OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

感想文の日

2010-02-15 17:26:51 | Weblog
確定申告からも開放されて、今日は、いっぱい感想文を書きました。そのかわり、日記はお休み。よかったら、そっちをご覧ください。

『読書感想文』
http://blog.goo.ne.jp/rotten-a

『映画鑑賞感想文』
http://blog.goo.ne.jp/rotten-b/

『TV談義の掲示板』
http://www2.ezbbs.net/02/84q3eu/


映画の感想文は、六つほど書きましたよ(^^;。

春節でバレンタインで・・・でも、話題は方言のこと(^^;

2010-02-14 13:15:56 | Weblog
そう言えば、昨日から、オリンピックが始まったみたいですね。で・・・そう言えば、今日、バレンタイン・デイみたいですね。で・・・そう言えば、今日は春節じゃないですか。なんだか、世の中的には、とっても華やかな週末ですが・・・わたくしは、しごく地味ぃ~に過ごしております。

あっ、でも、確定申告三人分、無事、作り終えましたよん。あとは、清書するだけ。一応、何か忘れていたことを思い出した場合に備えて、明日ぎりぎりまで待って清書しようと思ってます(^^)。

ところで、さきほど「しごく(至極)」って言葉を使いましたが・・・ちょっと使い方が適当ではなかったですね。けど、まっ、これからの話題の軽いフリとして、使わせてもらいました、はい(^^;。

えっとですね・・・先日、NHKの番組、たぶん総合じゃなく教育の方で、「とても」という言葉を47都道府県の方言で歌った歌を流していたんですが・・・そこで兵庫の方言は「がっせー」となってたんですよね。

でも、わたし、生まれたときから今に至るまで、ずっと兵庫県民ですが、この「がっせー」を聞いたことないんですよ。他県の「とても」の中には、「知ってる!知ってる!!」と思うものや、「それも使う!」って思うものがありましたが、肝心の兵庫の「がっせー」は使わないどころか聞いたことがないんですよね(^^;。

まっ、兵庫県は、南は瀬戸内海、北は日本海に面するという、がっせー環境変化の激しい県なので、言語だけじゃなく生活文化一般、一からげにはできない土地柄ではありますが・・・それにしても、兵庫の方言として紹介された言葉を全く知らないなんて、ちょっとビックリしました。

けど、まぁ~、それが本来の方言かなとは思うんですよ。ちょっと場所が違えば全く別物になってしまったり、かと思うと思わぬところで繋がっていたり・・・地図上の、あるいは政治上の境界線で区分されるものではないですものね。

言葉を商売にしているわれには、言葉に対する知識がなく、使い方も杜撰なんですが・・・それでも、言葉って面白いなぁ~とは、毎日のように思っています。成り立ちとか歴史とかも面白いですが、生き物として面白いですよね。そして、その最たるものが方言じゃないかと思うので・・・意識して、方言を楽しみたいなって、改めて、そう思ったのでありました(^^)。

世界で一つだけの花

2010-02-13 18:42:36 | Weblog
って歌が、べらぼうに流行ったことがありましたが・・・飽きるほど耳にしたし、内容も十分に理解しているつもりで、実は全く目を向けていなかったことがあるなぁ~って、最近、気づいたんです。

あの歌って、要するに花に譬えて人間のことを言っていたでしょ。だから、人間のことばかりに気がいって、譬えに利用された花のことは全く考えていなかったなぁって。

で・・・わたし、なんとなく「色んな花」と聞いたとき、チューリップやバラやナデシコやっていう風に、「色んな種類の花」と思っていたんですが・・・たとえ同じ種類の花であっても、すべての花はみんな違うってことを、最近になってやっと意識するようになったんです。

それは、まっ、きっと、お仕事で花の写真をとることも少なくないからだと思うんですよね。先日も、蝋梅の写真を撮ったんですが・・・そういう場合、わたしは、まず遠目から木全体を撮り、そのあと寄り気味に枝を撮り、最後に接写で花のアップをとるんですが・・・どの花をチョイスするかで、イメージがかなり違ってくるので、迷って迷って、接写写真を不必要に大量に撮ってしまう傾向にあるんです(^^;。

で・・・そういうことって、今までほとんど意識したことがなかったなぁ~って、そう思ったわけです。だからどうだってことでもないんですが・・・そう思ったわけです。

なんて話をしたから、今日の写真は、花にはしません。だって、仕事で花の写真も撮ると言いつつ、まじでセンスないですから、わたし(^^;。

がんばれ確定申告!

