花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「タンポポの文様」について

2014-02-20 | 文様について

presented by hanamura ginza


暦の上では雨水(うすい)を迎えましたが、
冷たい風が吹く寒い日がつづいています。
日陰には、積もった雪が溶けずに残っていますが、
来週にはようやくこの寒さも和らぐということで、
雪は溶けて、春の兆しを感じることができそうです。

いつも通る道で、芽吹きはじめた草花などを目にすると、
春からの便りを受け取ったような気持ちになり嬉しいものですね。
その回数が多くなってくると、いよいよ春も間近です。

花邑銀座店では、さまざまな花々が咲き香るこれからの季節に向けて
3 月 1 日より「花の帯展」を開催します。

そこで、今日はその帯展でご紹介する帯の意匠から、
春の花として親しまれてきた
タンポポの文様についてお話ししましょう。

春になると道端のあちらこちらで咲く
黄色いタンポポの姿は、
春の風物詩のひとつですね。
ぱっと咲いて一瞬で散ってしまう桜の儚さも良いものですが、
背伸びをしているかのようにまっすくに茎を伸ばし、
黄色くかわいらしい花を咲かせるタンポポの姿は、
とても愛らしく、桜とは異なった美しさを感じます。
アスファルトの割れ目などからでも花を咲かせる
その生命力の強さにも感心してしまいます。
また、花が咲いた後にできる白い綿毛も
ふわふわと軽やかな気分を感じさせ、
とても愛らしいですね。

タンポポは、古代より世界各地に自生する植物で、
その種類は 200 種もあるとされています。

日本では、明治時代の頃に西洋からもたらされた西洋タンポポと、
古来より日本に自生してきた日本タンポポが自生していますが、
日本タンポポだけでも 20 種類以上があるそうです。

古代のエジプトでは、タンポポを食用として育てていたようですが、
日本でも、タンポポを食用として採集していました。

日本ではじめにタンポポのことが紹介されたのは、
平安時代のころです。
日本最古の薬物辞典とされている「本草和名(ほんぞうわみょう)」に、
その記載が見受けられ、タンポポを薬草として食していたことが分かります。

ちなみに、現代でもタンポポの根を細かく切り、火で焦がしてつくる
「タンポポコーヒー」がありますが、
タンポポコーヒーには、
ホルモンバランスを整えたり、分泌促進作用があるといわれています。

「タンポポ」というかわいらしい名前は、
花の形が鼓(つづみ)に似ている、
あるいは茎の両端を細く裂き水に浸けると広がって鼓の形になり、
その鼓の音が「タン、ポポ」と鳴ることが由来とされているようです。

「本草和名」が編纂された平安時代の頃には
「タンポポ」という呼び名ではなく、
布知奈(フチナ)もしくは多奈(タナ)と呼ばれていましたが、
安土桃山時代に書かれた国語辞典「節用集(せつようしゅう)」に
はじめて「タンポポ」というよび名が登場します。

江戸時代になって「タンポポ」という名前が定着すると、
絵画や着物などのモチーフに、
野の花を代表する花として用いられるようになりました。

また、江戸時代にはタンポポの品種改良が流行して、
さまざまな種類のタンポポがつくられるようになったようです。



上の写真の名古屋帯は、大正~昭和初期ごろにつくられた絹布から
お仕立て替えしたものです。
春から初夏にかけて咲く草花とともに、
黄色いタンポポを背景にして
カラフルな色合いで尾長鳥があらわされています。
春がやってきて、うきうきするような気持ちが
あらわされているようですね。

※上の写真の名古屋帯は「花の帯展」でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 3 月 6 日(木)予定です。
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「萌黄色」について

2014-02-06 | 和の伝統色について

presented by hanamura ginza


立春を迎えましたが、
まだまだ春は先と思えるような寒い日がつづいています。

それでも、家の近くに植えられた梅の蕾もほころびはじめ、
木の枝には新芽が芽吹いています。

寒空の下で眺める鮮やかな紅色の梅も美しいものですが、
黄緑色の新芽にも生命力あふれる瑞々しさが感じられます。
初々しく顔を出した新芽の姿は、見ているだけでも心が緩みます。

