花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「鯉文様」について

2014-05-08 | 文様について

presented by hanamura ginza


立夏を迎え、夏本番まであと少しといったところですが、
季節の変わり目のためか、
すっきりと晴れる日が少なく、肌寒い日が続くときもあります。
今年は端午の節句に雨だった地域が多く、
青空を泳ぐ鯉のぼりの姿を見られなかったのは
とても残念でした。

端午の節句は、もともと梅雨入り前に豊作を願う行事として
旧暦の五月五日ごろ(新暦では 6 月初旬から中旬)に行われていました。
現代では五月晴れに鯉のぼりといった光景を思い浮かべますが、
昔は、梅雨入り前のくもり空を泳ぐ鯉のぼりといった光景だったのでしょう。
ちなみに、「五月晴れ」といえば本来は梅雨の晴れ間のことで、
現代のイメージの「五月晴れ」とは意味が異なります。

端午の節句に鯉のぼりを上げる風習は、
江戸時代の頃よりはじめられました。

端午の節句は男児の成長を祝う行事ですが、
武士の家では、先祖から受け継がれた兜や鎧などを飾り、
戦の時に上げる家紋入りの幟旗(のぼりばた)を上げたようです。

この武家ならではの風習を取り入れたのが、
当時の商人たちです。
商人たちは、武家に負けじと幟旗を真似た吹流しを上げるようになりました。
しだいにこの吹流しも優劣を競うようになり、
鮮やかな色に染めたものや、
絵をあらわしたものが登場しました。
そして、さらに時代を経ると
現代でもお馴染みの鯉の絵図が描かれるようになりました。

空を泳ぐようにひらひらと舞う鯉のぼりの姿は、
いまみても圧巻ですが、当時の人々もその光景を楽しんでいたことでしょう。

当時、こうした鯉のぼりを上げるのは江戸のみだったようで、
歌川広重の描いた「名所江戸百景」の中にも、
江戸の街に鯉のぼりが上げられた情景があらわされています。

鯉のぼりのモチーフとなった鯉は、
古来の中国では「龍門」という急流を登り、
やがて龍になる生き物と考えられていました。
日本でもこうした考えが広められ、
出世魚といわれて、鯉が流れに逆らって泳ぐ姿や、
滝を登る姿が縁起がよいとされてきました。

実際、鯉は他の魚に比べて生命力が強く、
なかには 70 歳まで生きるものもいるようです。
また、水が汚れていても大丈夫で、
環境適応能力にも優れています。

川などに棲息している自然の鯉は、
黒色のものが多いのですが、
こういった鯉は「野鯉」といわれています。
野鯉は古くから日本に棲息して、
魚が獲れない地域では貴重なたんぱく源として
重宝されたようです。

一方、黒色以外の鯉は「色鯉」といわれ、
観賞用に色を改良されたものを「錦鯉」と呼びます。
錦鯉の飼育は、江戸時代末に新潟県ではじめられ、
きれいな色柄の錦鯉は高額で取引されています。

公園の池などでも、こうした錦鯉を目にする機会がありますね。
錦鯉は、その色柄によって紅白、浅黄、黄金などの名前が付けられ、
現在では海外(とくに中国)にも多く輸出されています。





上の写真は、大正~昭和初期ごろにつくられた絹布からお仕立て替えした半巾帯です。
飛び跳ねるような姿であらわされた鯉の絵図からは、
躍動感が感じられます。
つぶらな瞳の表情もかわいらしいですね。
鯉は、このように吉祥の文様として着物の意匠にも多く用いられています。


※上の写真の「波に鯉文様 型染め 半巾帯」は 5 月末に花邑 銀座店で開催予定の「半巾の帯展」でご紹介する商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 5 月 22 日(木)予定です。
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「業平菱(なりひらびし)文様」について

2014-04-24 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく 5 月。
風に揺れてすいすいと泳ぐ鯉のぼりが
新緑の合い間に見え隠れしています。
初夏の陽射しに照らされた若葉が目に眩しいですね。
すっかり葉桜となった桜をみると、
少し前までは、満開だった桜景色がうそのように感じられます。
また、道端で鮮やかな黄色い花を咲かせていたタンポポも、
白い綿毛へと姿を変えています。

春から初夏にかけたこの季節は、
桜やタンポポ、藤や百合、杜若や紫陽花などの花々が
バトンを渡すように順に咲いていきます。
それらの花々を眺めていると、
一層季節の移ろいが感じられるものです。

