ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

カメルーンの予選敗退に思うこと

2010-06-23 14:25:00 | スポーツ
予選E組、不屈のライオンことカメルーンの敗退が早々に決まりました。やはり日本に負けるほどですから、チーム事情は芳しくなかったのでしょうね。

二戦目の対デンマーク戦を夜更かしして観ましたが、司令塔ソングを復帰させての攻撃はやはり見応えがあり、試合開始後早々のエトーの得点は見事でした。あのやり方を日本戦でされていたら、日本程度に負けることはなかったでしょうね。

ただ如何せん、相手のデンマークも必死だった。センターフォワードに長身の選手を抱えるチームはやはり強い。カメルーンが前がかりになり、サイドがぽっかりと空くことが分ると、そこから崩してのベントナーの同点弾。まぁ、どフリーでしたから当然ですがね。

ここからの攻防は見応えありました。両チームとも初戦の消極性が消えて、攻守の切り替えの激しさは、夜更けの眠気がぶっとぶほどの迫力でした。

結果は快速FWの見事なカウンター攻撃による得点でデンマークが勝利。アフリカ大陸初の大会で、最も期待されたチームが最初に予選敗退する悲劇となりました。

やはり初戦を慎重に行き過ぎて、攻撃主体のチームを守備重視のチームに変えたことが結果的に失敗だった気がします。今回はイタリアにせよスペインにせよ強豪チームの予選でのもたつきが目立ちます。

ブラジルにせよスペインにせよ強豪チームは、予選突破のプレッシャーからか守備重視の凡戦ばかり。ネームバリューのあるチームの試合は、TVでアナウンサーやら解説者が妙に持ち上げますが、はっきり言ってツマラナイ試合が多い。むしろ、中堅のクラスの試合が面白い。

私が今回見たチームのなかでベストは、南米のピエルサ監督率いるチリ。コンパクトにまとまり、攻守の切り替えが早く、パスとドリブルのテンポが気持ちよく、しかも闘志あふれる戦い方は見応えあります。

たしか岡田監督が以前から注目していて、日本に呼んで親善試合を組んでいます。もっとも来日したのは1軍半のチームだったので岡田監督は不満を漏らしていましたが、当時の日本代表はこの1軍半のチームに勝てなかった。

南米予選ではアルゼンチンやブラジルとも互角以上の戦いをしていただけに、今回の大会は大いに期待できると思います。もし機会があったら是非見てほしいチームです。岡田監督が本来目指していた戦い方の見本だと言っていいでしょう。

今週末には日本はデンマーク戦を控えています。引き分け以上なら予選突破なので、期待したいものです。不様な試合でしたが初戦に守り勝ちしたことでチームに勢いがあるように見受けられます。

まぁ、よくぞオランダ相手に1失点で済ませたものです。このおかげで得失点差でデンマークを現時点で上回っていますから、デンマークは日本に勝つしかない。あのチームに守備を徹底されてカウンターからの得点狙いの試合をされたら、日本に勝ち目はないので、少しは有利な条件が用意されたといっていいでしょう。

日本は徹底して守っての引き分け狙いが出来れば、予選突破ですが、出きるかなぁ?

元々守備的なチームではないし、岡田監督が妙な色気を出してきたうえに、選手も高揚している観があります。浮ついて勝てる相手ではない。そのあたりの老練さが選手にも監督にも欠けている。

ここまで頑張ったのだから、予選突破を夢見たいものです。寝不足が少々辛いのが難点ですがね。
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シュート 大島司

2010-06-22 19:48:00 | 
今、日本のサッカー界は危機にある。

ワールドカップ南ア大会で盛り上がっているのは分るが、手遅れに近いほど危機は深刻な状況にある。具体的に言えば、若手の育成に失敗していることだ。

あまり注目されていないが、ここ数年十代の選手たちで作られたチームの世界大会での惨めな敗戦が頻発している。昨年のアンダー17や、アンダー21のチームは、アジアでは通用しても欧米や南米、アフリカ勢と対戦する世界大会では、まるで通用していない。

これは異常事態なのだ。長きにわたり低迷していた日本サッカーは、プロリーグが始まって数年でワールドカップへの出場を果たした。まさに驚くべき特筆すべき急成長だった。なぜならプロリーグが出来たからといって、すぐに選手の技量が上がるわけないからだ。

にもかかわらず日本が急成長を果たしたのは、土台となる十代のサッカーがある程度できていたからだ。野球中心の日本のスポーツ界にあってサッカーはマイナー競技だった。しかし、高校サッカーに限ってはそうではなかった。間違いなく人気競技であった。

