花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「印度更紗」について

2011-08-31 | 更紗について

presented by hanamura


8 月も終わり、季節は夏から秋へと移っていきます。
台風が近づいているせいで、
不安定な天気の日が続いていますが、
晴れた日の夜には、
虫の声が聞こえてくることもありますね。

花邑銀座店では、これからの季節の装いに向けて、
毎年ご好評いただいている
「更紗の帯展」を 9 月 1 日から開催します。

18 世紀のインドでつくられた希少な印度更紗や、
江戸時代後期~現代ものの和更紗やヨーロッパ更紗など、
洒脱なお色柄の更紗を厳選してお仕立てしました。

花邑銀座店のウェブショップでも
9 月 1 日に新着の秋冬のお着物と合わせて
全商品をご紹介します。
ロマンの香り漂う更紗布の魅力が、
少しでもお伝えできれば幸いに存じます。

そこで今日は、「更紗の帯展」にちなみ、
更紗の発祥地であるインドでつくられている
印度更紗についてお話ししましょう。

「更紗」というと、広義では
文様があらわされた木綿布を指します。

インドではすでに紀元前 3000 年頃には綿花が栽培されていて、
更紗の素材となる綿織物がつくられていました。
この綿織物に手書きでさまざまな意匠を染めたものが
当初の更紗です。

やがて、染色技術が進むにつれ、
インド茜などを染料とした鮮やかな色彩の更紗が誕生します。

インダス文明の古代都市であるモヘンジョ・ダロの遺跡では、
紀元前 2000 年前の地層から、
茜染めの木綿布が発掘されています。

印度更紗独自の茜色は、
インドで自生するインド茜を染料として、
媒染剤に用いられるみょうばんに
鉄分を混ぜ、染め上げられます。

この茜色に染められた更紗は、
紀元後まもなくには地中海広域にも伝えられました。
当時、その色の美しさは女性の持つ
崇高な美しさに例えられたようです。

また、インドではこの茜色が神聖な色とされ、
お祝い事の席などに茜色の更紗が用いられました。

7世紀には、防染による染色方法が考案され、
木版をつかった型染めや
カラムと呼ばれる鉄や竹のペンを用いて
蝋染めを施した更紗がつくられるようになりました。

ちなみに、印度更紗のこの技法は、
現在でもさほど変わらず、継承されているようです。

染色技術が発明され、使用されるのに従い、
印度ではさまざまな更紗がつくられるようになります。

広大な土地をもつ印度では、
さまざまな民族が移り住み、
その地域により信仰する宗教も異なりました。
そのため、更紗もその地域の宗教色が強く反映された
柄行きのものがつくられました。

イスラム教の影響を受けた北部では、
ペルシャ調の流麗な文様があらわされた更紗がつくられ、
ヒンドゥー教の影響を受けた南部では、
ヒンドゥー教の神々や人物、動植物があらわされた更紗がつくられました。

やがて16世紀になると、南部を除くインド全域を支配したムガル王朝が誕生します。
このムガル王朝は染織や工芸品に重きを置いて
職人を手厚く保護したため、
インドの染織技術は最高の水準に達しました。
また、ムガル王朝はイスラム教を信仰したため、
イスラム文化の影響を受けたペルシャ調の華麗な更紗が多くつくられ、
最高級のものは、王や貴族などが使用しました。

大航海時代になると、こうした最高級の更紗が
インドから世界各地にもたらされました。



上の写真は 18 世紀にインドでつくられた希少な鬼手の印度更紗です。
古来より人々を魅了してきた茜色の深い色合いが美しく、
木版染めによる素朴な花文様が可愛らしさを添えています。

次回はさまざまな国にもたらされた印度更紗のお話しです。


上の写真の印度更紗は「更紗の帯展」でご紹介している
お染名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は9月7日(水)予定です。

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