花は、遠い昔から季節感をあらわすものとして、
和歌や俳句などに多く登場しますが、
これからの季節といえば、杜若ですね。

杜若を題材にした作品といえば、
「伊勢物語」の八つ橋の場面で詠まれた
「唐衣着つつなれにし妻しあれば
はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」
(着馴れた唐衣のように添い馴れた妻が都にいるからこそ、
はるばるきた旅路に思いを馳せる。)
が有名です。

この和歌は、
か  唐衣
き  着つつなれにし
つ  妻しあれば
ば  はるばる来ぬる
た  旅をしぞ思ふ

というように、「折句(おりく)」という言葉遊びにもなっています。

古代の人々は、杜若と聞くと
「伊勢物語」の八つ橋の場面を連想したといわれるほど、
有名な和歌です。

「伊勢物語」は、平安時代初期に書かかれた歌物語で、
「昔男」とよばれる主人公の生涯を中心に
物語が構成されています。

着物の意匠をはじめ、
調度品や絵巻物などには
伊勢物語の一場面や、
和歌を題材にしたものが多く見られ、
古くから日本文化のなかで
人気のあったことがうかがえます。

主人公の「昔男」のモデルについては
正確には分からないようですが、
古くから「在原業平(ありはらのなりひら)」ではないか
と言われてきました。

在原業平は平安時代初期の貴族で、
平城天皇(へいぜいてんのう)の孫にあたります。
和歌に親しみ、和歌の名人を選んだ「六歌仙」や「三十六歌仙」に
その名前を見ることができます。

百人一首の中にも、
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは 」
という和歌が選ばれているので、
在原業平を知らなくても、
この和歌を聞いたことがある方は多いでしょう。

「伊勢物語」の主人公と目されるのは、
在原業平が和歌を得意としていたことはもちろん、
色男として有名だったこともあります。
昔の人々は、在原業平を色男の代名詞としても用いていたようです。

さて、この在原業平の名前がついた
「業平菱(なりひらびし)」という菱文様があります。
業平菱は、三重襷(みえだすき)という菱文様のなかに
四つ菱を入れたもので、有職文様※のひとつです。
この菱文様を在原業平が好んで用いたことから付けられた名前のようですが、
「業平」という名前がつくだけでも、雅な印象がします。



上の写真は、大正~昭和初期ごろにつくられた丸帯からお仕立て替えした名古屋帯です。
檜扇と御所車、笛などの平安時代を象徴する器物に四季の草花が配され、
その草花の背景に業平菱文様があらわされています。
このように業平菱は、
平安時代の煌びやかな文化をあらわすもののひとつとして
描かれることが多いようです。


上の写真の「扇に御所車と草花文様 染めに手刺繍 名古屋帯」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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「藤文様」について

2014-04-03 | 文様について

presented by hanamura ginza


お彼岸が過ぎ、気がつけば桜が満開となりました。

あっという間に散ってしまう桜は、
その儚さも魅力のひとつですが、
もうしばらく楽しみたいという気持ちもあり、
今日の雨で散ってしまわないようにと、願ってしまいます。


桜は日本原産のものも多く、
古代には花といえば桜のことを指していたほど、
古くから愛でられてきました。
桜を見ると心がそわそわしてしまうのは、
先祖から受け継がれてきた遺伝もあるのでしょう。

さて、今日お話しする藤の花も桜と同じように日本原産の植物で、
古来より親しまれ、日本文化とも関わりの深い花のひとつです。

藤は、マメ科に属する植物で、
日本全国に自生しています。
桜が散った後の 4 月中旬ぐらいから咲きはじめ、
淡い紫色の小さな花が房状になり咲く藤の姿からは、
艶やかで、繊細な美しさが感じられます。

とくに、藤の蔓でつくられた藤棚の下で
連なるように咲いた藤の姿は幻想的な美しさがあり、
藤棚が植えられた公園などには、
毎年多くの人々が訪れます。


この藤棚の下で整列して咲く藤のイメージの方が強いのですが、
山野で咲く自然の藤はとても野生的です。
とくに、他の樹木に巻きつきながらぐんぐんと成長する蔓からは、
力強い生命力も感じられます。

