時々、どうしようもなく腹が立つことがある。
先月末のことだが、新聞の片隅に出ていた小さな記事がそれだ。厚生労働省肝煎りの新しい政策である雇用促進事業への申し込みがなく、新たに二次募集をかけるという間抜けな記事だ。
あんな非現実的、かつ非実用的な政策にのる企業があるわけないだろうと思っていたら、予想とおりこのざまだ。数百億の予算が宙に浮いているのだから、官僚どもの頭の悪さには吐き気がする。
さらに言うなら、そんな間抜けな政策の失敗を批難できない腰抜け、かつ不勉強なマスコミにも腹が立つ。役所の広報資料を横流しして、それを取材と称する怠惰さに安住しているのだろう。
このところ厚生労働省の失態が目立つが、実際は他の官庁でも似たようなものだ。原因は分っている。政策を企画立案するエリート官僚が現場を知らないからだ。机上の理論だけで、実施の困難さを勘案していない良く出来た役人の作文が、法律として国会を素通りしているからだ。
以前だって、日本のキャリア官僚たちは現場を知らなかった。それでも今よりはるかに有益な法案を作成できた。なぜか?法律作成の段階で、下級官僚たちの意見が上手に取り入れられていたからに他ならない。
では何故、今それが出来ないのか。下級官僚によるキャリア官僚への接待飲食が出来なくなったからだ。さらに管轄する業界との飲食接待が禁じられたがゆえに、ますます行政側が社会の実情に疎くなったからでもある。
このような行政の機能不全の原因は、突き詰めるなら、庶民の嫉妬感情にある。具体的には食料費問題(税金で飲み食いするな!)と言われた役所の接待飲食批判にこそある。
よくよく考えて欲しい。頭は良いが現場を知らないエリートさんたちが作った法律の原案を、会議室で下級官僚たちが不具合を指摘したらどうなるかを。
エリートたちは、人事権のみならず予算権などの権限を一手に握る。その誇り高きエリートが、公式の場で面子を潰されたら、後でどのような報復に出るか。官庁のみならず、大きな組織で働いた経験がある人ならば、下級職の人間に面子を潰された上級職の人間の報復が如何なるものか分ると思う。
公には報復なんて認めるわけがない。しかし、その報復が実際にあることは、誰もがみんな知っている。だからこそ、会議室とかの役所のなかでは、批判的な意見が交わされることはない。これが現実だ。どんなに正しい意見でも、それが上級職の人間のプライドを傷つけるようなものならば、必ず報復があるのが人間の本性だ。
だからこそ、官官接待が必要だった。非公式な場で、酒と食事を飲み交わしながら、相手を気遣いつつも本音の意見を言い合って、上の人間に実情をわかってもらう。上の人間は非公式な場での批判ならば、それが面子を傷つけぬがゆえに受け入れる。非公式な場であるからこそ、組織の体面、権威を脇に置いて下の人間の話を聞ける。非礼があったとしても、それは酒の席での失態として、後日謝れば済む。
これが日本の社会を円滑に動かす知恵のあり方だった。このやり方が官民問わず行われてきたがゆえに、日本は飲食業が特異な発達を遂げた。料亭や高級クラブは、実に有用な非公式会議の場であったのだ。
それを浅はかな良識で禁じたが故に、役所が世の実情にあった改正法案を作れなくさせた。一見正論にみえながら、それでいて幼稚な嫉妬に過ぎぬ接待禁止が、むしろかえって世の中を悪くした。
納得できないならば、もう一度よく考えて欲しい。自分の将来の出世、昇給、転勤などの重要な権限を握る相手と飲んで、楽しい時間を過ごせますか?仕事だからこそ、そんな相手とも酒を飲むのです。
想像して欲しい。会議室の場で社長が企画したプランを、下っ端の若い社員が「こんなプランじゃ売上伸びるわけがないです」と発言する場面を。その若い社員の意見が正しいとしても、決して採用されることはないだろうし、その若い社員の将来は厳しいものになることぐらい、誰でも分ると思う。
だからこそ、日本では接待交際の場が活用された。酒を飲み交わしながら、上手に意見を押し通すことこそ、仕事の出来る大人のやり方であった。非公式な場だからこそ言えることがある。これは仕事に限らず、日本における意見交換のあり方の典型だったはずだ。それをつまらぬ倫理観、嫉妬心から禁止した結果が今の惨状だ。
もちろん、税金を使っての私的な飲食に流用する良からぬ輩もいたことも確かだ。それを罰するのは当然のことだが、多くの場合、仕事の上で必要な接待飲食だと思う。このような非公式な場を上手に活用することこそ、仕事を円滑に進める上で必要不可欠なことなのだ。
私の知る限り、仕事の出来る人間は遊び上手が多い。遊びの部分をいかに使うかで、仕事に差が出るのが日本の社会だ。これは官民問わず共通の傾向だと思う。それを浅薄な良識に上塗りされた嫉妬心で潰しやがった。
つまるところ、この愚行のつけを今、我々国民全体が負わされているわけだ。アァ情けない、みっともない。
先月末のことだが、新聞の片隅に出ていた小さな記事がそれだ。厚生労働省肝煎りの新しい政策である雇用促進事業への申し込みがなく、新たに二次募集をかけるという間抜けな記事だ。
あんな非現実的、かつ非実用的な政策にのる企業があるわけないだろうと思っていたら、予想とおりこのざまだ。数百億の予算が宙に浮いているのだから、官僚どもの頭の悪さには吐き気がする。
さらに言うなら、そんな間抜けな政策の失敗を批難できない腰抜け、かつ不勉強なマスコミにも腹が立つ。役所の広報資料を横流しして、それを取材と称する怠惰さに安住しているのだろう。
このところ厚生労働省の失態が目立つが、実際は他の官庁でも似たようなものだ。原因は分っている。政策を企画立案するエリート官僚が現場を知らないからだ。机上の理論だけで、実施の困難さを勘案していない良く出来た役人の作文が、法律として国会を素通りしているからだ。
以前だって、日本のキャリア官僚たちは現場を知らなかった。それでも今よりはるかに有益な法案を作成できた。なぜか?法律作成の段階で、下級官僚たちの意見が上手に取り入れられていたからに他ならない。
では何故、今それが出来ないのか。下級官僚によるキャリア官僚への接待飲食が出来なくなったからだ。さらに管轄する業界との飲食接待が禁じられたがゆえに、ますます行政側が社会の実情に疎くなったからでもある。
このような行政の機能不全の原因は、突き詰めるなら、庶民の嫉妬感情にある。具体的には食料費問題(税金で飲み食いするな!)と言われた役所の接待飲食批判にこそある。
よくよく考えて欲しい。頭は良いが現場を知らないエリートさんたちが作った法律の原案を、会議室で下級官僚たちが不具合を指摘したらどうなるかを。
エリートたちは、人事権のみならず予算権などの権限を一手に握る。その誇り高きエリートが、公式の場で面子を潰されたら、後でどのような報復に出るか。官庁のみならず、大きな組織で働いた経験がある人ならば、下級職の人間に面子を潰された上級職の人間の報復が如何なるものか分ると思う。
公には報復なんて認めるわけがない。しかし、その報復が実際にあることは、誰もがみんな知っている。だからこそ、会議室とかの役所のなかでは、批判的な意見が交わされることはない。これが現実だ。どんなに正しい意見でも、それが上級職の人間のプライドを傷つけるようなものならば、必ず報復があるのが人間の本性だ。
だからこそ、官官接待が必要だった。非公式な場で、酒と食事を飲み交わしながら、相手を気遣いつつも本音の意見を言い合って、上の人間に実情をわかってもらう。上の人間は非公式な場での批判ならば、それが面子を傷つけぬがゆえに受け入れる。非公式な場であるからこそ、組織の体面、権威を脇に置いて下の人間の話を聞ける。非礼があったとしても、それは酒の席での失態として、後日謝れば済む。
これが日本の社会を円滑に動かす知恵のあり方だった。このやり方が官民問わず行われてきたがゆえに、日本は飲食業が特異な発達を遂げた。料亭や高級クラブは、実に有用な非公式会議の場であったのだ。
それを浅はかな良識で禁じたが故に、役所が世の実情にあった改正法案を作れなくさせた。一見正論にみえながら、それでいて幼稚な嫉妬に過ぎぬ接待禁止が、むしろかえって世の中を悪くした。
納得できないならば、もう一度よく考えて欲しい。自分の将来の出世、昇給、転勤などの重要な権限を握る相手と飲んで、楽しい時間を過ごせますか?仕事だからこそ、そんな相手とも酒を飲むのです。
想像して欲しい。会議室の場で社長が企画したプランを、下っ端の若い社員が「こんなプランじゃ売上伸びるわけがないです」と発言する場面を。その若い社員の意見が正しいとしても、決して採用されることはないだろうし、その若い社員の将来は厳しいものになることぐらい、誰でも分ると思う。
だからこそ、日本では接待交際の場が活用された。酒を飲み交わしながら、上手に意見を押し通すことこそ、仕事の出来る大人のやり方であった。非公式な場だからこそ言えることがある。これは仕事に限らず、日本における意見交換のあり方の典型だったはずだ。それをつまらぬ倫理観、嫉妬心から禁止した結果が今の惨状だ。
もちろん、税金を使っての私的な飲食に流用する良からぬ輩もいたことも確かだ。それを罰するのは当然のことだが、多くの場合、仕事の上で必要な接待飲食だと思う。このような非公式な場を上手に活用することこそ、仕事を円滑に進める上で必要不可欠なことなのだ。
私の知る限り、仕事の出来る人間は遊び上手が多い。遊びの部分をいかに使うかで、仕事に差が出るのが日本の社会だ。これは官民問わず共通の傾向だと思う。それを浅薄な良識に上塗りされた嫉妬心で潰しやがった。
つまるところ、この愚行のつけを今、我々国民全体が負わされているわけだ。アァ情けない、みっともない。