遠い昔の人々も、こうした新芽に心を惹かれたのでしょう。
伝統色には、、若芽色、若苗色、若草色、若葉色、萌黄(もえぎ)色など、
新芽や若葉をあらわした色が多く残されています。
今日はその中のひとつ、「萌黄色」についてお話ししましょう。

萌黄色とは、藍に刈安などの黄色系統を加えて染め上げられた色で、
名前のように草木が萌え出る時の色を表現したものです。

若葉色や若草色など、
他の黄緑色も萌黄色と同じように
藍に刈安を加えて染め上げられた色で、
色の配分によりさまざまな黄緑色がつくられました。

その中でも萌黄色は、平安時代の頃より広く用いられ、
爽やかな色調のためか、若者の色として人気がありました。
平安時代の後期につくられた「今昔物語」や
鎌倉時代につくられた「平家物語」では、
萌黄色の衣装や鎧を身にまとった若者が登場し、
色を通して若者の初々しさや清々しさが表現されています。

江戸時代になると、
近江でつくられた萌黄色の蚊帳が大流行しました。
蚊帳そのものの人気もありましたが、
とくに萌葱色の蚊帳が人気だったのは、
萌黄色には人を和ませる効果があるとされていたためのようです。
当時つくられた浮世絵の中には、
この萌葱色の蚊帳を張った遊女部屋の様子が描かれています。

ちなみに、萌黄(もえぎ)色と同じ呼び名の萌葱(もえぎ)色という色もあり、
この萌葱色も江戸時代に流行しました。
萌葱色は葱の芽の色をあらわした濃い緑色とされ、
歌舞伎でみられる縦縞の幕の色としても用いられています。
同じ呼び名で、両方とも緑色系統の色合いなので混乱してしまいますが、
萌葱色は江戸時代につくられた色で、
浅葱色の人気に引きつられその名前がつけられたようです。





上の写真の信州紬は、
その萌黄色と若草色などの色合いと焦茶色で格子縞が織り出されたものです。
爽やかな萌黄色にあたたかみのある茶色の組み合わせは、
これからの季節にみられる萌え出る若芽の透明感のある美しさが感じられます。

春の訪れを感じさせる色合いの着物を身にまとい、
立春を祝いたいですね。

上の写真の「格子縞文様 信州紬(松本紬) 袷 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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「鬼」の文様について

2014-01-23 | 文様について

presented by hanamura ginza


大寒を迎え、しんしんしんと冷え込む日が続いています。
北国では、大雪が降り積もっているところも多いようで、
自然災害がないように祈るばかりです。

それでも、大寒が過ぎれば立春ということで、
明るい色合いの着物や帯、小物などに目が行くようになり、
気持ちは少しずつ春を迎える準備に向かっています。

立春といえば節分ですね。
家の扉や窓を開けて風を通し、
「鬼は外! 福は内!」の掛け声とともに
豆を外にパラパラと打ちまくと、
寒さで縮こまっていた身体や気持ちまで、
きりりとするように感じられます。

さて、この「福は内、鬼は外」ですが、
地方や寺社によっては「鬼」を祀っている場合もあり、
その際には「福は内、鬼は内」と言うようです。

このエピソードでも分かるように、
日本人にとって、鬼は単純に「悪いもの」という捉え方だけではなく、
場合によっては「良いもの」ともされ、
古来より物語や伝統芸能、絵画などにも頻繁に登場し、
日本の文化に深く携わってきました。

今日は、この「鬼」の文様についてお話ししましょう。

鬼(おに)という言葉が、
はじめて用いられたのはいつの時代かは定かではありません。
しかし、奈良時代に編纂された「日本書紀」や「古事記」には
すでに「おに」という記載が見受けられることから、
この時代には「おに」という概念があったのだとされています。

また、この時代には建物の安泰を祈り、
悪霊がこないようにと、
鬼の面を彫った鬼瓦が屋根の端に取り付けられました。

鬼の語源は「隠(おぬ)」ともいわれ、
姿のみえない異界のもの、人の力を超えたものを指す言葉として用いられ、
のちに「怖いもの」や「強いもの」「ものすごい」
という広い意味合いを持つようになっていったようです。