藤の蔓はとても頑丈で、
現代でも籠の材料などにも用いられていますが、
古墳時代には、巨大な石棺をそりに載せて、
藤の蔓で編んだ縄で運んだようです。

また、藤の蔓を繊維状にして布が織られ、
奈良時代に編纂された「万葉集」の中では
その布のことを「藤衣(ふじごろも)」とよんでいました。

ちなみに、その藤衣は現代では「藤布(ふじふ)」とよばれ、
貴重な原始布として、着物や帯の素材にも用いられています。

藤は万葉集をはじめ、
古来より和歌や俳句の題材として人気があり、
藤を詠んだ名作も残されています。

また、和の伝統色では淡い紫色の藤の花が由来となった
「藤色」や、
「藤鼠(ふじねず)」や
「紅藤(べにふじ)」、
「藤紫(ふじむらさき)」というように、
「藤」のつく色名が多くあります。

藤は文様としての歴史も古く、
生命力が強いことから縁起が良い文様とされてきました。
垂れ下がった藤の花を円状にあらわした「下がり藤」、
藤の花を上にして円状にあらわした「上がり藤」、
巴の形にあらわされた「藤巴」など、
多くの藤文様が考案され、
江戸時代には 100 種類以上の藤の家紋が考案され、
用いられていたようです。

江戸時代のころには、
当時人気のあった「大津絵」に、
藤の花の精をあらわしたとされる
華やかで艶のある娘の絵図が描かれました。

笠を被り、藤があらわされた衣装を身にまとい、
藤の花を手に持った娘の絵は「藤娘」とよばれて、
のちに歌舞伎や日本舞踊の演目のひとつとなりました。



上の写真は、大正~昭和初期につくられた絹縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
藤は、艶やかな雰囲気で情感たっぷりに
あらわされることが多いのですが、
こちらの意匠からは、
雫のように連なった花のかたちの面白さが感じられ、
かわいらしくモダンな雰囲気が漂います。

桜が散れば、藤の花。
花の下で宴が楽しめる季節になりました。

「しはらくは 花の上なる 月夜哉(かな)」 松尾芭蕉

上の写真の「藤尽くし文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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「羊歯文様」について

2014-03-20 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく春分ですね。
先日は、各地で春一番が吹き、
桜が開花した地域もあるようです。

暖かな陽射しに誘われて外に出てみると、
今日芽吹いたばかりのような、
瑞々しい新芽をあちらこちらで見ることができました。

春ならではのそうした光景を目にすると、
寒い季節がようやく去っていくのだという安堵感のようなものも沸いてきて、
寒さでこわばっていた顔もゆるんできます。

さまざまな木々が芽吹く
明るい春の山を指して
「山笑う」というように表現するのも、
うなずけるように思えますね。

今日お話しする植物「羊歯(シダ)」も、
この季節に芽吹くものが多く、
笑う山で多く見られる植物の一つです。
とくにぐんぐん育ち、生命力にあふれた姿は
俳句で「羊歯(シダ)萌ゆ」と表現され、
「山笑う」と同じように春の季語とされています。

羊歯は、ワラビやゼンマイ、ヘゴなどを含むシダ植物全般のことを指し、
その種類は約1万種にものぼります。
最古の陸上植物といわれ、
4 億 2000 年前のものとされる化石も発掘されています。

シダ植物は、葉の裏側に胞子嚢(ほうしのう)をつけて胞子をつくることで、
子孫を残す非種子植物です。
花や種子がなくても増殖する姿から、
霊草として扱われていた記録が世界各地に残されています。

古代の西欧では、目に見えないシダの種子を手に入れると
透明人間になれるといった迷信や
たいへんな力持ちになれるといった俗言も生まれました。

実際に、シダ植物は解熱や下痢止め、胃腸薬など
薬草として採取されることも多かったようで、
「魔法の草」ともよばれていました。

日本でも、羊歯は古来より繁栄や長寿を意味する植物とされ、
お正月に飾る鏡餅や、しめ縄などの飾りには、
裏白(ウラジロ)と呼ばれるシダ植物が用いられています。

「裏白」という名前は、葉の裏が白いことから付けられたようですが、
お正月飾りには「共に白髪が生えるまで」
という意味合いで用いられているという説もあります。

羊歯は文様としての歴史も古く、
平安時代の頃からモチーフとなり、
鎧や兜、甲冑などの武具にも羊歯の絵図が用いられました。
また、家紋にも羊歯が意匠化されたりしています。

