8時、起床。
ハッシュドビーフ、パン、オレンジジュースの朝食。
今日も原稿書きの一日になる。
だまって今日のわらじ履く 山頭火
息抜きに知り合いのブログをのぞく。「眺める空に描くもの」のreicoさん(最近は「お竜さん」と呼ばせていただいている)の記事の中に山頭火が登場していたので、ちょっとコメントを書き込む。さっそくお竜さんからコメントが返って来たが、そこに私のブログの読者で、私が学生時代に塾の講師をしていたときの教え子(当時、小学6年生)のKさん(ハンドルネームは「lovekove香代子」)が「山頭火って?」と割って入ってきて、3人でチャット風にコメントのやりとりをした。→こちらを参照
昼食は母お手製の野菜の天ぷら。隣のNさんの家からいただいた蕗の薹を天ぷらにした。これがとても美味しかった。
食事をしながら観た「昼ドラ」は『dinnre』の第9話(録画)。毎回スタッフの中の特定の誰かが主人公になるのだが、今日はちょっと違った。料理長の江崎(江口洋介)、前菜担当の浜岡(志賀廣太郎)、パスタ担当の木村(矢嶋智人)の3人が昼間にケータリングで出かけた先から自動車のトラブルで戻れなくってしまい、しかも、副料理長の今井(松重豊)がぎっくり腰でダウン、残った者たちだけでその晩の料理を作ることになるが、終盤で、中堅の夏野(袴田吉彦)までぎっくり腰でダウンしまう。最後はパスタ担当のはずき(関めぐみ)がメインの料理に挑むことになる(もちろん大成功)という話。ベテラン不在でも若手のスタッフだけで難局を切り抜けるという話は、あってもよいが、なくてもよい、というのが私の感想で、おそらく、第9話は視聴率しだいでドラマが途中で打ち切り(短縮)された場合を想定しての調整項だったのではないかと思う。
最近のTVドラマは、スタートにあたって「全何話」であるかを明示しないようになってきている。視聴率がとれなければ、途中で打ち切ることがめずらしくないからだ。途中打ち切りといっても、結末はつけねばならないから、元々は2話分あるいは3話分の話を1話に詰め込んで、話がバタバタと進む。見苦しいしこと甚だしい。脚本を書き換えるわけだから、現場だって大変だ。そうならないための対策として、もし途中打ち切りになったとしても、終盤で、一話をまるまる削除できるような回(調整項)をあらかじめ設けておくという考え方が生まれたとしても不思議ではない。『dinner』第9話がそうだったのではないかと思うのである。そうした脚本の依頼はなかなかしにくい(とくに高名な脚本家に対しては)と思うが、『dinner』は複数の脚本家(全員の名前は番組HPを見てもわからないが、少なくとも4名以上のチーム)が脚本を担当しているので、そうした依頼はしやすかったはずだ。今後、こうしたやり方が一般的になっていくのではないかと思う。
TV中継はなかったが、WBCのキューバ対オランダの試合は9回さよならの大熱戦で、オランダが勝った。私はネットのニュースの実況中継(文字による)をチェックしながら、仕事をしていたが、もし、TV中継がされていたら、仕事の能率は大幅にダウンしたことだろう。明日の晩は日本対オランダ戦。順位決定戦とはいえ、観ないわけにはいかない。昼間、どれだけ原稿が書けるかの勝負である。
けふはここまでの草鞋をぬぐ 山頭火
あの日から2年が経った。この2年間で社会は変ったようでもあり、変らないようでもある。しかし、私個人についていえば、変ったと思う。生活が具体的にどう変ったというのではなく、気持ちの持ち方が違ってきた。それは直接に震災の経験を通じて変った面と、震災とは関係なく、たまたまこの2年間に経験した個人的な出来事の影響による面がある。しかし、後者の個人的な出来事の影響も、震災後という状況の中で出来事を経験したことで増幅されている感じはするので、それもまた震災の影響といえなくはない。どの程度自覚的であるかは別として、われわれはみな震災後の世界を生きている。