フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月19日(金) 曇り時々小雨

2006-05-20 01:10:32 | Weblog
  午前中に葬儀社の経理の人が自宅に来て、父の葬儀代の支払いを済ます。東京で独り者が月10万の部屋を借りて、慎ましく暮らせば、一年間はやっていける金額である。少々お金を掛けすぎたのかと思い、経理の女性に尋ねると、彼女はちょっと考えるように素振りをしてから、「いえ、一般的な額だと思います」と答えた。そ、そうか。これが普通なのか。ちなみにインターネットで調べたら、最近の結婚式にかかる費用は平均350万円とのことだった。葬式と結婚式の費用はいつの時代でもパラレルな関係にあるのかもしれない。
  午後、郵便局に行って「日本の古本屋」で購入した清水幾太郎『人生案内』(岩波書店、1954)の代金を振り込む。それから税務署と社会保険事務所へ行って「戦後処理」(準確定申告と厚生年金の停止)のための申請書類をもらってくる。NTTの営業所にも行ったのだが、知らないうちに閉店となっており、電話加入権(前世紀の遺物!)の相続に関する書類はインターネットでダウンロードするシステムになっていた。
  夕方、今日一日の「業務」を終えて、絲山秋子『ニート』(角川書店)を読む。文学賞を取った女性が、昔の彼氏の極貧生活を綴ったブログを読んで、彼にお金を貸してやろうとする話だ。

  「せめて夢でもあれば世間は大目に見てくれるかもしれない。少なくとも、私は物書きになりたいという夢だけで、世間にはずいぶん許してもらっていた。世間だけじゃない。自分で自分のことを大目に見ることだってできた。けれど夢なんて言おうものならキミはせせら笑うに違いない。
  キミは今、ギリギリ二十代だ。キミは殆ど、生きることをやめてしまった。あのサイトだけを残して社会からは姿を消した。私はキミの社会復帰なんか別に願わない。私はキミに対してどんな責任も持っていないのだから、口を出す権利はない。お互い様だ。イヤな言葉を使えば「対等」ってやつだ。
  だけど私はその「対等」を崩そうとしている。」

  ほろ苦い話だ。絲山秋子は女性作家の皮を被った重松清である。
  娘が早稲田に劇団「北京蝶々」の公演を観に出かけるというので、早稲田駅から大隈講堂裏までの道順を教える。私も一緒にどうかと言われたのだが、今日の授業を休講にしておいて、7限に相当する時間に学生サークルの芝居を見物していてはやはりまずいだろう。夕食の後、録画しておいたTVドラマ『弁護士のくず』を観て、その後、NHKスペシャル「アマゾンの攻防~日・米・中 大豆争奪戦」を観た。グローバル化の社会学の教材としてもってこいの内容だった。NHKスペシャルは社会学専修の学生なら必見の番組だと常々思っているが、観ている学生は呆れるほど少ないのである。せめて私の演習の学生たちは欠かさず観てほしいものである(今回のNHKスペシャルは5月30日の深夜に再放送の予定)。