かつて田中角栄は竹下登を評して「俺の悪いところばかりを学んでやがる」と言ったことがあるそうです。その竹下派7奉行の一人であった小沢一郎は、田中角栄の良いところを学びきれず、竹下登の良いところも学びきれなかったのではないか、そんな感があります。
豪腕とか言われることの多い小沢一郎ですが、気配りは竹下に遠く及ばず、度量の大きさで田中角栄に遠く及ばない。このことが小沢一郎を首相の座から遠ざけていると、私は観ていました。
外国メディアからは、その論理の通った発言を評価されることが多く、政治家としてその豪腕ぶりに期待を寄せる向きは多かろうと思います。もっとも当人は豪腕として見られることを嫌っているようで、むしろソフト路線を演じているようですが、かえってそのことが評価を下げているようにみえます。実際似合わないし、窮屈ささえ感じます。
小沢一郎に寄せられる期待と、本人の望む理想像と本人とのギャップが、この先どのような展開を見せるのか、少々意地悪な期待をもって見ていきたいと思います。
豪腕とか言われることの多い小沢一郎ですが、気配りは竹下に遠く及ばず、度量の大きさで田中角栄に遠く及ばない。このことが小沢一郎を首相の座から遠ざけていると、私は観ていました。
外国メディアからは、その論理の通った発言を評価されることが多く、政治家としてその豪腕ぶりに期待を寄せる向きは多かろうと思います。もっとも当人は豪腕として見られることを嫌っているようで、むしろソフト路線を演じているようですが、かえってそのことが評価を下げているようにみえます。実際似合わないし、窮屈ささえ感じます。
小沢一郎に寄せられる期待と、本人の望む理想像と本人とのギャップが、この先どのような展開を見せるのか、少々意地悪な期待をもって見ていきたいと思います。