ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

再び派遣村に思うこと

2010-01-23 14:05:00 | 社会・政治・一般
優しさと、甘やかしは違う。

今年も年末年始にかけて、例の派遣村とかいう名の慈善事業が花開いた。正月の空っ風に吹かれて、善意の衣が吹き飛ばされてみると、正体を露にしたのが酒と賭博に逃げる失業者という名の怠け者だった。

働こうとしない失業者。そりゃそうだ。なにせ働くなくても、どっかのお人よしどもが食事と寝場所をふるまってくれる。おまけにお小遣いまでくれるというのだから、バカらしくて身を粉にして働く気なんか起こるものか。

どうせ仕事がない正月は、ここでノンビリ過ごして、お小遣いをもらったらサッサと逃げ出して酒でも飲むさ。俺たちは一応働きたいけど、俺たちに相応しい高収入で楽な仕事がないだけだ。つまり世間が悪い、企業が悪い、政治が悪い。

俺たちゃ要するに被害者なのさ。政府がバカだから、俺たちに相応しい仕事がないだけさ。だから税金で酒飲んで何が悪い!もっと酒よこせ!!

おっと、お人よしどもが来やがったぜ。首を垂れて、しおらしく人生の不幸を嘆かなきゃ。俺たちゃ大企業の犠牲になった哀れな失業者様なのさ。それに相応しい演技をする程度の努力はしなくちゃね。

どうせ、あのお人よしどもは気づいちゃいないけど、一応酒ビンぐらいは隠しておけよ。あいつら、善人ぶりたいだけで本当のことなんざ分っちゃいない。あいつらを良い気持ちにさせてやっているのだから、俺たちも苦労が絶えないね。


一応、念のため書いておくが、上記のヨタ話は私の根も葉もない創作だ。本当に苦しんでいる失業者とは無縁の悪辣な空想に過ぎない。本当に空想であって欲しいと思う。

思うけど、もしかしたら・・・との疑念を拭いきれない。私だって失業者が酒を飲んではイケナイなんて事は言わない。でも、その酒代の出所が税金だとしたら、やっぱり眉をひそめざるえない。

敢えて言いますが、善意はいとも容易に悪意に踏みにじられる。この寒空に安住の地をもたない失業者に同情するのはいい。でも、甘やかせば、むしろかえって不幸は連鎖する。

私は優しいだけの善意なんて、甘えに過ぎず、善意そのものを貶める愚行だと思います。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日かあさん(背脂編) 西原理恵子

2010-01-22 12:30:00 | 
子供の頭のなかは摩訶不思議。

子供の頃は、本当によく怒られた。でも、今だから白状するが、叱られた中味なんざ、まったく覚えてない。頭を垂れて、健気な態度で怒られていたが、頭のなかでは全然違うことを考えていた。

親や先生が、なにやら真剣な顔つきで大声あげていたようだが、私の頭の中は他のことで一杯だった。林の奥のカブトムシをいかに捕まえるか、あるいは火星のタコ足宇宙人と遊ぶことだったり、はたまた真空の宇宙を飛べるウルトラマンが何故に首を絞められると苦しむのかに対する疑問だったりする。

要するに、親たちがいくら真剣に説教しようと、その中味なんざ頭をすり抜けるばっかりで、全然役に立っていなかった。さすがに、それを口に出してはイケナイことぐらいは分っていた。

今だから言うが、怒るのと説教は分けたほうがいい。興奮して怒っている奴の言い分なんざ聞きたくない。もちろん、悪いことは悪いと叱るのは必要だ。でも、短く強烈にやって、すぐに終わらせるべきだ。