この年代までなら、長期低迷期にあっても世界大会には何度も出場している。ただ20代以降がダメだった。だからこそのプロリーグ設立が必要だった。

このプロリーグの誕生により、企業が金を注ぎ込むようになった。その結果、外国から優秀な監督、コーチを招聘しての選手強化が可能になった。プロリーグのチームだけではなく、高校サッカーにおいても外国人監督、コーチが採用されて、十代の選手たちを飛躍的に成長させた。これが日本サッカー躍進の原動力だった。

しかし長引く景気低迷が高額な外国人監督、コーチを採用することを躊躇わすことになった。かわって登場したのが、日本人監督、コーチたちだった。

私がここで何度も語っているように、Jリーグにより日本人選手の技量は飛躍的に伸びた。しかし、だからといって日本人監督、コーチの技量が伸びたわけではない。断言しますが、現在の日本にワールド・クラスの経験と技量をもつ日本人監督、コーチは岡田監督を含めて一人もいません。

その日本人監督、コーチが仕切る日本ジュニア・チームは、かろうじてアジア予選は勝ち抜ける。しかし、世界大会では通用しないがゆえに敗退を繰り返す。

かつてトルシェに率いられたアンダー21のチームは、アフリカの大会において準優勝を遂げたものです。これをピークに今日に至るまでその実力は下がりっぱなし。

日本人監督にだって、たとえ世界に通用しなくても、それなりに優秀な人はいます。でも今の監督、コーチは日本サッカー協会の情実人事で決まってしまう。

実力や実績ではなく、大学派閥と企業派閥に左右される日本的情実人事で監督が決められている。新聞やTVは決して報じませんが、これが今の日本サッカーの実情です。だからこそ、世界に通用しない。

情けないことですが、日本サッカーはこのままではJリーグ発足以前の低迷期に戻ってしまいそうなのです。

その低迷期に始まり、Jリーグ発足と共に人気を博した漫画が表題の作品です。週刊少年マガジンに長く連載されていて、「キャプテン翼」や「オフサイド」とともに少年サッカー人気を支えた名作でした。

この作品のなかでも日本的因習に縛られない外国人監督やコーチたちが少年たちを指導して成長させる場面が、数多く描かれています。

今からでも遅くはありません。どうせ岡田監督は退任でしょうが、まずは日本サッカー協会会長から変えるべき。ジーコでもいいし、オシムでも善し。オフトやトルシェだって構いません。

ちなみに次期監督は、現鹿島のオリヴェイラが適任でしょう。アンダー17はトルシェかシャムスカが良いと思います。世界に通用するサッカーを構築したいのなら、まずは経営陣からグローバル化するべきでしょう。
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本当の戦争の話をしよう ティム・オブライエン

2010-06-21 12:30:00 | 
人は極限状況でこそ、本性を露わにする。

戦闘がないという意味での平和を甘受している日本に生まれ育った私には、戦争への従軍経験もないし、戦争の惨禍に巻き込まれたこともない。

人が人を殺しあう戦場ほど、人間の本性が露わになる場所はない。生き延びるために敵を殺し、死ぬと分っていても戦友を見捨てられず、殺戮を快感に感じる一方で、国のため家族のため命を投げ出すことに崇高な使命感すら感じてしまう。

戦いの最中は平和な故国を偲び、戦いが終わった後に訪れる解放と歓喜に我を忘れ、その後に訪れる虚脱状態が心を蝕む。戦争は人を殺し、物を破壊するだけではない。心すら殺してしまう。その一方で極限の状態で育まれた熱き友情は一生ものの貴重さを有する。

戦争を知らない私だが、人が生き延びるための極限状況なら知らないわけではない。十代を登山に傾倒した私だけに、山では人が自ら生きる努力をしなければ、生きて帰ることは許されぬと知っている。

それは戦場の過酷さには及ばぬかもしれない。少なくとも日常的には、そのような極限状況はなかった。それが生じるとしたら、それは遭難もしくはプレ遭難状況であった。

安全を旨とし無謀な登山とは無縁であったが、それでも天候の急変などで厳しい状況に追いやられることはあった。そんな時こそ、人は本性を曝け出す。

昼なお暗い空から降り注ぐ冷たい雨に意気消沈して、テントの隅っこに膝を抱えていじけていたあの日の私。

疲労が骨の髄まで染み込んで、やるべきことをやらずに誤魔化した卑怯な私。

自分も知らなかった臆病で、姑息で、意気地なしの私。

厳しい山での生活は、私から虚飾の衣を剥ぎ取り、知りたくもなかった本性を露にしてくれた。これは辛かった。喧嘩で殴られるより痛かった。先生の厳しい説教よりも遥かにこたえた。人に教えられるのではなく、自分で気がつかざる得なかった情けない自分の姿は、逃げることも誤魔化すことも許されない厳しい現実だった。