「羊歯」という文字の由来には、
若芽がヒツジの角のように巻いている形をしているためという説や、
「羊」という象形文字がシダの形に似ているためという説、
長寿への願いを込めて齢垂(しだ)とよばれていたのが、
なぜかやがて羊歯となったという説など諸説あります。

それにしても、古来より羊が棲息してこなかった日本において、
「羊」という文字が何故用いられたのかは、とても不思議なところです。
その名前の由来には、シダ植物の不思議さも感じられます。

実際に、その不思議な生態に魅了されている人々も多く、
羊歯の研究は世界中で行われています。



上の写真は、大正~昭和初期につくられた絹縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
たたき染めされた地の上に、のびやかなタッチで染めあらわされた羊歯の絵図からは、
太古の昔から生息する羊歯の原始的な生命力とともに、
神秘的でしなやかな力強さも感じられる意匠です。

上の写真の「叩き染めに羊歯文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

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「土筆の文様」について

2014-03-06 | 文様について

presented by hanamura ginza


啓蟄(けいちつ)迎え、
寒さの中にも、春の気配を感じる日が多くなってきました。
陽射しも春めいて、
少し前まで、道の端に塊となっていた雪もすっかり溶けました。

梅の花が見ごろを迎えた地域も多く、
各地で行われている梅祭りには、
春の香りを楽しみに、大勢の人々が訪れているようです。
また、桜の開花予報もだされました。

梅や桜のように、
季節限定の花を観賞するのも風情がありますが、
旬の食材をあじわうのも、
季節を楽しむ方法のひとつです。

「春の味覚」といえば、
蕗の薹(ふきのとう)や、せり、菜の花、蕨などの山菜が多く思い浮かびますね。
こういった山菜を口にすると、
口の中に独特の苦味が広がります。
この苦味には好き嫌いがあるようですが、
苦味が、冬の間に縮こまっていた身体を目覚めさせ、
新陳代謝を促進すると効果があるようです。

今日、お話しする「土筆(ツクシ)」も
苦味こそが身上といえる春の山菜のひとつですが、
かわいらしい姿から「つくしんぼう」とも呼ばれ、
俳句の季語にも用いられてきました。

ツクシは、初夏から夏にかけて葉を繁らす「スギナ」の胞子茎で、
川沿いや野原などに生えます。

スギナは、シダ植物の一種で、
刈り取っても生えてくる強い生命力をもっています。
冬になると、地表にでた葉は枯れてしまいますが、
土の中では根が生きていて、
春がやってくると、胞子をつける茎が地面から顔をだします。
この茎を「ツクシ」と呼んでいます。

ツクシ(スギナ)は、世界各地に自生している植物です。
ミネラルやカルシウムが豊富に含まれているため、
薬用などに用いる国もありますが、
食用として楽しむのは日本だけのようです。

平安時代に記された「源氏物語」の「早蕨」の巻には、
父も姉も亡くした中君の元へ
父の師である宇治山の阿闍梨より
蕨やツクシが手紙と一緒に届けられ、
中君が阿闍梨の心使いに涙を流す場面が書かれています。

ツクシが、いつの頃から食べられるようになったかは
定かではありませんが、
源氏物語が書かれたころには、
春の味覚として定着していたことが分かります。

また、この源氏物語では、ツクシのことを「ツクツクシ」と呼んでいます。
この「ツクツクシ」は、「突く突くし」とあらわし、
突き伸びることを意味しているといわれ、
ツクシという名前の由来のひとつとされています。

ちなみに、漢字で「土筆」とあらわされるのは、
土に刺した筆のような姿に由来しているようです。

江戸時代の頃には、
春になると、ツクシを販売する「土筆売り」がいたようで、
俳句にも春をあらわす光景として、
土筆売りが登場する作品がいくつか見受けられます。




上の写真の名古屋帯は、
大正~昭和初期につくられた絹布からお仕立て替えしたものです。
破れ地紙に、ツクシとスミレなどの春の野花があらわされています。
つんと伸びたツクシの絵図がかわいらしく、
おもわず微笑んでしまいますね。
朽ちて破れた地紙に配された野花の意匠からは、
過ぎ去っていく季節の儚さも感じられます。


※上の写真の名古屋帯は「花の帯展」でご紹介した商品です。

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