早く文明のなかに戻りたかった。
大学一年の夏は、北海道は大雪山系への長期合宿であった。ちなみに大雪山という名の山はない。旭岳や黒岳、トムラウシ山などの連峰を総称して「大雪山」と呼ばれているだけだ。
二つのパーティーに分かれて、交差する形で広大な大雪山系を2週間にわたり踏破した。私のパーティーは、石狩岳から西進して、トムラウシに抜けて、旭岳へと至るルートであった。
今でも忘れられないが、人造湖である糠平湖の駅で電車は止まったが、ホームがなかった。電車から飛び降りる形で下車したのは、生まれて初めての経験だった。
その後、予め呼び寄せてあったタクシーに分乗して、林道を走りキャンプ地に着く。もはや周囲は原生林であり、ここから先は、山道と標識にしか文明の痕跡は見当たらない。
事実、翌日急な山道を登りつめ、石狩岳の山頂からの広大な展望には、登山小屋一つ見当たらす、原生林が広がるばかり。人間の生活の痕跡が無い風景が、これほど荒涼としたものだとは思わなかった。
それから一週間後、トムラウシに向かう途中で、避難小屋を見つけた時は、やっと人間の文明の一端に触れた気がして、もの凄く安堵したことを覚えている。
なにせ、ここ数日、親子連れ(とっても、危険!)のヒグマの生息域のど真ん中に居たので、粗末な避難小屋であっても、もの凄い安堵感を得られた。
大げさに思えるかもしれないが、朝起きてテントの入り口を開けたら、湯気を上げるヒグマの巨大な糞を発見していた私たちである。この巨大な糞は、ここは俺たちヒグマの領域だとの宣言に他ならない。これにはビビッタ。陽が高く上るまで、テントのなかで大人しくせざるえなかった。
その日は、足早に大雪の中心地域であるトムラウシ近くまで行き、そこでみた粗末な避難小屋に、文明のありがたみを感じたのは、決して大げさではなかったと思う。
その一週間後、旭岳の麓まで駆け下りて、ようやく長い合宿を終えた。乗れなかったロープウェイ駅のそばにたつ近代的な造りのホテルを見上げながら、ようやく文明世界へ戻ったのだと感慨を深くした。広い大浴場で2週間分の垢を流し、さっぱりして、ようやく文明人に戻れた。
その後、もう一つのパーティーと合流して打ち上げをやり、現地解散。私たち一年生は、札幌へ移動してOBの方が営む会社の寮に泊めていただくことになった。宿泊費が浮くので、たいへんありがたかった。
ただ、風呂は近くの銭湯を使うことになっていた。別に構わないのだが、同期の一人は妙に浮かれていた。お父上がオーナーの中小企業の社長息子である彼は、銭湯に行くのは生まれて初めてなのだ。これが浮かれずにいられようか。
銭湯なんぞ、子供の頃から通い慣れている私は、なに浮かれていやがるとチャチャを入れたが、当人は聞く耳持たずで、早く行こうと皆をせかす。
歩いて5分くらいのところに、その銭湯はあり、初めて入る彼は番台に感激している始末である。番台に上がるならまだしも、たかが番台でなにを騒いでいるのかと呆れた。
彼は素早く着替えると、洗い場にむかっていそいそと小走りだ。おい、滑るぞと言いかけた直後、ドンと衝撃音が響いた。
そこにはガラス戸にぶつかって、おでこを抑えてうずくまる彼の姿があった。一言フォローしておくと、彼は私同様、かなりの近眼であり、日頃はメガネを手放せない。もちろん、入浴時にはメガネははずしていた。
呆れるのもそこそこに、おい大丈夫かと声をかけると、むくっと立ち上がり、無言で洗い場に入っていった。さすがに恥ずかしかったらしい。
その様子がおかしかったので、おい、山のなかじゃないのだから、扉は当然にあるぞとからかった。当人は「まだ、大雪の山のなかにいる感覚が抜けない・・・」などと妙な言い訳をしていたのがおかしい。
なにわともあれ、初めての銭湯を満喫した彼は、入浴後着替えの場でジュースを飲み干しながら一言「腹減ったから、あとで夜食食べにいこうぜ」。
つい2時間前に腹いっぱい食べたはずなんだが・・・どうやら胃袋は野生化したままなようだ。
大学一年の夏は、北海道は大雪山系への長期合宿であった。ちなみに大雪山という名の山はない。旭岳や黒岳、トムラウシ山などの連峰を総称して「大雪山」と呼ばれているだけだ。
二つのパーティーに分かれて、交差する形で広大な大雪山系を2週間にわたり踏破した。私のパーティーは、石狩岳から西進して、トムラウシに抜けて、旭岳へと至るルートであった。
