私がボルダリングというスポーツを知ったのは大学生の時だった。
以下、whkiより引用
ボルダリング(英: bouldering)とは、クライミングの一種で、最低限の道具(クライミングシューズとチョーク)で岩や人工の壁面などを登るスポーツである。「岩の塊」「大きい丸い岩」を意味する英語が語源である[1]。元々はロープを使用したフリークライミングの練習的な位置づけだったが、クライミングから確保という要素が取り除かれ、より純粋に岩を登る事に集中できる。また必要な装備が少なく[2]、手軽に始められる事から、ボルダリングを中心に行うクライマーが増えており、現在では独立したフリークライミングの一形態となっている。
その頃は、もっぱらフリークライミングの技術向上のため、私はボルダリングを行っていた。車で小一時間の奥多摩は多摩川沿いの御前山ボルダ―が練習場所であった。
以前書いたが、ここで昼寝していたらツキノワグマに遭遇したこともある。幸い巨石の上で寝ていたので、クマは登ってこれずに助かった。その代り河原に於いて於いたザックの中味の食糧は食べられた。
まァ元々クマの縄張りであるから仕方ない。クマは怖いが、ここはボルダリングの練習場所として格好の地であったので、大学を卒業するまで熱心に通ったものだ。ほとんど一人であったのは、大学の同期でクライミングに関心がある連中は、就職活動に苦労していたので、一人でやらざるをえなかったからだ。
そう、一人で出来るからこそボルダリングはありがたかった。社会人になれば、今までのように数人で山に行くことを示し合せるのは難しい。だからこそ、私はボルダリングに力を入れていた。
まさか、それから一年と経たぬうちに難病により身体を壊し、クライミングどころか日常生活にも支障を来たすとは当時は予想すら出来なかった。ちなみに私のボルダリングはもっぱら河原の巨石や、海岸の岩場に限られ、いわゆるインドアクライミングと呼ばれる人工壁の経験はない。
20代の大半を闘病生活に費やした私は、税理士の資格を得て30過ぎて働き出した。もう夢中で仕事に傾倒したので、もう登山はもちろんクライミングもボルダリングも忘れ去っていた。
いや、忘れるように意識していた。もう山への未練を断ち切るためにも、それは絶対に必要な覚悟だと考えていた。なるべく登山関係のものには目を向けないよう努力していた。
でも完全に忘れることは出来なかった。一日中、岩にへばりつくと筋肉が硬直する。その日の夜には筋肉痛に襲われる。でも頭の中では、どうやったら登れるかをシュミレートしていた。手の握り方、足の置き方、身体の振り方を脳内で幾度となく思い浮かべ、次こそは登ってやるとにやけていた。
苦しいし、悩ましいし、痛いばかりであったが、それだけに課題を達成した時の喜びは格別だった。多分、脳内麻薬であるドーパミンがジャバジャバと出ていたはずだ。
今、思い返してもあれほどの快楽は食事でもセックスでも味わったことがない。我ながら良く断念できたと思う。いや、断念したからこそ今があると信じたい。
そんな忘れがたきボルダリングだが、その呼称が変更になるそうだ。国際的な呼称であるボルダ―が正式名称となったと報道されていた。なんだよ、ボルダ―って。そりゃ、地名だろうとぼやいている。
ボルダリングの始祖と呼ばれるのがアメリカの数学者であるジョン・ギルだ。初めてその写真を見たときは、トリック写真だと思ったほど衝撃的な姿だった。
なぜに数学者と思ったが、自分でやってみて分かった。ボルダリングは身体のパズルだ。最適なムーブを連続することによる登攀。たしかに数理的かつ論理的であった。同時に哲学的にもなり得る不思議なスポーツ、それがボルダリング。
もう私の病み衰えた身体では出来ないだろうが、最近ようやく未練が断ち切れたみたいで、動画を楽しめるようになりました。日本は平山祐司君を始めとして、優れたボルダ―を多数輩出した国です。機会がありましたら、是非見てやってくださいな。
以下、whkiより引用