子供は無意識に気づいている。親は怒りを発散するために、長々と説教していることに。だから聞いているふりはしてあげるが、中味は聞いちゃいない。

以前は私だけがひねくれているのかと思っていたが、案外そうでもないことに気がついた。

大学の部活では、しばしば反省会が開かれて、猛烈に怒られたものだ。特にリーダーになる前の二年の時がひどかった。連日連夜、学生会館で反省会のオンパレード。

私は既に投やりになっていたので、上級生たちの説教をヘイヘイと聞き流していたが、真面目な同期たちは真剣に聞いているようだ。ん?・・・でもないぞ。

育ちが良いHの奴なんざ、机の上にバイクのヘルメットを置いて「バリアー」などとつぶやいている。可笑しくって笑いを堪えるのに必死になった。

翌日、上級生からH!、ヘルメットを下に置け!と怒鳴られて「いかん、バリアーを破られた」などと小声でつぶやいたもんだから、それを聞きつけた上級生までもが必死で笑いを堪えていた。当然ながら説教の内容なんざ覚えてない。

もっとも説教自体を否定するわけでもない。私のおばあちゃんは上手だった。初孫だった私は随分と可愛がられた。でも、問題ばかり起こしていた私だが、おばあちゃんから怒られた経験はない。

ただ、叱るのが上手かった。適切なタイミングで、心にしみる言葉を投げかけてきた。穏やかな口調で語られる説教は、素直に聞き入れざる得なかった。私はこのおばあちゃんに怒られることだけは異常に怖れていた。一度も怒ったことがない人だけに、この人に怒られるのだけは避けたかった。

「男は人前で泣くんじゃないよ。泣く時は口を噛み締めて、黙って泣きなさい」

私が人前で泣くのが苦手なのは、おばあちゃんのせいだ。躾の力って凄いと思うな。

なお、表題の漫画は、西原理恵子が毎日新聞日曜版に連載している子育て日記、笑えます、笑いながら、そうだったよなぁ、そうなんだよなぁと楽しめます。相変わらず汚い絵柄ですが、パワーがあります。子育てにお悩みの方は必読ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南ア大会予選E組に思うこと

2010-01-21 11:03:00 | スポーツ
まあ、順当にみてE組四位は固いと、自虐的につぶやかねばならないのが辛い。

岡田監督が掲げたベスト4は、予選グループ内でならば当確だろう。つまり最下位なのだが、世界のサッカーファンの大半がそう思っているのは、否定しがたい事実だ。

私としては、オランダ、カメルーン、デンマークといった強豪とどう戦い、いかに負けて経験値を積むかが見所だと開き直っている。どう贔屓目に見ても、日本に勝ち目はない。

もし、日本サッカー協会が本気で勝ち上がることを目指すならば、今からでも遅くない。オシムを戻すか、さもなきゃ浪人中のヒディングなどの世界的名声をもった監督を招聘すべきだろう。

アジア内でさえ、ほとんど実績のない岡田監督で世界を目指すこと自体無謀なのだ。ただ、素人集団に過ぎない日本サッカー協会の幹部たちには、その現実がみえてない。

ただし、まったく可能性がないわけではない。一弱三強のE組では、どのチームも日本には絶対勝たねばならない。引き分けは許されない。そこにこそ可能性がある。

徹底的に守備を固め、相手が攻め疲れた隙を縫ってのカウンター攻撃に徹すれば、弱小チームにだって勝機はある。ありがたいことに、日本相手に守備重視で戦うような相手ではない。絶対に強気で攻めてくるから、そこにこそ隙は生まれるはずだ。チャンスはそこだけだ。

ただ、日本チームは伝統的に守備的な戦い方を好まない。岡田監督自身、コンサドーレ札幌でもFマリノスでも守備的なチームを作ったことはない。DF出身だが、世界に通じるような守備を指導できる経験は持ち合わせていない。これでは勝てない。

では可能性は皆無か。そうでもないと私は希望的に憶測する。アジア予選の最中だったが、アウェイでのカタール戦は、日本にとって天王山だった。絶対に負けられない試合において、日本は驚くほど守備的な試合をした。

