ヌマンタの書斎

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プロレスってさ シゴキについて

2021-07-27 11:33:00 | スポーツ
人間、誰しも裏表はあると思う。

実際、私自身にも日頃、人前では見せない裏の顔はある。ただし、知っている人は少数だがいるし、それでも人並みの付き合いはあるので、多分容認されているのだろうと思う。

これまでけっこうなプロレスラーの記事を書いてきたが、書きながらもいささか躊躇うこともある。どう判断すべきか明らかでなく、明白な証拠がある訳でもない。

ただ、証言や噂が多過ぎて、ある程度事実だろうと推測せざるを得ない。そう考えるのは、人には裏表があること、それが当人の人格構成上、必要もしくは必然であることが多いからだ。

前回、新日本プロレスの若手道場のシゴキの鬼軍曹として知られた山本小鉄について書いた。散々、若手をシゴキ抜きながらも、その若手から慕われた稀有な人である。

そう、稀有なのです。そうでない人も確実に居たことも確かです。

その代表とも云って良いのが佐々木健介でしょう。プロレスラーとしての健介に、私はプロレス・ファンとして文句はありません。しかし、道場の指導役としての健介の悪評には眉を顰めざるを得ない。

現在はプロレスを離れ、元女子プロレスラーとして著名な北斗昌の旦那さんとしてTVなどに出演していることが多い。鬼嫁として知られる北斗さんのにシバかれながらも笑顔を絶やさない好漢も、佐々木健介の一面なのだと思います。

しかし、プロレスを離れる時も、引退興行さえ打ってもらえないほどに、プロレス関係者からの評判は悪い。その最大の原因は、道場での若手への理不尽なシゴキなのです。

元々プロレスのシゴキは、大相撲の世界でいう可愛がりを引き継いだものであり、必要悪としてプロレス関係者から容認されているものです。私も子供の頃に、その道場でのシゴキの一端を目にしています。

マジで震えるほどの迫力あるシゴキであり、見学しているだけなのに、こちらが痛くなるような錯覚を覚えたものです。この厳しいシゴキに耐えきれず、逃げ出してしまう若手はかなりの数にのぼるそうです。

つまりプロレスラーとしてリングに上がることが出来るのは、その過酷なシゴキを耐え抜いた猛者ばかり。またそのような強者でなければ、鍛え上げられた者だけにしか許されぬ過酷な格闘演技は無理でしょう。

その意味で、シゴキは必要悪です。しかし、健介のシゴキは度を過ぎたと言われています。元関取の安田忠夫などは、今でも健介を憎んでいるそうですし、IWGPのチャンプにまで登り詰めた真壁刀義は口にするのも嫌がります。

そして致命的であったのは、健介が道場の管理者であった頃、新日本プロレスの練習生であった外人レスラーの一人、クリス・ベノアの自伝でした。そこでベノアは、健介が練習で危ない技を仕鰍ッて若手を殺していると書いているのです。

これは実際に起こった事故として報道もされています。練習中の事故だとして片づけられていますが、当時の若手レスラーから健介が忌み嫌われているせいか、擁護する意見は稀でした。

たしか警察の検死もあったので、公式に健介が罪に問われたことはありません。ただ、それにしては、他のプロレスラーからの評判が悪すぎる。プロレスの試合中の事故死は、三澤を始め数件ありますが、技を仕鰍ッた側がこれほどまでに業界関係者から嫌われるケースを私は知りません。

私自身は意味のない、あるいは理不尽なシゴキは大嫌いです。ただし、厳しさの必要性は認めているので、それが本来の目的に適合するのならば、シゴキと云えども容認しています。

実際大学WV部での上級生時代、私は下級生から極道と言われるほどきつかったみたいです。それは、何とはなしに知っていたので、その分飯を奢ったり、飲みに連れまわしたりしてフォローしていたつもりです。

でも、あまりそのフォローは上手ではなかったと思います。ただ私には、私が悪役を買って出ていることを理解してくれる同期がいましたから、あいつらのフォローがあったからこそ、下級生はついてきてくれたのだと分かっています。

多分ですけど、佐々木健介には、かれの行き過ぎたシゴキをフォローしてくれる仲間がいなかったのだと想像しています。

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