鬼が物語のなかに登場するようになったのは、
平安時代のころです。
「伊勢物語」や「今昔物語」には、鬼の話が多く記載されていて、
その中には真っ赤な顔、一つ目、2メートル以上の背丈、
振り乱れた髪といった鬼の特徴があらわされたりもしています。

また、現代でもみられるような鬼の姿、
つまり、頭に牛の角を生やし、
虎の皮のパンツをはいているといった容姿も
この時代に考えられました。
この牛と虎の様相も盛り込まれた姿は、
当時、丑(牛)の方角と寅の方角が
鬼門とされていたことに由来するそうです。

室町時代になると、
「百鬼夜行絵巻」や「不動利益縁起」などの絵画に、
鬼は多くあらわされるようになりました。
また、京の大江山に棲む酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼退治の話や
桃太郎の鬼退治などの話も書かれ、
能でも鬼となった女の話がつくられました。

やがて、江戸時代になると、
鬼は畏怖する対象としてだけではなく、
絵画や物語の中では、ときに親しみやすい人間味のある存在としても
あらわされるようになっていきました。
当時流行した「大津絵」という風刺画でも、
鬼はモチーフとして多く描かれ、
どこかユーモラスな姿をした鬼の絵が
とくに人気となりました。



上の写真の名古屋帯は、昭和初期ごろにつくられた緞子織の絹布からお仕立てしたものです。
遊び心の感じられる意匠がユーモラスなのに反し
緞子織ならではの艶に重厚感が感じられ、
洒脱な雰囲気を醸しています。
こちらにあらわされた鬼の絵図は、
「大津絵」の中でもとくに人気のあった「鬼の寒念佛」をモチーフにしたものです。
僧衣を着ている鬼の絵は、
偽善者をあらわしたものとされ、
衣装や小道具で飾っても本当の姿は透けて見えるという意味合いがあるようです。



また、鬼の角は人々の我欲を表現していて、
この絵に描かれた角が折れた鬼の姿は、
それを折る事を教えているとも言われています。
鬼の住処(すみか)は人の心のなかにあり、
鬼というものを通して、私たち人間を省みるという意味合いがあるのでしょう。


上の写真の「大津絵の絵図 緞子 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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「唐松文様」について

2014-01-09 | 文様について

presented by hanamura ginza


今年はじめてのブログになります。
旧年中はお引き立ていただき、誠にありがとうございました。
本年も変わらぬご愛顧のほど、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

新しい年を迎えて 1 週間が過ぎました。
少し前まで、お正月のおごそかな雰囲気に包まれていた街も、
少しずつ、普段通りの街へと戻っています。

玄関に置かれた門松や、
戸に飾られたしめ飾りが取り除かれると、
お正月が終わったのだという心持ちになりますね。

門松に用いられる松は、
古来より年神さまが宿られる依り代と考えられ、
この松を玄関や門の前に飾る期間は、
「松の内」とよばれています。

松の内の期間は地方によっても異なり、
元旦から 1 月 7 日までとする場合と、
15 日の小正月までとする場合があるそうですが、
いずれにしても、この松の内が終わると、お正月も終了します。

この門松のように、
松は日本の文化とゆかりの深い樹木のひとつです。

日本には、クロマツ、アカマツ、カラマツなど、
8 種類の松が生育していていますが、
木材や食材などの用途以外に、
盆栽などの観賞用としても人気があります。

また、吉祥文様としても着物の意匠に多く用いられ、
松葉や笠松など、いろいろな松が文様化されてきました。
今日は、その中のひとつ、唐松文様についてお話ししましょう。

唐松とは、東北から関東にかけて生育している松の一種で、
世界中でも日本にしかない固有種の樹木です。
日当りの良い場所を好み、
太陽の光りを他の木々にさえぎられることなく
より高くまっすぐに育ちます。