山こそ私にとっては、人生の学校だった。ここで学び、ここでしごかれ、ここで鍛えられた。戦場を知らない私にとっては、山こそ極限状況を味わえる数少ない修練の場であった。

だが、やはり山と戦場は違う。どんなに山が厳しくとも、山は人の心を傷つけ、病み衰えさせることはない。戦場の過酷さは、人の心さえもボロボロに痛めつける。

そんな戦場の過酷さを、優しくも厳しく書き記したのが表題の作品だ。それを村上春樹が絶妙な優しい視線で翻訳している。

戦争を賛美しているわけでもないが、さりとて戦争批判に囚われているわけでもない。戦場に放り込まれた若者たちの日々を、淡々とさりげなく、それでいてざっくりと切り拓いて読者に提示してくる。

優しい口調で語られる残酷な戦場の日々は、深く静かに心に染み渡る。そんな傑作です。是非、どうぞ。
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首吊り森の思い出

2010-06-18 12:24:00 | 日記
酒を飲んで、酔いに身を任せるのは好きではない。

私が幼少時を過ごした町は、新興住宅地でありまだまだ林や畑が残っていた。近所の林のひとつに、子供たちから「首吊り森」と呼ばれる場所があった。

林の奥まったところに生えている楢の木があり、高さ5メートルぐらいの枝に紐がぶら下がっているところから付いた呼び名だと思う。

子供たちは、ここで誰かが首を吊ったんだぜと、声を潜めて囁きあったものだ。でも、実際にここで首吊り事件があったわけではないと、今だから分る。もしあったら、あんな紐が残っているわけがないからだ。

ただ、別の理由でこの林は不気味な場所でもあった。この林は他と比べても、薄暗いのが特徴だった。背の高い木が多く、頭上を葉っぱでふさがれており、昼間でも下まで日差しが届かないためだった。

その上、周りの道路の周辺だけ背の高い草が生茂っていたため、草を分けて立ち入ると別世界に迷い込んだような印象があった。人目が届かぬ場所でもあり親たちに隠れて、内緒の遊びをするのに絶好な場所であったのは確かだ。

内緒の遊びといっても、たいがいがマッチを燃やすだけの火遊びとか、禁じられていた学校帰りの買い食い程度であった。しかし、もう一つ、大事なことをする場所でもあった。それが喧嘩。

理由は覚えていないが、日頃仲のいい遊び友達であっても、やる時はやる。それが子供同士の喧嘩だった。この首吊り森は、大人の目の届きにくい場所なので、喧嘩をやるには絶好の場所であった。

今だから分るが、子供同士の喧嘩は子供の聖域であり、断じて大人の介入を許していいものではなかった。私は大人しい子供であったと思うが、いささか沸点が低く、つまらぬことでいきり立て喧嘩を始めることがあった。

あの時も、近所の幼馴染みであるジュンちゃんとつまらぬ理由で喧嘩をはじめた。ジュンちゃんは私より一回り大きく、普通にやったら勝てる相手ではなかった。

だが、あの首吊り森の暗い雰囲気が私をおかしくさせた。あの時、私は怒ってぶつかり、殴り合い、取っ組み合いながらも、自分の異様な精神状態に戸惑っていた。なぜにこれほど怒り狂うのか、自分でも分らなかった。

気がついた時には、私はジュンちゃんの背後にまわって彼の首を絞めていた。まわりの遊び仲間があわてて私を引き離そうともがいていた。それが分っていながら、私は首を絞める手を緩めることが出来ずにいた。

耳をひっぱられて、顔が上をむかされた時だ。私の目に、頭上の木々の葉っぱのカーテンの隙間を抜けて、太陽の日差しが差し込んできた。その瞬間、私の狂気は身体から抜け落ちた。

首を絞める手をほどき、呆然と立ち竦むと、寝転んだまま激しく苦しそうに呼吸を繰り返すジュンちゃんの姿が目に入った。後悔が全身を突き抜けた。もし・・・を思うと恐ろしさに身がすくんだ。

