ヌマンタの書斎

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散るアメリカ 吉岡忍

2016-06-01 12:17:00 | 

少し前のことだが、CS放送のディスカバリーチャンネルで、もし明日石油がなくなったらという企画番組を放送していた。

個人のみならず、物流の大半を車に頼る自動車大国アメリカは、この石油の枯渇により文明崩壊直前といった大ダメージを受けると予測していた。だが、やがてバイオ燃料を開発して、自動車を復活させるシナリオを呈示して番組は終わった。

正直呆れてしまった。

私は石油の枯渇は、そう遠くない将来に必ず起こる現象だと覚悟している。それは現代文明を崩壊に追いやる可能性を秘めているとも考えている。石油をエネルギーとして燃焼させるエンジンを持つ移動手段は、物流の基幹の一つである。物流が途絶えれば、分業が極度に進んだ現代文明は、機能不全に陥ってしまう。

だからこそ、石油に替わるエネルギーとして、バイオ燃料をもってきたのは分かる。しかし、その場合であっても、物流は鉄道と船舶に集約すべきであろう。どちらも大量に物資を運べる上に、エネルギー効率も高い。

現在でさえ、鉄道は自動車の10倍近い効率を誇る。救急車や消防車などの緊急車両を除けば、自動車が物流の主役である必要はないと思う。しかし、アメリカは、あくまで自動車に拘るのだろう。

なんとなく分かる気もするが、共感する気にはなれない。アメリカが石油に固執するのは、まさに自動車への固執あってのものなのだろう。そんなアメリカにおいて、車ではなくタクシーで、車ではなくバスで、車ではなく飛行機で回ってルポタージュした作品が表題のものだ。

ご存じの方もいるかもしれないが、著者はあのベ平連の幹部であり、脱走米兵の逃走を助けていた経歴を持つ。それだけに、どうしてもアメリカに対して批判的な視線を持ってしまう。

このルポ行われた当時は、日本車の小型車輸出攻勢で、デトロイトはボロボロになり、中心地から白人が逃げ出し、スラム一歩手前の惨状であった。そんなデトロイトに徒歩でルポ旅行するあたり、生半可な覚悟で出来ることではない。

自動車社会アメリカが、自信を喪失し、苛立ち、内向きになっていた時期であるため、殊更著者にはアメリカの行く末が暗く思えてしまったのだろう。それを蔑むでもなく、批難するでもなく、その失意のアメリカ市民の元に切り込んでいく姿勢はルポライターとして評価できる。

ただ、せっかくMITなど最先端のアメリカをもルポしながら、その先を読む目はいささか曇っていたことは、21世紀のアメリカの横暴ぶりをみれば分かること。戦後の日本人に共通する経済重視、民生重視のあまりに軍事を軽視したことのツケではないかと思います。

ヴェトナム戦争の敗戦と、西ドイツと日本による輸出攻勢に応じきれず、国内産業が荒廃した失意のアメリカのルポしたのは見事ですが、世の中の大勢を読む視点が大きくずれているのは、戦後の平和ボケした日本人には致し方ないことなのかもしれませんけどね。


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