今でも忘れられないが、人造湖である糠平湖の駅で電車は止まったが、ホームがなかった。電車から飛び降りる形で下車したのは、生まれて初めての経験だった。
その後、予め呼び寄せてあったタクシーに分乗して、林道を走りキャンプ地に着く。もはや周囲は原生林であり、ここから先は、山道と標識にしか文明の痕跡は見当たらない。
事実、翌日急な山道を登りつめ、石狩岳の山頂からの広大な展望には、登山小屋一つ見当たらす、原生林が広がるばかり。人間の生活の痕跡が無い風景が、これほど荒涼としたものだとは思わなかった。
それから一週間後、トムラウシに向かう途中で、避難小屋を見つけた時は、やっと人間の文明の一端に触れた気がして、もの凄く安堵したことを覚えている。
なにせ、ここ数日、親子連れ(とっても、危険!)のヒグマの生息域のど真ん中に居たので、粗末な避難小屋であっても、もの凄い安堵感を得られた。
大げさに思えるかもしれないが、朝起きてテントの入り口を開けたら、湯気を上げるヒグマの巨大な糞を発見していた私たちである。この巨大な糞は、ここは俺たちヒグマの領域だとの宣言に他ならない。これにはビビッタ。陽が高く上るまで、テントのなかで大人しくせざるえなかった。
その日は、足早に大雪の中心地域であるトムラウシ近くまで行き、そこでみた粗末な避難小屋に、文明のありがたみを感じたのは、決して大げさではなかったと思う。
その一週間後、旭岳の麓まで駆け下りて、ようやく長い合宿を終えた。乗れなかったロープウェイ駅のそばにたつ近代的な造りのホテルを見上げながら、ようやく文明世界へ戻ったのだと感慨を深くした。広い大浴場で2週間分の垢を流し、さっぱりして、ようやく文明人に戻れた。
その後、もう一つのパーティーと合流して打ち上げをやり、現地解散。私たち一年生は、札幌へ移動してOBの方が営む会社の寮に泊めていただくことになった。宿泊費が浮くので、たいへんありがたかった。
ただ、風呂は近くの銭湯を使うことになっていた。別に構わないのだが、同期の一人は妙に浮かれていた。お父上がオーナーの中小企業の社長息子である彼は、銭湯に行くのは生まれて初めてなのだ。これが浮かれずにいられようか。
銭湯なんぞ、子供の頃から通い慣れている私は、なに浮かれていやがるとチャチャを入れたが、当人は聞く耳持たずで、早く行こうと皆をせかす。
歩いて5分くらいのところに、その銭湯はあり、初めて入る彼は番台に感激している始末である。番台に上がるならまだしも、たかが番台でなにを騒いでいるのかと呆れた。
彼は素早く着替えると、洗い場にむかっていそいそと小走りだ。おい、滑るぞと言いかけた直後、ドンと衝撃音が響いた。
そこにはガラス戸にぶつかって、おでこを抑えてうずくまる彼の姿があった。一言フォローしておくと、彼は私同様、かなりの近眼であり、日頃はメガネを手放せない。もちろん、入浴時にはメガネははずしていた。
呆れるのもそこそこに、おい大丈夫かと声をかけると、むくっと立ち上がり、無言で洗い場に入っていった。さすがに恥ずかしかったらしい。
その様子がおかしかったので、おい、山のなかじゃないのだから、扉は当然にあるぞとからかった。当人は「まだ、大雪の山のなかにいる感覚が抜けない・・・」などと妙な言い訳をしていたのがおかしい。
なにわともあれ、初めての銭湯を満喫した彼は、入浴後着替えの場でジュースを飲み干しながら一言「腹減ったから、あとで夜食食べにいこうぜ」。
つい2時間前に腹いっぱい食べたはずなんだが・・・どうやら胃袋は野生化したままなようだ。
20年くらい前に北海道をキャンプしながら回ったことがありますが
キャンプ場の近くには必ず温泉があったのでお風呂だけは困りませんでした。
でも山篭りとなると、そうもいかないのでしょうね。
都会では銭湯は絶滅危惧種?ですね。
うちの近くにも銭湯がありましたが、最近取り壊されてしまいました。
行ってたわけではないので勝手なことは言えませんが
なくなるとなんとなく寂しいです。
銭湯は主に燃料代の高騰と、後継者難で廃業が相次いでいます。その反面、スーパー銭湯や健康ランドはずいぶんと増えました。お台場の大江戸温泉物語なんて、外国人観光客に大人気です。時代は変わりますね。