2010-02-12 16:15:23 | Weblog
もろもろ急ぎの仕事を片付けて、さあ、明日から三日間で、確定申告の準備だ! いつもなら、最終日に間に合うようにできればいいやって感じの温ぅ~いペースでやるんだけれど、今回は初日に提出するようようにと、あちこちから釘を刺されているのです、はぁ(^^;。なので、はい、明日から集中して仕上げます。頑張ります。大丈夫です(^^;。

優しさで低温やけど

2010-02-10 16:19:07 | Weblog
最近、訃報に接すると、無くなった方の年齢が気になります。そして、その方が今のわたしより年上の場合、その差が気になります。無意識に引き算して、それを自分の仮想余命と設定し、その残された年月で、わたしは何ができるのだろうと考えてしまいます。

仮想であっても残り時間をリアルに感じることにより、日常生活の中で“必要”によって隅に追いやられていた“しておきたいこと”が明確に見えてきます・・・と、言いたいところですが、まったくそんなことはなく・・・ただ、ぼんやりと「この残された時間に、わたしは何ができるだろう」と考えるだけですが。

半世紀も生きてきて、ほとんど意味のあることは何もできなかった・・・だから、もしあと半世紀生きられたとしても、きっと何も意味のあることはできないだろう・・・けれど・・・って、ボンヤリ考えるだけですが(^^;。

ところで・・・優しいって、とっても素敵なことですが・・・ずっと優しさに包まれていると、心が低温やけどしちゃうんじゃないかって、そんなことを思うことないですか?

と、今日の本文は、たったの二行なのでした(爆)。

仏さんのお顔

2010-02-09 19:11:08 | Weblog
天気予報では、今日は午後から雨模様とのことでしたが、今のところ大きく崩れてはいませんね。ただ、空気は温かいです。すごく温かいです。気持ち悪いくらい温かいです。いえ、ちょっと本気で気分悪いです(^^;。

ところで、突然ですが・・・仏像の顔の話をちょっとばかし。

仏像の姿かたちにも流行があって、時代ごとに大きく特徴が違ってくるようですが・・・わたしは、関西的表現でいうところの“しゅっ”としたお姿の仏さんに惹かれます。たとえば法隆寺の「釈迦三尊立像」や「百済観音立像」の感じです。生きた人間だと、面長な人より丸型や四角型の顔の人が好きなんですが、なぜか仏さんは“しゅっ”としたお姿が大好きです。

それから、まったく“しゅっ”とはしていないのですが、やっぱり運慶の仏像は凄いと思います。まさしく命吹き込まれた彫刻ですもの、見ていると引き込まれるというか・・・迫ってくるものがありますよね。

ただ、それが仏像の造形として相応しいかどうかとなると・・・ちょっと違うのかなとは思うんですよ。興福寺の「無著・世親立像」のような肖像物なら、手放しで絶賛しますが・・・仏さんにリアルな人間臭さは、あった方がよいのか、あってはならないものなのか・・・ふむ、どうなんでしょうね。

でも、まっ、絶対的な正解はないんでしょうね。結局は仏像も、というより仏像だからこそ、時代の要求に応えていく必要があって・・・時には人間臭くあるべきだったり、時には人間離れしていなくてはならなかったり、時には理想の人間像を形にすることを求められたりするんでしょうね。

だとしたら、今の時代だと、どんなお顔の仏像が求められているんでしょうね。人は、仏さんのお顔に何を見たいと思っているんでしょうね。

ナチュラル・ボーン・極悪人

2010-02-08 11:56:32 | Weblog
昨日の朝は、小一時間の降雪で、あっというまに庭が白くなりました。立春の頃って、いつもそれ切っ掛けで寒さが戻ってないかい・・・記憶能力が低いので、あくまでもイメージ発言ですけど、そう呟いてしまいました(^^;。

ところで・・・前にもいったかもしれませんが・・・わたし、そこそこの年月を生きているんですが、極悪人には出会ったことがないんですよね。

我侭な人とか、すぐに人に依存する人とか、人の気持ちが分かっていない言動をする人とか、小ズルイ人とか、いくぶん強欲が目立つ人とか・・・その程度の人には、出会ってきましたよ。っていうか、そもそも自分自身に、そういう要素はしっかり内在してますしね(^^;。

けど「どうしてそんなことが出来るんだろう」とわが目わが耳を疑うような酷いことをする人のことは、人の話やニニュースなどで見聞きするだけで、実際に親しく付き合ったことはないんですよね。

だから、よく分からないんですが・・・そういう人って、もともとそういう人間なんでしょうか。つまり、もともと自分の欲望だけで行動するような人なんでしょうか。それとも、何かに追い詰められて、そういうところに辿り着いてしまったんでしょうか。

わたしも含めて、多くの人には、いっぱい悪いところがあると思います。だから、周りの人を傷つけたり、嫌な思いをさせたり、仲良く出来なかったり・・・反対に、自分自身も傷つけられたり、嫌な思いをしたり、疎外感を感じたりしていると思います。だから、生きていることが、とっても大変に感じることもあると思います。

