フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月1日(金) 雨のち曇り、夜になって再び雨  春一番吹く

2013-03-02 10:51:50 | Weblog

  7時半、起床。今日から3月。 

  塩バターパン(チーズを挟んで)、蓮根と挽肉の炒め、紅茶の朝食。

  午前中は原稿書き。

    いいペースで書き進んでいたのだが、好事魔多し、常時接続にしているメールが突然繋がらなくなった(サーバーにアクセスできなくなる)。原因がわからない。私はビッグローブのメールをメインで使っていて、ワセダネットのメールをサブで使っているのだが、そのメインのメールが使えなくなった。発信するだけだなら、ワセダネットのメールを使えばよいのだが、私宛のメールの大半はビッグローブのアドレスで来るので、それを受信できないのは困る。サービスセンターへ電話をして相談したのだが、原因がわからない。しかし、30分ほどで自然に復旧した。そしてビッグローブの事務局から新しいサーバーへの移行が完了しましたという連絡のメールが届いた。なんだ、切り替え作業をやっていたのか。作業に入る前に連絡をくれればよいのに(年末にそうした作業に順次これから入りますという知らせはあったが、それが具体的に何日の何時なのかは書かれていなかった)。おかげで原稿のペースが乱れてしまった。これは痛かった。

  11時に自宅を出て、大学へ。コート不要の陽気。強い風が吹いている(春一番だったようだ)。

  12時から会合を一件。「たかはし」のお弁当を食べながら。

  1時から2013年度の必修基礎演習の担当教員を集めての説明会。一昨年と昨年は説明をする側の立場だったが、今回は聴く側の立場。いくつかマイナーチェンジあり。全体として規制緩和の方向に進んでいる印象を受けた。 

  ゼミ論集が理工社から届いた。これで3冊目。一期生のゼミ論集の表紙は赤、二期生はだいだい、今回の三期生はやまぶき。グラデーションを考えているわけだが、もし私が定年(70歳)ギリギリまでゼミを担当したとすると、あと12冊続くことになるが、一体、どういう配色になるだろう。あらかじめ考えているわけではなく、いきあたりばったりで決めてます(笑)。

  三期生諸君、卒業式あるいはその前日の現代人間論系卒業パーティーのときに渡しますが、もし早めにほしければ、研究室まで取りに来てください。なお、四期生(新4年生)、五期生(新3年生)の諸君には新年度の初回のゼミの時間に配布します。現代人間論系室にも一冊寄贈しますので、ゼミ生以外の学生も閲覧可能です。

   卒業生のAさんから本を送っていただいた。紀本直美『さくさくさくらミルフィーユ』(創風社出版)。俳句集である。「紀本直美」はペンネームである。彼女に俳句の趣味があったとは知らなかったな、そう思いながら、開いてみて、驚いた。趣味のレベルを大きく越えた、瑞々しい感性で創られた作品がそこには並んでいた。パッと見た感じでは、恋と食べ物をモチーフにした作品が多いこと、ひらがなの表記が多いことが特徴である。

     パリパリのわたしの気持ち春キャベツ

     ネーブルのまじめくさった皮をむく

     次あくびしたらこの茄子入れてやる

     泥鰌鍋前のダンナの顔で食う

     さくらんぼたべていますぐでていって

     前向きに善処しているさつまいも

     無花果の別れ話がこじれてる

     結婚にこがれてつるし柿になる

     ふぐ食ってうっかり成仏してしまえ

     どの道もさくさくさくらミルフィーユ

  Aさんはいま絵本の編集と脚本の仕事をしている。演習の授業のとき(10数年も昔のことだ)、レポートの内容は覚えていないが、あなたはいい文章を書くねとAさんに言ったことがある。なぜ覚えているかと言うと、めったにそういうことを言わないからだ。タイトルがいいとか、字がきれいだとか、ホチキスの止め方がいいとかは言うが、文章がいいというのはめったに言わない。20年近く教員をしているが、文章がいいと褒めた学生は10人に満たないのではなかろうか。教育上、褒めることは大切だが、心にもないことは言えない。水で薄めたような言葉は使いたくない。言葉のインフレーションはいやだ。いい文章だねというときは、そう心から言いたい。そう思ってやってきた。

  『さくさくさくらミルフィーユ』の頁をめくりながら、自分の評価は間違っていなかったなと思った。


彼女は『紀本直美の俳句ブログ』というのをやっている。

  夕方、「トンボロ」に寄る。『さくらさくさくミルフィーユ』をじっくり味わうためだ。

  私が店に入ったとき、入れ替わるように出て行った女性がいた。見覚えのある顔だったが、他人の空似というやつかもしれず、声はかけなかった。私の頭に浮かんだのは二文の卒業生のNさんである。1年生のときの基礎演習の学生で、私がクラス担任だった。非常に元気のいい学生で、クラスの雰囲気がよかったのも、彼女の存在によるところが大きかった。1年半ほど前になるが、すでに社会人になっていたNさんからメールが届き、久しぶりで先生にお会いしたいですと言ってきた。いつでもどうぞと返信をしたが、その後、パッタリ連絡がなく、どうしたのだろうと気になっていた。そんなことがあったので、帰宅してから、もう使われていないかもしれないNさんのアドレスにメールを送ってみた。今日、神楽坂の「トンボロ」というカフェであなたに似た人を見かけたのだけれど、あれはあなたでしたかと。

  深夜、Nさんから返信があった。やはりNさんだった。今日たまたま神楽坂で夕方から仕事の打ち合わせがあり、約束の時刻まで間があったので、時間つぶしにたまたま入ったのが「トンボロ」で、初めて入るカフェでしたとのこと。しかも、Nさんも私に連絡をとりたいと思っていたところだったという。人生にはたまにこういうことがある。山田太一のドラマのタイトルを借りれていうならば、「ありふれた奇跡」である。  

   「梅花亭」で桜餅(江戸風と京風)と草餅と桜の花びらの形をしたお菓子を買って帰る。


さくさくさくらの和菓子です

   一昨日の私のブログで『眺める空に描くもの』のことを知って、さっそくリンク先に飛んでいった卒業生のTさん(私も一目置くブロガーである)が、それに触発されて、自身のブログ『つぼみな日々』「私のブログライフ」という記事をアップしていた。400字詰め原稿用紙に換算して16、7枚になる長編である。すごいパワーだ。竜虎相搏つという感じである(違うか)。原稿で青息吐息の私にどうかそのパワーを少し分けてほしいと思う。