OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

アートか社会福祉、あるいは経済活動・・・ん~

2021-03-19 09:12:19 | Weblog
自宅の隣に、打ちっぱなし二階建ての建物がある。もともとは、「結婚し母になっても自身が興味を持ったことに夢中になる時間をもちたい女性たちのため」の施設を目指して作ったものだ。実際には、就園前児の預かり施設のようになってしまったが、もともとはそういう志で作ったものだった。(そのあたりの経緯は愚著に詳しく書いているので、読みたいと思ってくださった方はご連絡ください。進呈いたします。) それが、仲間たちと立ち上げたヘルパー派遣事業所を営むNPO法人の事務所になり、その次は、障がい者就労支援組織に使ってもらうことになり・・・そして今は、もろもろの事情から空きビルになっている。

で、また、今度、障がい者用グループホームにどうかという話が浮上している。ふむ・・・

とはいえ、この話が成る可能性は低いと思っている。何をするにも資金ゼロで始めるので、銀行との折衝やらなんやら、毎回けっこう大変で、今回だってハードルが高いのだ。もちろん、わたしが経営するわけではないのだが・・・いろいろと資金は必要になるのだよね・・・相手方の審査もあるしね・・・

それになにより・・・実は、わたしは、隣の建物を"創作の拠点"みたいに使いたいと思っている・・・人には貸したくない・・・それが本心なのですよ。

理想を言えば、自分自身が、あるいは家族が、あるいは本当に親しい人が、創作の為のアトリエとして使ってくれたら嬉しいのだけど・・・残念ながら、肝心の私に、芸術的センスが皆無で・・・使いたくても使えないのだ(涙、涙、涙)。

それでも、完全に、この望みを捨て去っていたわけではないのだけど・・・未だに、この建物を建てたときの借入が残っているし、誰も使わないまま放置しておくなら、多少でも収益の上がるプランを検討すべきかなと・・・理性は、そう、わたしに告げるのであります。それが、障がい者用グループホームとなれば、意味のあることかもしれないし・・・って。

だから、相手方から、あるいは銀行から、断られたらホッとするのだけど・・・と、とても後ろ向きなことを思いながらも、結局どうなるにせよ、ちゃんと君のこと、考えなきゃねって、隣の建物に向かって、語り掛けています。

ちなみに、子ども博物館時代、スタッフが何人も、この建物で、この世のものではないものに出会っています。階下では幼い子どもにあったという人が多く、二階では年配の男性にあったという人が多かったです。わたしは、深夜遅くまで一人で作業したりもしていましたが、誰にも出会ったことがありません。皆が言うには、向こうが貴方を避けているようだとか・・・オイオイ(^^;。でも、みんなが気にするので、私は一度、心で強く見えない者たちに語り掛けました。「ここは私たちの場所だからお前たちは消えろなんて言うのは、わたしたちのエゴですよね。私たちのルールの下では、私たちの場所かもしれないけど、あなたたちのルールからしたら、あなたたちの場所なのかもしれない。でも、少なくても、わたしにとって、ここは大切な城です。ここに集う人たちも大切な人たちです。ですから、共存できないなら、わたしは闘います。どうですか?お互いを尊重し合いなら、共存しませんか」。それが理解されたのかどうか分かりませんが、何も悪いことは起こらなかったです(^^)。

で・・・今、その時、語り掛けた人たちが、まだそこに居たら、わたしに対して、何を思うかなって思うんですよね。「大切だなんていってたけど、放置したままじゃないか」って。恥ずかしいなって・・・

ふむ・・・自分自身をどうしたらいいか分からなくて悩んでますが・・・自分だけじゃないんですよね、なんとかしなくちゃいけないことって・・・