最近、ブログに何かしらを書き込んでいる途中で「あれ、これ以前にも書いたこと、あるかしらん」と思う頻度が高くなっている。「年配の人と話していると、何度も同じ話を繰り返し聞かされてゲンナリする」というのは、若者たちからよく聞かされることで・・・だものだから「ああ~アカンアカン」と、書きかけていたものを消去することシバシバだ。と、次に、同じようなことを感じたとき、「そう思って書かなかったことかも・・・いや、もうすでに何度も書いたことかも・・・」と悩み始め、結局、そのまま書いたり書かなかったり・・・
でもね、そういうこと、気にしないで、たとえ同じことでも、何度も書けばいいとも思うんだよね・・・以前想ったことでも、今また思ったのなら・・・というのも、もう何度か書いたことかも(^^;。
これは、確実に以前にも書いたことだけど・・・脚本家の橋田寿賀子さんが、「大切なセリフ、伝えたい台詞は、最低でも三回は役者さんに言わせる」と何かで仰ったか、それを聞いた方がどこかで仰っていたのを聞いたことがある。書いた者からすれば強い思い入れがあるから、ズンと重く感じられるセリフでも、視聴者にすればさして印象に残らず流れてしまうかもしれない、だから三回ぐらい繰り返して確実に伝わるようにするとうようなことだったと思う。そう・・・受け取り手が「何回も同じこと書いてるなぁ」なんと思ってくれたら、それはとても有難いことだ。愚にもつかない内容なのに、ちゃんと覚えていてくださっているわけだから・・・ね。
それに・・・何度も書いてしまうというのは・・・ネタが枯渇している、感性に成長がない、ということの現れではあるけれど・・・同時に、私自身を強く顕わしてもいるのだ。
わたしの卒論のテーマは『ティリッヒの人間実存の理解について』だったが、その執筆の過程で、ティリッヒの主要著書である『組織神学』で使われている単語の頻度について調べた。彼の思想は、もちろん、文章で語られているわけだが、単語の使用頻度を見るだけでも、彼が何に拘り、何を重要視し、何を伝えたかったのかが分かるからだ。
繰り返し使う、繰り返し語る・・・そこには、ちゃんと意味がある。使う人にとっての意味があるのだ。それは、時には他人にとってはどうでもいい拘りかもしれない。繰り返し聞かされることに辟易とするかもしれない。けれど・・・語る人にっては・・・繰り返してしまうだけの意味が、あるのだ・・・
でもね、そういうこと、気にしないで、たとえ同じことでも、何度も書けばいいとも思うんだよね・・・以前想ったことでも、今また思ったのなら・・・というのも、もう何度か書いたことかも(^^;。
これは、確実に以前にも書いたことだけど・・・脚本家の橋田寿賀子さんが、「大切なセリフ、伝えたい台詞は、最低でも三回は役者さんに言わせる」と何かで仰ったか、それを聞いた方がどこかで仰っていたのを聞いたことがある。書いた者からすれば強い思い入れがあるから、ズンと重く感じられるセリフでも、視聴者にすればさして印象に残らず流れてしまうかもしれない、だから三回ぐらい繰り返して確実に伝わるようにするとうようなことだったと思う。そう・・・受け取り手が「何回も同じこと書いてるなぁ」なんと思ってくれたら、それはとても有難いことだ。愚にもつかない内容なのに、ちゃんと覚えていてくださっているわけだから・・・ね。
それに・・・何度も書いてしまうというのは・・・ネタが枯渇している、感性に成長がない、ということの現れではあるけれど・・・同時に、私自身を強く顕わしてもいるのだ。
わたしの卒論のテーマは『ティリッヒの人間実存の理解について』だったが、その執筆の過程で、ティリッヒの主要著書である『組織神学』で使われている単語の頻度について調べた。彼の思想は、もちろん、文章で語られているわけだが、単語の使用頻度を見るだけでも、彼が何に拘り、何を重要視し、何を伝えたかったのかが分かるからだ。
繰り返し使う、繰り返し語る・・・そこには、ちゃんと意味がある。使う人にとっての意味があるのだ。それは、時には他人にとってはどうでもいい拘りかもしれない。繰り返し聞かされることに辟易とするかもしれない。けれど・・・語る人にっては・・・繰り返してしまうだけの意味が、あるのだ・・・