到着。
焙煎が終わるまで、店内で待つとしよう。
カウンター席に座る。
「いらっしゃいませ」
ココアを注文する。ほぅ、こういう器で出て来るのか。
「キタロー!」(目玉の親父か)。
島本理生『天使は見えないから、描かない』の続きを読む。「骨までばらばら」「さよなら、惰性」「ハッピーエンド」の連作三篇で構成されていて。「さようなら、惰性」を読み終えた。
最後の一篇のタイトルは結末を予告するものなのだろうか(一種のネタバレ)。しかし、そう素直ではないだろう。「ある意味、ハッピーエンド」くらいの意味かな。
焙煎が終わった。前回、豆を購入したのが2月8日だったから、12日で一袋(180g)を消費したことになる。毎朝一杯で12杯分ということか(一日に2杯飲む日もあるから15杯分くらいかな)。というわけで「きりん珈琲」には2週に1回のペースで来ている。カフェ好きの人で、しかし馴染みの店は一つだけという人は、毎回、同じカフェに通っているわけで、実際、「本の庭」や「sanno2198」にはそれらしき人がいる。私にはとても真似できない。私の馴染みのカフェは訪問のサイクルを異にする(週一、隔週、月一・・・)たくさんのカフェの複合体である。私の馴染みの店はどこも個人経営なので、何かの拍子に閉店してしまうことがある。そういう経験を経た上での一種のリスク分散なのだろう。リスク分散はポスト・モダンのライフスタイルの基本である。という言い方をすれば聞こえはいいが、別の言い方をすれば、浮気性なのだろう。
帰りに道にある合鍵屋さんのロゴ。マッチョですね。
踏切を渡る。
橋を渡る。
帰宅して、少し居眠り。
夕刊が届いた。トランプがSNSで暴言を吐いた。ゼレンスキーは短気な反論は控えている。
プーチンは喜び、NATOはゼレンスキーを擁護する。
「やれやれ」
夕食は二種の炒め物。
食事をしながら『プレバト』を見る。今回は色鉛筆画の昇級試験が中心で、俳句コーナーはちょっとだけだった。
「ちょっとだけよ」(加藤茶か)。
事務的なメールを何通か。
原稿書きの続き。今日は今一つ捗らなかった(A4で2頁)。明日はもっと頑張ろう。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。