けれど・・・エゴにも限界があるっていうか・・・優しい気持ちというストッパーがあるというか・・・小悪人にはなれても、極悪人になるって、意外に難しい気がするんですよね。

そうそう、少し前、バラエティー番組で、アメリカ合衆国の核爆弾の発射ボタンに関するエピソードを聞いたんですが・・・あれって、大統領一人が、ポチッとボタンを押せば発射されるわけじゃなくて、何人かの軍人さんも何かしなきゃだめなんですよね。で・・・それを担当できるかどうかの資質検査として、「これは訓練ではなく本番だ」と言ってボタンを押させてみるんだというんです。すると、多くの軍人さんが躊躇ってしまうんだそうです。で、そういう人は失格になるんだそうです。で・・・そのエピソードを聞いて、それが本当だとしたら、人間も捨てたものじゃないじゃないかって、わたし、けっこう嬉しかったんです。命令とあらば何の躊躇いもなく核爆弾の発射ボタンを押せる人間は、そう多くはないんだって・・・ほんと嬉しかったです。

だからね・・・基本的に、人って、毎日毎日、小さな悪いことを積み重ねて生きてはいるけど、そんな大きな悪いことはできない生き物だって思うんです。けど、もし大きな悪いことが平気で出来る人がいるのだとしたら・・・それって、どうしてそうなっちゃうんでしょう。

小学生みたいな疑問だとは思うんですが・・・ほんと、知りたいなって思うんですよ。だって、それが分かれば、何か対策もたてられるでしょう?信じたくないですか・・・人間は決して本性まで悪い生き物じゃないって。

ただし・・・そもそも“何をもって悪とするか”ってところから考えちゃうと・・・何もかもが分からなくなっちゃうんですけどね・・・・。

男性専用車両

2010-02-06 17:47:28 | Weblog
昨日は、最寄のJRの駅を朝6時30分くらいに発射する電車で京都に向かいました。夫を私鉄の最寄の駅に送り届けた後その足でJRに向かい、駅の駐車場に車を止めて電車に乗ったのですが・・・うれしい事に、わたしが駅に着いたらすぐに電車が到着し、寒風吹きすさぶ田舎の無人駅のホームでの待ち時間なしで乗り込むことができました。

ただ・・・あわてて乗り込んだ車両で、わたしはちょっと、いえ、かなり居心地の悪い思いをいたしたのでありました(^^;。

その電車は、大阪から一時間の通勤圏内にある郊外の町が始発で・・・わたしが乗り込んだ駅は、その始発駅から三駅目の超ど田舎駅です。同じ駅から乗り込む乗客は疎ら・・・ほとんどが始発の駅か、その次の比較的大きな駅からの人たちです。で・・・その人たちが、全員男性だったのです・・・すくなくても、わたしが乗り込んだ車両は、全員が男性だったのです。

電車が駅に滑り込んでくるとき垣間見えた女性専用車両は、かなり空いている様子だったので・・・そもそも、その時間帯の乗客の男女比率は圧倒的に女性が少なく、しかもその女性たちは女性専用車両を選択されているようで・・・一般車両では、ほとんど女性の姿を見かけない状況なんでしょうね。

もちろん、一般車両に女性が乗って悪いわけではないと思うのですが・・・閉鎖された空間の中で、わたし以外は全員男性という状況に、わたし、ちょっとビビッてしまいました(^^;。で、おもわず「わたしが知らない間に、男女平等の観点から男性車両が導入され、もしかしてこの車両がそれにあたるなんてことないでしょうね」と、変な心配に襲われ始めました。きょろきょろと車内を見回し『男性専用車両』のステッカーなどないかどうか、本気で確認してしまいました(^^;。

だって、もし万が一、わたしが乗り込んだ車両が本当に男性専用車両で、そこにおばさんが一人紛れ込んだとしたら・・・これはかなり恥ずかしくないですか?「わざとじゃないんです。ほんとうに知らなかったんです」と、一人心の中で弁解してしまいました(爆)。

うっかり女性専用車両に乗り込んだおじさんが、それに気づいてしまった瞬間の居心地の悪さって、きっとこんな感じなんだろうなと・・・痴漢の問題はあるにしても、やっぱり、女性専用車両ってどうなのかなと・・・ふと、そんなことを思ったのでありました。「いろいろあるけど、それも抱えつつみんな一緒に・・・」そういう選択の方が、わたしはき好きかなって、そう思いました。

ああ~・・・でも、これだけ女性客が少ない時間帯&地域だと、その少数派の女性たちにとっては、女性専用車両は嬉しいかもしれませんね。痴漢がどうとかではなく、毎朝、周りをびっしり男性たちに囲まれた状態で一時間近くも電車に閉じ込められているのって、けっこう大きいストレスになるかもしれませんものね。