深夜の放送だったので、観た人は少ないと思う。ここ十年近く見てきた日本代表の試合のなかで、最も守備的に戦ったのが、アウェイでのカタール戦であった。なにせ、中盤の司令塔の中村俊輔と遠藤の二人が自陣に張り付いて、守備を固めた。ボランチの長谷部、稲本も攻めあがらず、相手選手をサンドイッチにして自由にさせず、DFのトゥーリオ、中沢はロングボールを跳ね返すのみ。

守りに守って、焦ってきたカタールの隙をついてカウンターで得点する巧妙な戦い方であった。ただ、岡田監督の指示とは違う印象があった。むしろ、遠藤と俊輔が話し合って戦い方を決めていた感が強い。

私がそう思うのは、この二人、やたらとインタビューで岡田監督を持ち上げるからだ。試合前の岡田監督の発言と、実際の試合の戦い方には微妙に違和感がある。現在の代表チームを仕切っているのは、間違いなく俊輔と遠藤だ。この二人、必ずしも岡田監督の指示に従っていない気がする。

岡田監督も気がついているようだが、実際問題この二人が欠けると、チームはうまく回らない。俊輔と遠藤がチームに入ると、スムーズにボールが回り、選手が走ってパスがつながる。昨年の欧州遠征では露骨なくらい、その違いで出ていたと思う。

個々の選手の力量は、あまり高くない日本だが、チームとしてまとまっている時は驚くほど強い。岡田監督はともかくも、ドイツ大会で苦杯を舐めた二人を中心に団結すれば、案外世界を驚かす勝利を上げることは決して夢物語ではないと思う。

可能性が低いことは私も認める。おそらくは1割りか2割程度だろう。それでも信じて応援したいぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15年目の震災に思うこと

2010-01-19 15:40:00 | 社会・政治・一般
私は忘れてやらない。

15年前の早朝だった。阪神淡路地方を巨大な地震が襲ったのは。朝、起きぬけのニュースは、火災が拡がった被災地の映像で溢れていた。崩壊した高速道路や、倒壊した家屋、そして呆然とした被災者の映像に衝撃を受けた。

この映像を首相官邸でポカンとして眺めていたのが、時の総理大臣である村山である。細川率いる日本新党に政権を奪われた自民党が、権力の座に戻りたくて長年の政敵である社会党に膝を屈した上での連立与党の首班が、この村山富市であった。

おかしなことに、長年にわたり反対していたはずのアメリカとの軍事条約を黙認し、「やるっきゃない!」と鰍ッ声を上げた消費税廃案も影に葬った。政権を担う連立政権の首班として、それは当然の判断だ。しかし、鬱屈したものがあったのだろう。

この未曾有の大災害に際し、アメリカ軍から援助の手が差し伸べられたが、男・村山は断固拒否した。侵略者であり、帝國主義者でもあるアメリカの助けは借りんと胸を張った。

長年アメリカとの軍事条約に反対し、ヴェトナム戦争に反対し、核兵器に反対し続けた野党政治家の矜持を守ったわけだ。政治家として、自らの信念に殉じたといってもいい。

だが、冷静に考えて欲しい。アメリカ軍には病院船をはじめとして、災害時に役立つものを多数持っていた。自衛隊及び病院関係者が咽喉から手が出るほど欲しかったヘリコプターも多数展開する力があった。

なにせ道路網は崩壊し、難民で溢れ、車両での移動は難しい。頼みの民間ヘリコプターはマスコミ様が徴用して空きはない。おかげで、医薬品や急病人の搬送に手間取り、多くの命が失われた。

もし、アメリカ軍のヘリコプターを活用できたら、救えたはずの命はかなりあったと思われる。もし、アメリカ軍の病院船を活用できたら、きっと多くの命が救えたはずだ。

しかし、当時の連立政権は敢えて人命を軽視した。自らの政治信条を守るため、被災者の命を犠牲に供した。私は人の命は地球より重いとは考えないが、それでも助けられる命を見捨てた当時の自社・連立政権のやったことは忘れてやらない。

