ヌマンタの書斎

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ノーベル平和賞

2017-12-14 13:29:00 | 社会・政治・一般

褒められると、人は案外と本音を語り出す。

2017年のノーベル平和賞が、NGOであるICANに贈られた。核兵器の廃絶を訴えてきた団体である。核兵器の非人道性、その異常な破壊力と放射能の恐ろしさを人々に伝えて、残虐な核兵器を廃棄しようと努力している団体である。

広島、長崎という実際に原子力爆弾を使用された国の人間として、核兵器の非道さを訴える気持ちは理解できる。

某ホテルのロビーで、TVを視ていたら、この受賞関連のニュースで非認定NPOのピースボートの関係者が出てきて、誇らしげに語っていた。良く見ると、ホームレスの擁護でよく出てくるプロ市民であった。

自分たちがノーベル賞を受賞したわけでもないのに、イイ気になって語っているのが滑稽だ。誰でもそうだが、人間って褒められると、日ごろ口にしない本音を出してしまうことがある。

このプロ市民さんも、日ごろのうっ憤を晴らすかの如く、ペラペラと本音を曝け出してくれるので、興味深く見ていた。もっとも、その内容は十年一昔で、相も変らぬ脳内お花畑で奏でる、無責任な平和妄想を垂れ流すだけの空虚なものに過ぎなかった。

やはり、現実を直視する勇気はないようだ。

核兵器が非道であろうと、絶対悪であろうと、戦争を抑止する役割を果たしている。自国をなにがなんでも防衛したいと考える政府及び軍部にとって、核兵器ほど頼りになる防衛兵器はない。

そう考える人が少なくないからこそ、既に核兵器を持っているアメリカなどの反対を押し切って、核兵器を保有する。そんな国が増えているのが現実であろう。公表はしていないが、イスラエルや南アフリカなどは既に保有していると思われている。

パキスタンとインドは互いに核兵器を持つが故に、大規模な戦争は出来ずにいる。核兵器の持つ恐ろしさは、確実に戦争を小規模なものに押しとどめている。それが、反核論者には認めがたいとしても、厳然たる現実である。

そして皮肉なことに、あるいは残酷なことに、反核兵器運動が核兵器の悲惨さを世に知らしめる活動をすればするほど、その恐ろしい核兵器を自国を守るために欲しいと欲する国がある。

もし核兵器が廃絶される日が来るとしたら、それは核兵器を無効化する兵器が出来た場合と、核兵器を遥かに上回る非道で残虐な兵器が出来た場合だと思う。

兵器を作るのも人間だし、兵器を使うのも人間だ。その兵器に罪はない。兵器は、所詮道具に過ぎない。人が他人と争う生き物である以上、兵器に罪をかぶせても、戦争はなくならないと思います。


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