フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月22日(月) 晴れ

2006-05-23 02:14:32 | Weblog
  午前、歯科。左上の奥歯でものが噛めなくなってひさしい。あれやこれやで予約を二度キャンセルしてようやく今日治療を受けられる。ずっと昔に処置したところを掘り返して歯根の炎症の治療をすることになった。治療には時間がかかりそうだ。
  医者から「一時間はものを食べないで下さい」と言われたので、帰宅して、1時間半ほど空腹を我慢してから、冷凍の「カルビ丼の素」というのを沸騰したお湯で暖めて御飯の上に掛けて昼飯とする。もっぱら右側の奥歯で肉を噛む。食べながら今日から始まった宮藤官九郎脚本の昼ドラ『吾輩は主婦である』を観る。主人公の主婦(斉藤由貴)に夏目漱石が乗り移るという設定で、しかもミュージカル仕立てという、昼ドラの概念を破壊する異色の昼ドラである。ビデオに録ってまでは観ないと思うが、家にいる日は観ることになるでしょうね。
  母と一緒に大田区役所に行き、遺族年金の手続きに必要な住民票、非課税証明書、死亡届記載事項証明書などをとってくる。書類の申請は短時間で済んだが、受け取るまでの待ち時間の長かったこと! その間、ずっと母のとりとめのない昔話に付き合わされる。セラピストという仕事はきっと大変だろうなと思ってしまう。
  窓口で書類を受け取って、母はそのまま帰宅、私はくまざわ書店に寄る。以下の本を購入。

  坂本満津夫『高見順の「昭和」』(鳥影社)
  安藤章太郎『僕の東京地図』(世界文化社)
  苅部直『丸山眞男』(岩波新書)
  伊藤光晴『現代に生きるケインズ』(岩波新書)
  鹿野政直『岩波新書の歴史』(岩波新書)
  坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』(文春新書)

  高見順は「清水幾太郎と彼らの時代」の「彼ら」の一人である。清水と同じ1907年(明治40年)の生まれだから、来年が生誕百年である。たんに同じ年の生まれというだけでなく、清水と高見との間には交流があった。清水の三冊目の自伝『わが人生の断片』の第二章のタイトルは「ビルマの高見順」である。『わが人生の断片』は通常の自伝と違って、人生の途中、昭和16年の暮れ(太平洋戦争開戦の2週間ばかり後)、湯島の鳥屋で開かれた忘年会の話から始まっている。その忘年会での話題の一つが、高見順らの作家が徴用で南方へ派遣されたことだった。清水が「僕たちも徴用されるかな」と呟くと、三木清が「そんな馬鹿なことがあるものか。われわれを徴用したら、あちらが困る」と言い、中島健蔵が「そうだ」とこれに和した。しかし、清水も三木も中島もそれからほどなくして徴用され、清水はビルマへ、三木はフィリピンへ、中島はマレーにそれぞれ派遣される。そして清水はビルマで高見順と出会うことになるのである…。この話はいずれ「研究ノート」の方に書くことになるだろう。
  さて、明日から職場復帰だ。いきなり会議が三つ控えている。ちゃんと適応できるだろうか。