presented by hanamura ginza
秋分を迎え、東京では日中でも、
肌寒さを感じる日が多くなりました。
紅葉がはじまったところもあるようで、
少しずつ夏から秋へと景色が変わっているようです。
街を歩く人々の装いも衣替えされ、
あたたかなお色目やふんわりとした風合いのお召しものが
目に入るようになりました。
とくに、柄行きの映えるお着物では、
お色目や風合いが季節感を演出しているほか、
モチーフとなっている草花などが
季節を反映しているものも多くあります。
つまり、着物や帯は、
季節がもっともよくあらわされているお召しもの
といえるでしょう。
また、着物や帯の文様には、
そうした季節感だけではなく、
その素材がつくられた時代の雰囲気を写し取ったようなものも
見受けられます。
とくに、古い時代につくられたものでは
意匠となっているお色目やモチーフに
当時の流行や世俗などがよくあらわれていて、
そうしたものをじっくりと眺めていると、
その時代の空気や匂いまでもが感じられるようで、
とても楽しいものです。
そこで今日は、ただいま花邑 銀座店で紹介している帯のなかから、
時代を映した文様を 2 点ご紹介しましょう。
下の写真は、明治時代につくられた和更紗からお仕立てした名古屋帯です。
時代を経て枯れたお色目と、ざっくりとした木綿の地風が
布地全体に配されたさまざまな形の土器やそのかけら、勾玉などの文様と響きあい、
豊かな奥行きをもたらしています。
こうした土器や勾玉が配された文様は、
和更紗はもちろん、着物や帯の意匠としては
ほとんど見ることがない、たいへんめずらしいものです。
このような文様がなぜつくられたのでしょう。
意匠のモチーフとなっている土器や勾玉は、
古代の遺跡から発掘されます。
博物館などに展示されていて、
興味があれば誰でも見ることができるので、
実物をご覧になったことがある方も多いでしょう。
現在では、考古学の研究も進み、
日本全国で数多くの遺跡が発掘され、
いろいろな遺物が出土しています。
しかし、こうした考古学の研究が日本ではじめられたのは、
この和更紗がつくられた明治時代に入ってからでした。
江戸時代には、あの水戸黄門が発掘調査を行っていたようですが、
明治時代になり、はじめて考古学の視点から発掘調査が行われ、
全国で大規模な遺跡が発見されるようになったのです。
縄文時代や弥生時代の地層から出土される
不思議な形をした土器や勾玉は、注目を集め、
人々の話題となりました。
土器や勾玉を配した上の文様は、
まさにその当時の人々の話題を取り入れた文様なのです。
いびつで、どこか可愛らしい土器や勾玉の姿からは、
作り手の美意識や遊び心も感じられます。
また、下の写真は明治~大正時代につくられた絹布から
お仕立て替えしたものです。
十字の紋章をつけた兵士たちに、船、女性たち
といった不思議な意匠ですが、
よく見ると、木や家などに繋ぎ目が見え、
それが張りぼてであることがわかります。
どうやらこの意匠は、お芝居の一場面をあらわしたもののようです。
それも、十字の紋章から「十字軍」ということが推測されるので、
歌舞伎や能のような日本の芸能ではなく、
西洋のお芝居と思われます。
都市の西洋化が進んだ当時、
西洋からもたらされる文化は、
憧れをもって受け入れられ、広まりました。
その中で、明治18年、
日本で初めて日本人によるシェイクスピアの
「ヴェニスの商人」が大阪の戎座(えびすざ)にて上演されました。
「ヴェニスの商人」は、この時代より少し前に翻訳されたものが
新聞に掲載され、人気となっていました。
ちなみに翻訳されたタイトルは『何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)』のようです。
上の文様は、その当時の話題をあらわしたものかと思われます。
はじめて見る西洋の演劇を人々はどのように感じたのでしょう。
こちらは、羽織裏地に用いられていた絹布ですが、
現在眺めても斬新な意匠に
アンティークならではの渋みをもったお色目が調和しています。
それにしても、当時、こちらを着用していた方は、
とてもハイカラな方だったのだろうと思われます。
こうしたその時代の記念すべき事柄や話題、
世相などが映し出された意匠に出会うとき、
謎解きのような面白さはもちろんのこと、
当時の人々の息吹までもが伝わってくるような
ささやかで身近な歴史のロマンを感じることができるのです。
※上の写真の器物尽くし 和更紗 名古屋帯と、幾何学文に芝居文 名古屋帯は花邑銀座店でご紹介している名古屋帯です。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は10月5日(水)予定です。
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