ボルダリング(英: bouldering)とは、クライミングの一種で、最低限の道具(クライミングシューズとチョーク)で岩や人工の壁面などを登るスポーツである。「岩の塊」「大きい丸い岩」を意味する英語が語源である[1]。元々はロープを使用したフリークライミングの練習的な位置づけだったが、クライミングから確保という要素が取り除かれ、より純粋に岩を登る事に集中できる。また必要な装備が少なく[2]、手軽に始められる事から、ボルダリングを中心に行うクライマーが増えており、現在では独立したフリークライミングの一形態となっている。
その頃は、もっぱらフリークライミングの技術向上のため、私はボルダリングを行っていた。車で小一時間の奥多摩は多摩川沿いの御前山ボルダ―が練習場所であった。
以前書いたが、ここで昼寝していたらツキノワグマに遭遇したこともある。幸い巨石の上で寝ていたので、クマは登ってこれずに助かった。その代り河原に於いて於いたザックの中味の食糧は食べられた。
まァ元々クマの縄張りであるから仕方ない。クマは怖いが、ここはボルダリングの練習場所として格好の地であったので、大学を卒業するまで熱心に通ったものだ。ほとんど一人であったのは、大学の同期でクライミングに関心がある連中は、就職活動に苦労していたので、一人でやらざるをえなかったからだ。
そう、一人で出来るからこそボルダリングはありがたかった。社会人になれば、今までのように数人で山に行くことを示し合せるのは難しい。だからこそ、私はボルダリングに力を入れていた。
まさか、それから一年と経たぬうちに難病により身体を壊し、クライミングどころか日常生活にも支障を来たすとは当時は予想すら出来なかった。ちなみに私のボルダリングはもっぱら河原の巨石や、海岸の岩場に限られ、いわゆるインドアクライミングと呼ばれる人工壁の経験はない。
20代の大半を闘病生活に費やした私は、税理士の資格を得て30過ぎて働き出した。もう夢中で仕事に傾倒したので、もう登山はもちろんクライミングもボルダリングも忘れ去っていた。
いや、忘れるように意識していた。もう山への未練を断ち切るためにも、それは絶対に必要な覚悟だと考えていた。なるべく登山関係のものには目を向けないよう努力していた。
でも完全に忘れることは出来なかった。一日中、岩にへばりつくと筋肉が硬直する。その日の夜には筋肉痛に襲われる。でも頭の中では、どうやったら登れるかをシュミレートしていた。手の握り方、足の置き方、身体の振り方を脳内で幾度となく思い浮かべ、次こそは登ってやるとにやけていた。
苦しいし、悩ましいし、痛いばかりであったが、それだけに課題を達成した時の喜びは格別だった。多分、脳内麻薬であるドーパミンがジャバジャバと出ていたはずだ。
今、思い返してもあれほどの快楽は食事でもセックスでも味わったことがない。我ながら良く断念できたと思う。いや、断念したからこそ今があると信じたい。
そんな忘れがたきボルダリングだが、その呼称が変更になるそうだ。国際的な呼称であるボルダ―が正式名称となったと報道されていた。なんだよ、ボルダ―って。そりゃ、地名だろうとぼやいている。
ボルダリングの始祖と呼ばれるのがアメリカの数学者であるジョン・ギルだ。初めてその写真を見たときは、トリック写真だと思ったほど衝撃的な姿だった。
なぜに数学者と思ったが、自分でやってみて分かった。ボルダリングは身体のパズルだ。最適なムーブを連続することによる登攀。たしかに数理的かつ論理的であった。同時に哲学的にもなり得る不思議なスポーツ、それがボルダリング。
もう私の病み衰えた身体では出来ないだろうが、最近ようやく未練が断ち切れたみたいで、動画を楽しめるようになりました。日本は平山祐司君を始めとして、優れたボルダ―を多数輩出した国です。機会がありましたら、是非見てやってくださいな。
谷川岳、衝立、剱岳、滝谷、北岳バットレス登攀しました。
50年前ことです。
同期は、北尾根、後輩は、厳冬一ノ倉で二人滑落死。
下手くそだけど、運良く生き残りました。
御前山ホルダーという名前は知りませんでした。どの辺りでしたでしょうか。。。
私は前世代の人工登攀の生き残りで、ボルトやアブミをガチャガチャさせながら攀った口で、ついぞ片手懸垂は未達でしたので、今のフリークライミングには目を見張るばかりです。(笑)
その後ご病気をされたとのことですが、無事に克服された様で、、、素晴らしいですね。