松の多くは、一年中緑色の葉を付けた常緑樹ですが、
唐松は秋になると葉が紅葉し、冬になると葉を落とします。
そして、春を迎えると初々しい若草色の新芽をだします。

この唐松の若芽の姿を放射状にあらわして意匠化したものが、
「唐松文様」と呼ばれています。

唐松文様は、江戸時代に人気を博した文様で、
当時つくられた浮世絵や陶磁器、小袖などの意匠に多く登場します。



上の写真は、京友禅の老舗、千總製の付け下げ小紋です。
肩から裾にかけて末広がりで大きくなるよう、
全体に余すところなく染めあらわされた唐松文様の意匠は、
シンプルだからこそ繊細な染付の美しさが感じられ、
品の良い華やぎがあります。

すくすくと伸びていく若芽の生命力をあらわした唐松文様は、
新春のお出かけにも重宝いただけそうですね。


※上の写真の「千總(ちそう)製 黒茶色 唐松文様 付け下げ小紋 袷」は 1 月 10 日(金)に花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

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「水仙文様」について

2013-12-26 | 文様について

presented by hanamura ginza


クリスマスを過ぎ、
いよいよ今年も残すところわずかです。

冬至も越え、気温はぐんと低くなり、
北国では、雪が降り積もっている所も多くあるようです。

冬至は、1 年の中で一番日照時間が短い日になりますが、
この冬至を境にして、また日照時間が長くなっていくことから、
陰から陽にかわる「一陽来復(いちようらいふく)の日」とも考えられています。

現代では、クリスマスと冬至の時期が重なるため
ついつい忘れてしまいがちですが、
冬至の日には、南瓜を食べ、
柚子を湯船に浮かべるという慣習があります。

一説には、お日様の色を連想させる橙色の南瓜と黄色い柚子を身体に取り入れ、
陽の力を授かるという意味合いが込められているということです。

今日お話しする水仙は、
その力をいち早く授かるかのように、
ちょうど冬至のころに黄色や白色といったお日様の色をした花を咲かせます。

厳しい寒さの中でけなげに咲いている水仙をみかけると、
背筋が伸びる気持ちがしてきますね。

水仙は、その可憐な姿とは対照的に生命力が強く、
乾燥地や湿潤地など、さまざまな環境で育ちます。
彼岸花の一種で、球根で増えるため、
遠い昔から世界各地で自生し、
古代エジプトや古代ギリシャでは栽培もされていました。

水仙はギリシャ神話にも登場します。
美少年のナルシスが、池の水面に写る自分の姿に恋焦がれて死んでしまうというお話しがありますが、
そのナルシスが死んだあとに咲いた花が、水仙でした。
これは、少し下を向いて水辺に咲く花の姿が、
水面に写る自分を眺めるナルシスの面影をあらわしているためだとされています。

一方、古代の中国においては、
その姿が水辺に佇む思慮深い仙人に例えられ、
「水仙」という名前がつけられました。

その水仙が日本にもたられたのがいつ頃なのかは、
定かではありません。
西欧や中国のように水仙を愛でることは
長い間日本では行われていなかったようで、
平安時代や室町時代、戦国時代などの文献にも
水仙に対する記載が見当たらないようです。

その水仙が、一躍人気となったのは江戸時代のころです。

寒さの中で花を咲かせ、香りも良い水仙は、
「雪中花」ともよばれ、
詫び錆びの精神とも結びつき、
茶席では、茶花として盛んに水仙が用いられるようになりました。

また、当時人気を博した絵師の尾形光琳、尾形乾山の兄弟も
作品のモチーフに水仙を多用し、水仙ブームに一役買ったようです。

それまで注目されなかった分を取り戻そうとするように、
当時つくられた陶磁器や襖絵などの美術品にも
水仙は度々登場し、小袖の意匠にも用いられるようになりました。



上の写真は、大正~昭和初期ごろにつくられた絹縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
まだ澄み切らない冬空の下で凛と咲いた
水仙の美しい佇まいがあらわされています。

水仙は開花時期も長く、
4 月ごろまで楽しめるのも、魅力のひとつですね。

また、西欧では水仙が希望をあらわすシンボルとして用いられることも多いようなので、
新年にふさわしい花ともいえるでしょう。


※上の写真の「水仙文様 型染め 名古屋帯 」は 2014 年 1 月 3 日に花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

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