その後、社会党は解体する羽目に陥ったが、これはこの時見捨てられた被災者の恨みのおかげだと私は邪推している。ついでだから書いておくが、当時のマスコミで、この村山内閣の人命軽視を批難した意見は、ほとんど無視された。批難の声が上がったのは確かだが、黙殺してのけたのが当時のマスコミ様だ。

今もそうだが、マスコミには覚悟なき軽薄な反米思想がこびりついているので、アメリカ軍の手を借りなかったことを、むしろ賛美する風潮さえあった。どうやら、自らの政治信念の崇高さに比べれば、被災者の命なぞ軽いものなのだろう。

そして15年がたち、亡くなった被災者の遺族たちは、私たちは忘れないと誓いを叫ぶ。もちろん、亡くなった家族、友人を忘れないのは当然だろう。しかし、忘れずに銘記して欲しいものだ。

当時の政府は、あなた方の亡くなった家族たちを助ける努力を怠った事実を。マスコミはその人命軽視を黙殺したことを。そして、当時の社会党の残党が今の民主党政権に居座っていることを。

日本人は忘れっぽい。でも、私は忘れてやらない。忘れてやるもんか!
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカは恐怖に踊る バリー・グラスナー

2010-01-18 12:38:00 | 
恐怖は金になる。

嘘じゃありませんよ。多分ホラー映画や怪奇小説等を思い浮かべた方は多いと思う。でも、もっとも金を稼ぎ出すのは、誰もが目にする大手のTVのニュースであり、新聞であり、雑誌の事件報道だ。

なにせゴールデンタイムのニュース報道は犯罪のオンパレードだ。どす黒い血痕が目を惹く路上にて、TVレメ[ターが顔を引きつらせながら、残忍な事件の顛末を語る。

泣き崩れる母親の悲嘆を映しながら、可愛らしい子供の写真を手にとって、TVに向かって忠告する。「貴方の隣に、凶悪な犯罪者がいます。油断してはなりません!」

誇張されるだけでなく、意図的に変造される統計数値を手にとって賢しげに解説するTVキャスターたち。ごく一部の少ない犯罪を、あたかも何時でも何処でも起こる日常的な凶事だと視聴者を洗脳する。

犯罪で恐怖を煽る報道こそが視聴率をとれる。これは事実だが、その一方世の中の大半が平和で穏便である事実はあまり報じない。もちろん和やかなニュースにも価値はあるので、時折報じるがその一方で報じない事実もある。

若者が学校で銃を乱射して死傷者が出たことは伝えても、その若者が大口径で、大量発射が可能な殺傷力の高い銃を、いとも容易に購入できた事実は報じない。

国境を挟んで同じような町があり、一方は殺傷事件が年間数十件発生し、もう一方は数軒しか発生しない。前者の町では誰もが自由に強力な銃器を買えるが、後者の町では厳しく規制された上での銃器購入しか認めていない。

でもマスコミが報じるのは悲惨な殺傷事件であり、その背景にあるはずの事実。すなわち殺傷力の高い銃が大量に溢れていることが、むしろ殺傷事件の多さを高めている事実は報じない。

マスコミは恐怖を煽って商売する。殺傷事件を大々的に報道されるのを見たアメリカ人は、翌日には護衛用に銃器を買いに走っても不思議ではない。これがアメリカの現実だ。

あまりTVを観ない私だが、日本の現状だって似たようなものであることぐらい分る。TVの番組は視聴者の恐怖を煽るもので溢れている。健康問題であり、老人虐待であり、児童誘拐であり、偽装問題でもある。視聴者を不安がらせて視聴率を稼ぐ。

当然にアメリカ同様、報じるべき事実は無視して、意図的な誇張と統計数字の曲解を駆使している。表題の本はアメリカにおける報道の問題点を暴きだし、読者に熟慮することを呼びかけている。

TVであろうと新聞であろうと、結局のところ自分の判断力こそが一番大切であることを思い知らされた一冊でした。機会がありましたら、是非ご一読ください。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする