ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

奴隷になったイギリス人の物語 ジャイルズ・ミルトン

2009-07-27 12:16:00 | 
世に驚きの種は尽きないらしい。

白人奴隷と聞いて思い出すのは、ギリシャ・ローマ時代の奴隷か、さもなきゃスルタンのハーレムに囚われた女性たちぐらいだった。

まさか100万を超えるヨーロッパの白人が、イスラム社会で奴隷として辛苦を舐めていたなんて、まったく知らなかった。それも19世紀初頭まで、白人奴隷は苦難の道をたどっていたとは驚きを禁じえない。

しかも、その白人たちを監督し、時には残虐な処罰を与える管理者が、アフリカの黒人だったという。あの時代、既にアフリカから新大陸へ多数のアフリカの黒人たちが奴隷として運ばれ、鉱山や農園で過酷な労働を強いられていたはずだ。

同じ時代に、アフリカの黒人たちがスルタンの親衛隊としてイスラム社会で活躍し、さらには白人奴隷を虐待していたという。この逆転現象に歴史の辛辣さを感じざる得ない。

それにつけても、私が学生時代に教科書で学んだ世界史の、なんと薄っぺらいことよ。表題の本で取り上げられたイギリス人の少年は、伯父が船長を務める商船の見習い船員だった。当時、モロッコのサリ港をねぐらとする海賊に襲われ、モロッコの地でスルタンに売り払われる。

18世紀はヨーロッパの帝国主義華やかな時代だと思いきや、当時の庶民は海をわがまま顔で暴れまわるイスラムの海賊たちに怯えていた。船を襲うだけでなく、スペイン、フランス、オランダ、イギリスなどの沿岸の町や村を襲い、財宝だけでなく市民を拉致して、奴隷市場で売りさばく。

当時のモロッコのスルタンは、ヴェルサイユ宮殿をはるかに凌ぐ巨大な王宮の建築を部下に命じた。その建築には数十万の白人奴隷の強制労働により賄われた。一日15時間の労働と、黒人監督の虐待。蚤や虱の跋扈する不衛生な牢獄に押し込まれ、病弱なものはつぎつぎ処分される。そしてキリスト教を捨てて、イスラム教への改宗を強引に迫られる。

生き延びるために主人公の少年は、イスラム教への改宗を選択せざるえなかった。そして、そのことが帰国の障害となった。キリスト教社会であるヨーロッパでは、イスラムへの改宗は裏切りであり、背教でもある。

イスラムへの改宗を拒んだ白人奴隷たちは、過酷な状況下で次々と死んでいく。かろうじて生き残った者は、稀に本国へ買い戻されることもある。しかし、それもスルタンの気まぐれ次第。その上イスラムへの改宗者には救いの手が伸ばされることはない。

主人公の少年は、何度もの失敗の後、苦難の末に帰国を果たすが、それはかなり珍しいことのようだ。15世紀から18世紀にかけての奴隷といえば、アフリカの黒人ばかりが念頭に浮かぶが、ヨーロッパからも無視されてきた白人奴隷。なぜに無視されたのか。

世界史というカテゴリーは、元々は遅れた蛮族の地であったヨーロッパのキリスト教国が、本来の先進国であるアジア、イスラムを侵略した際、その行為を正当化するために編み出された。その観点からすると、キリスト教に背信した白人奴隷の存在など無視したくなる気持ちは分らないでもない。

しかし、今日の近代西欧社会とイスラム社会の軋轢を理解するうえでも、このような事実が存在していたことを知るのは有意義だと思う。多少は歴史の知識があると思っていた私ですが、まさか1800年代初頭まで、近代西欧がイスラムの奴隷狩りの脅威に曝されていたとは驚きです。当時のヨーロッパは、あきらかにイスラムの強大さを浮黶A自分たちを格下に感じていたことがよく分りました。

改めて産業革命の偉大さを知ると同時に、今日の第三世界の貧困の問題は、近代ヨーロッパのみならずイスラムも深く関与していたことが確信できました。そしてなによりも、西欧とイスラムの対立の根深さをも。

世の中、まだまだ勉強すべきことって沢山あるのですね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする