OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

鳥さんたちって何を感じているのかな

2023-03-23 15:06:00 | Weblog
ニャンコのことを書いたので、もう一つ、ニャンコを見ていて思ったことを・・・厳密にいうと、庭にやってくる野鳥たちを見ていて思ったことから、ニャンコにも当てはめて・・・なんですけど(^^;。

うちの居間は、窓が通常のものより大きめで、庭にやってくる鳥たちの様子が、とてもよく見えるんです。一番よく見るのは、やっぱり小雀たちですが、ほんと多種多様な鳥、六甲国立公園(正確には瀬戸内海国立公園六甲地区というの?)の誇る野鳥たちが遊びに来ます。

で、彼らを見ていて・・・鳥類の感情って、どれくらいなのかなぁ~ってという疑問が、ふと沸き起こってきたんですよね。餌を啄んで、おいしいなぁ~とか、今日のご飯はおいしくて嬉しいなぁ~、今日はあまり好いのがなくて悲しいなとか思うのかなと。自分より大きな鳥がやってきたら怖いなぁ~とか、邪魔だなぁ~とか思うのかなと。雨が降ったら、うっとおしいなぁ~、ああ~寒いなぁ~とか思うのかなと。

椋鳩十さんの生き物を題材にしたお話の大ファンですから、鳥たちも人間並みにいろんなことを感じて考えてるって思っちゃうんですが・・・たぶん、本当はそんなことないですよね。

なんとなくですが、快感的なプラスの感情のようなものはあるかも・・・って、本気で思ってます。おいしいなぁ~とか、お天気がよくてぽかぽか気持ちいいなぁ~的なこと。危険を察知して逃げるときなんかも、何か感じてそうですが、怖いとか嫌だという感情で行動しているというよりは、反射的に動いているだけのように見えるんですよね・・・でも、餌を啄んでいるときは、なんか楽しそうに見えるんですもん・・・

で、鳥類より感情が豊かそうなニャンコはどうだろうなと。ニャンコたちが、かなり複雑な感情をもっているのは、一緒に暮らしていて見て取れます。その感情は、どれほど人間に近いのだろうか・・・

喜怒哀楽、どれもちゃんと感じていそうですが・・・なんていうか・・・根に持つ的なことや、たくらむ的なこと・・・感情がもとになる長期計画的に事はなさそうだなと思うんですよね。保護猫とか、保護犬たち・・・長期間、人間などに酷い目にあわされた子たちは、その体験がもとで心を開けなくなったり、恐怖に縛られてしまったりするみたいなので、ニャンコは過去を引きずらないとは言いませんが・・・今を尽くせば、彼らは過去を水に流してくれる・・・人間のような恩讐の感情には縛られないように思えるんですよね。

そう思うと・・・人間って生き物は、過去とか未来に、めちゃくちゃ縛られる生き物だなって思えてきました。だから、まるっと幸せになるのが難しいのかな・・・なあんてね。

その才能、もったいなくない?

2023-03-23 07:18:06 | Weblog
これは、我が家のニャンコ、うみ姫を見ていて思うこと・・・

我が家には、今、てん兄貴と、まろママ、おとんぼさんのはる坊(女の子)、そして超絶美人のうみ姫が暮らしているのだけれど・・・うみちゃんは、とにかく、凄い子なのだ、ほんといろいろと凄い子なのだ。

まずは容姿。顔だちも上品で美しいけど、手足が長くてスタイルも抜群。モデル猫やタレント猫になったら引っ張りだこ間違いなしの麗しいお姿をしている。

それから身体能力。これがまた凄い。何かに飛び乗るとき、おっこいしょ感は微塵もない・・・まあ、猫だからそれくらいは当然と思われるかもしれないけど、飛んでる途中の姿がストップモーションかと思うほど、力が入ってなくて・・・これはもう、見てもらえば分かってもらえると思うのだけど、とにかく華麗だしスゴイのだ。一度、姿が見えなくて探していたら、天井近くの足場など何もない壁のところにいたのだけど、忍者かと思ったもん(^^;。その能力を活かせば、出会った猫たちをすべて屈服させて君臨することだって、世界を股にかけて自由に旅する猫になることだって、可能だろうなと思う。

けど・・・彼女には、その気が全くない・・・モデル猫になる気も、猫界の覇者になる気も、世界を旅する猫になる気もない・・・というか、そういうことはむしろ嫌い・・・いや、はっきり言って、彼女には無理!なのだ・・・うん。

というのも、彼女は尋常じゃない怖がり・・・てん兄ちゃん以外の生き物すべてが怖くて怖くて、出会うとパニックになってしまうのだ。今でこそ、わたしには甘えてくれるようになったけど、触らせてもらえるようになるのに何年かかっただろう。優しく話しかけ続け、何年もお世話させてもらい、やっと触らせてもらえるようになった・・・それくらい彼女は怖がりさんの臆病さんなのだ・・・

だから、もったいない・・・と思う。その容姿、その身体能力、なぜ活かさないのか・・・もったいない・・・

もし彼女が人間だったら・・・きっと、周りがほっておかないだろう。親が、教師が、周りの色んな人たちが、彼女の天賦の才を活かそうと苦心してくれるだろう。本人が嫌がっても、無理やりにでも・・・そうしたら、最初は嫌でも、しばらくはツラくても、一皮むけるというか、殻を破るというか・・・きっと、周りのみんなが望む才能の開花が訪れるのだと思う・・・そして、本人も良かったと思えるようになるのだと思う・・・

けど、我が家のうみちゃんを見ていて・・・人間の中にも、そっとしておいてあげた方がいい子もいるのかもな・・・とは思う。

自分にはない才能・・・自分が望んでも手に入れられない羨ましい才能、それを自分の身近な子に見出したら・・・そりゃあ、それを引き出してあげたくなるよね、伸ばしてあげたくなるよね・・・それこそが本人のため、周りの大人がしてあげなきゃいけないことだと思うよね・・・タラントは、ギフトは、本人だけのものではなく、世のために役立てる責任を負うという考えもあるしね・・・

けど・・・なんていうか・・・精神的な才能っていうのも重要だよね。精神力というか・・・技術面の才能だけじゃなく、〇〇力なんて言い方をされる色んな心の持ち方の才能ってのも・・・そうそう、政治家なんて言うのは、そういう方面の才能が一番大切だとか言うじゃないですか・・・たぶん、経営者なんかもそうなんじゃないかな・・・うん。

だから・・・何が言いたいかというと・・・人は、自分にはないスゴイ才能に出会うと興奮しちゃうけど・・・その人の精神的な部分もよく見てあげないと、その人を苦しめちゃうことにもなるかも・・・ってことかな。その才能を活かさないなんてもったいない、いらないなら私にくれよっ!!って思う気持ちは痛いほどわかるけど・・・無駄になったとしても、その人の心が守られるなら、それでいいじゃないかと・・・その人の心の方が、ずっとずっと大切だよと・・・そんな風にも思えるのでありました・・・・