何事もそうですが、一概に良し悪しを断定できませんね・・・その中で何かを選び決定するって、難しいことですね。

昔のドラマを見ながら・・・

2010-02-04 14:14:21 | Weblog
夫が、どうしても見たい番組があるというので、スカパー!e2の申し込みをしたら、無料視聴期間というのが付いていて、しばらくの間、希望のチャンネル以外も見ることができるようになりました。

で、主に映画関連のチャンネルを漁って見ているのですが、昔のドラマやバラエティーなんかも、ちょろちょろと見ています。で、おかげさまで『愛し合っているかい』を全編録画することもできました、うれしっ(^^)。

けど・・・過去番組って、一瞬懐かしさに浸るとすぐに飽きちゃうものと、懐かしいだけじゃなく改めてちゃんと見たくなっちゃうものとがあるんですねぇ~・・・この差って、どこから来るんでしょうね。やっぱり、出来がいい番組だったってことなのか、それとも単なる相性の問題なのか・・・どうなんでしょうね。

懐かしいと言えば・・・今週に入ってから、向田邦子さんの新春スペシャルシリーズが毎日放送されているんですが、この番組のもつ懐かしさって何なんでしょうね。実際に自分の幼少期の体験とダブっていて、真正に懐かしいものもあるんですが、多くは実際には知らないことなのに“懐かしい”という感覚に捕らえられてしまうんですが・・・ほんと、これって、何によるものなんでしょうね。

あっ・・・それから、オリジナル放送の頃には何の興味も持っていなかった時代劇も、なんでだか見てしまっているんですが・・・それで、一つ、不思議に思ったことがあるんですよ。それは、立ち振る舞いの重みって奴なんです。

前に「殺陣は重いものが好き」って言ったことがあったかと思うのですが・・・わたし、殺陣は舞うように華麗なものより、ズシリと質量を感じさせるものが好きなんですよね。とはいっても、昔の時代劇俳優さんの立ち回りのような、ピシッピシッと決めポーズがあるような種類の重みではないんです。なんていえばいいかなぁ~・・・たとえば、段ボール箱を持つ動作のシーンがあるとして、そのダンボール箱が本当に重いように見えるというような、文字通りの質量感で・・・それの殺陣版というような感じなんですが・・・分かっていただけますかね(^^;。とね・・・名優といわれる時代劇俳優さんの中でも、動作が重い人と軽く感じられる人がいるんですよね。その違いはなんなのかなぁ~って、最近は、そればっかり気にして時代劇を見ています。

そうそう、それは殺陣だけじゃなくて・・・たとえば時代劇の女優さんの動きにも言えることなんですよ。女優さんたちは剣も振り回さないし、立ち回りもしないですが、ただ廊下を歩くシーンだけでも、動作に重みがある人と軽い人とがいらっしゃるんですよね。こうなると、ダンボール箱の例えでは説明しにくくなりますが・・・本質的には、同じ種類の質量感なんです。

あっ、そうだ・・・日本舞踊や古典芸能などでも、同じことを感じますね。動きが若い方と熟している方の違いって、質量感だなって。ふむ、ほんとに、その質量感って、どこから来るんでしょうね。重心の位置かしら、腰の入り方なのかしら、動作の止め方なのかしら・・・ふむ。

わたし、格闘技に無知なんですが・・・格闘技をお好きな方とか、そうスポーツがお好きな方たちには、この感覚、分かっていただけませんかね。ほら、武術の形の演技とか見ると、重いのと軽いのとがあって、上手い方って重く見えるでしょ、ねっ!

だから、わたしの言いたい重い動作は、軽やかな動きとか、流麗な動きと言われいてるものとも相反しないんですよ。軽やかで流れるように美しくありながらも重い・・・ん~、ますます良く分からなくなっちゃったですね。

とにかく、昔の番組を見ていると、いろいろと疑問に思うツボが出てきちゃって・・・スカパーの無料視聴期間もそろそろ終わりだから、基本パックでも申し込んで、もう少し懐かしのドラマや時代劇を観察してみようかって気になっています。そこに、何かのピントが隠されているかもしれないって思いもありますし。自分が、何を探しているのか、だから何に関するヒントが得られると期待しているのか、それすら分かっていませんが、なんだか気になってしかたないんですもん、懐かしさの意味や、動作の重みの正体などなどが(^^;。

これって、スカパーの無料視聴作戦に見事はまっちゃってますかね。あいや~、根が単純ですから、仕方ないですかね(爆)。

明日は、早朝から京都です。日記のUPは無理かもしれませんが、またヨロシクです!!