6時半、起床。早起きなのは早朝の新幹線に乗って名古屋へ行く息子を玄関で見送るため。初めての一人暮らし、健康にはくれぐれも気をつけて。
内憂外患という言葉があるが、家庭では我が子を送り出し、職場では教え子を送り出し、満ち足りた虚脱感のようなものが身の回りに漂っているのを感じる。女性が子育てを終えた頃に感じる不定愁訴を「空の巣症候群」と呼ぶが、それに近いかもしれない。
ワセダネットポータルを使ってゼミ4年生(卒業生)に最後の業務連絡メールを出す。卒業後の連絡先等の情報を送ってくださいと。ついでに卒業式のときに撮ったツーショットの写真がうまく撮れていたら添付してくださいと。
すぐにHさんから返信がある。この種の一斉メールに対して一番に返信があるのはたいていHさんだった。そういうパーソナリティなのだ。きっとこの調子で仕事もきちんとこなすだろう。でも、頑張り過ぎて健康を損なわないようにね。
続いてIさんから返信。HさんとIさんは仲良しだ。もしかしていまこの瞬間も一緒にいて、メールを打っているんじゃないか(まさかね)。
朝食は小雨の中、傘を差して、「ムッシュのんのん」のモーニングセットを食べに行く。花冷えで桜の寿命が少し延びるだろう。
「ムッシュのんのん」でモーニングセットを注文するのはたぶん初めて。厚切りのバタートースト、ミニサイズのオムレツ、ちょこっとのスパゲティ、サラダ、コーヒー。これで550円。一体、どれだけ利益があるのだろうか。私が行きつけの店であまりモーニングセットを注文しないのは、売り上げに貢献できなくて申し訳ない気がするからだ。
同じようなことは100円ショップにもいえる。その商品を作っている人たちは一体どれだけの賃金をもらっているのかと考えてしまう。その国では物価が安いから問題ないのだと説明されても、それは日本の国内の労働力が使われないということだから、結局は自分たちの足元を掘り崩しているわけだ。「安ければよい」という考え方を考え直さないと、われわれの子供たちは殺伐とした労働市場で使い捨ての安価な労働力として心身をすり減らだけだろう。
卒業式から二日目。ゼミの写真の整理をしながら、学生たちとの2年間(学生によっては3年間であったり、4年間であったり)のつきあいを振り返る。過去を振り返ることはわるいことではない。いや、むしろ大切なことだ。未来志向、現在志向、過去志向、人間に備わっているこの3つの時間志向のベクトルを正三角形に保つことが大切だ。過去を振り返るな、そなん無駄なことに時間を費やすなというのは、とても貧しい考え方である。未来志向で、かつポジティブであること(未来のことを心配するのもダメなのだ)、これが現代人の病理の時間的表現である。 未来を心配したり、過去を悔やんだりすることも、時間的存在としての人間の厚味を増す。ポジティブ思考一辺倒ではぺらぺらの人間になるだろう。教え子たちにはそうなってほしくない。歩きながら、ときに立ち止まり、後ろを振り返る。未来を夢見たり不安に感じたり、現在の生活に楽しみと苦しみを味わい、過去を懐かしんだり悔やんだりする、それが人間としてのあたりまえの生活だ。そうしたバランス感覚を失わないようにしてほしい。寝不足と、不規則な食事と、運動不足と、人とのつながりの欠如が、そうしたバランスを失わせる。そうした観点から自分の生活をチェックすることを怠らないこと。
昼食は「すみっこ」のカツカレー。かつて蒲田駅西口前にあった「南蛮カレー」の後継店である。いろいろメニューはあるが、ほとんどの客がカツカレー(680円)を注文する。テーブルの上にはソースが置いてある。運ばれてきたカツカレーに何のためらいもなくソースをかけて食べる。カツカレーにはソース、私はそう決めている。
小雨はまだ降っているが、傘をささなくても大丈夫という程度の雨である。
電柱の広告で一番多いのは、これは実感だが、病院の広告ではなかろうか。街は病院がいっぱいだ。