ジュンちゃんとはすぐに仲直りしたが、その後二人は無意識に首吊り森に入ることは避けるようになっていた。私は私で、自分の狂気が理解できず、自分を狂気に追いやるかもしれない喧嘩を厭うようになっていた。

首吊り森の暗く陰鬱な雰囲気が、私をおかしくさせたのだろうか。以来、私は自分が自分でなくなることを異様に怖れるようになった。

そのせいで、酒を飲んでも酩酊することは好きではない。無理やり酒を飲まされた大学時代を別にすれば、酒の席での失態が少ないのはそのせいだ。

だから如何にストレスがたまろうと、我を忘れるほど酒を飲むことはない。酒はあくまで食事と会話を楽しくするためにあると割り切っている。

ただ、それでもだ。たまに駅のホームなどで幸せそうに酩酊している酔漢を見かけると、ちょっぴり羨ましかったりする。あそこまで自分を解放できれば、あれはあれで幸せなのだろうとも思うのだ。

そんな時こそ自分の冷静さや、醒めた生き方が疎ましく思える。まぁ、隣の芝は綺麗に見えるだけなのだろうとも思っていますがね。
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管首相に思うこと

2010-06-17 12:25:00 | 社会・政治・一般
もっと警戒したほうが良いと思う。

ついに誕生してしまった菅内閣。14年ぶりの政治家2世でない首相でもある。ちなみに14年前の村山は、与党に戻りたいがゆえに社会党に膝を屈した自民党の露払いに過ぎず、自らの意思と実力で掴んだ首相の座とは言いがたい。

その意味で、菅首相は本当に久方ぶりの成り上がり首相である。

成り上がりという言葉は、普通蔑視を伴い、上から目線で使われる。しかし、親のコネや財力をあてにせずに、見事自らの実力で最高権力の座を勝ち取ったわけだから、成り上がりという言葉は当人にとって誇らしい言葉でもある。

そこんとこ、ヨロシク!(@永ちゃん)

だが、冷静にこの人の経歴を洗っていくと、容易ならざる人物であることが透けてみえてくる。市川房江の選挙スタッフから始まった政治家人生だが、社民連合で苦労して当選、その後新党さきがけへ移り、橋本内閣当時の厚生大臣として「薬害エイズ事件」で一躍名を上げる。

その後、民主党に移り度々舌禍事件を引き起こしたり、はたまた代表や幹事長職を辞したりと浮き沈みが激しい。だが、労働組合の後ろ盾もなければ、親から引き継いだ選挙地盤、後援者もないにも関らず、大衆からの支持だけで今日の地位を築き上げた事は驚嘆すべきことだと思う。

実際、これだけ貧弱な政治基盤にも関らず最高権力の座を射止めた政治家なんて、日本の憲政史上稀だといわざる得ません。政界渡り鳥として生き残るために風見鶏的生き方を選ばざる得なかったのでしょうが、単なる左派政治家と断ずることは出来ないと思うのです。

私がこの人に脅威を感じたのは、やはり「薬害エイズ事件」のときの狡猾さからだ。官僚と製薬会社の薬害隠しは、当時の厚生族といわれた族議員の関与が当初から囁かれていた。そして菅を大臣に起用したのは、他でもない厚生族のボスの一人である橋龍その人だ。

馴れ合いとは言わないが、なんらかの裏取引と手打ちがあったことは間違いないと私は邪推する。事実、族議員で生贄にさらされたのは、役所上がりの中堅が3名だけであった。見事、厚生族の本丸は守られた。

菅が左派の政治家によくある絶対的な善意に縛られるタイプなら、この手の妥協は在り得ない。たいしたバックを持たない脆弱な政治家に過ぎない菅の立場を考えれば、最大級の裏取引であったと評してもいい。いわゆる市民派議員で、これだけ現実的で柔軟な判断が出来る人は滅多にいない。

だからこそ脅威なのだ。

菅直人は、必要とあらば小沢一郎とでも握手するし、福島みずほを切り捨てることも臆さないと思う。いや、オバマに固い握手を求めたその手で、翌日に金正日を抱擁することだってやるかもしれない。

憲法改正を口にする一方で、平然と自虐歴史教育の推進にお墨付きを与えることだってやりかねない。この男、怖いと思う。叩き上げだけに、甘っちょろい批難なんざ平然と踏み躙るだろうし、目的のためなら堂々ウソを付けるタイプだよ。

私の心配しすぎかもしれないけど、要注意だと本気で心配しています。
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