勘違いして買った短編集のなかで、一編心に残ったのが表題の作品だ。
読む進むに従い、心の奥底にしまって置いた思い出が浮き上がってきた。じわじわと湧き上がる不安感と、過去のことだと捨て鉢になる厭らしさ。
あれはまだ大学生の頃、新宿の深夜喫茶でバイトしていた時だ。遅番の私は、23時に出勤して翌朝8時までの勤務だった。夜更かしには自信があったが、やはり立ち仕事は辛い。
仕事を終えると、体の芯に疲労がこびりつく。身体をほぐすため、新宿から渋谷までを歩くことがあった。途中の明治神宮を通り抜ける参道は、緑が濃く疲労を吸い取ってくれる。
私はこの参道を歩くのが好きだった。多分多くの方は、大晦日から正月にかけての初詣で異常に混み合った参道しか知らないと思うが、時季はずれの明治神宮は人影まばらで、軽いハイキングにも似た爽快さが味わえる。
その日も渋谷まで歩くつもりだった。夏休み中とはいえ朝の新宿は人ごみでごったがえす。私は喧しい表通りを避けて、細い路地を抜けて代々木方面に向かった。
大都市である新宿といえども、一歩裏に入り込むと、そこには古い木造家屋が立ち並ぶ。男同士でも入れると噂のある連れ込み宿の前を足早に通り過ぎた時だ。
なぜか路上に手提げの紙袋が放り出してあった。何気なく見やると、なにやら紙に包まれた袋が幾つも入っている。よく見ると、包装紙は某有名デパートのものだ。
興味にかられて持ち上げると、妙に重い。もしかして札束かな?と思った。少し前に竹藪に札束が捨てられた事件があったからだ。
やった!おいらが第一発見者だ。なんて、手前勝手な妄想を浮かべつつ、冷静にあたりを見渡す。誰も見てない。
路上に放置してあるくらいだから、持ち去っても盗みじゃないよなと呟きながら、手に持って歩き去った。しばらく歩き、公衆電話の裏の路地奥で中味を見てみる。
ん?なんだ、柔らかいぞ。
包装を解くと、中からビニール袋に入った粉が覗けた。
さっと顔面から血の気が引いた。やばい!
この白い粉がホットケーキミックスである訳がないことぐらいは、暢気な私でも分る。丁寧に包装しなおし、あたりを見回して人気がないことを確認した。即座にゴミ置き場のわきに放り出して、私は早々に逃げ出した。
その日一日、気が気ではなかった。もうなにもないだろうと安堵した数日後のことだ。新聞の紙面の片隅に、新宿で発砲事件が起きたとの記事に目が釘付けとなった。紙面では、暴力団同士の抗争だと伝えてあるだけで、詳細は不明だった。
私の想像では、紙袋一杯の白い粉末の末端価格は、数千万どころか億の単位に達する。人の生き死にかかわる値段であることぐらいは、容易に想像がついた。
もちろん、あの白い粉末が小麦粉である可能性はある。私の好きなホットケーキミックスであったかもしれない。そして、暴力団同士の抗争は、白い粉末とは無関係である可能性だって十分ある。
うん、そうに違いない。あれは関係ない・・・と思う。いや、思いたい!
だが、この後ろめたい気持ちは拭いきれない。あれが小麦粉で、たちの悪い悪戯であったら良かったのにと、何度も心の中で繰り返す。
私は夏休みの終わりとともに、そのバイトも止め、しばらくはあの近辺には近寄ることさえしなかった。ほんの気まぐれな振る舞いが、これほどまでに祟るとは思いもしなかった。
表題の短編を読んで、またもや思い出してしまった。既に三十年近くたっている今でさえ、心の奥底に苦い悔恨が残っていることを確認せざる得なかった
人生って、ままならぬものなのだと思います。
読む進むに従い、心の奥底にしまって置いた思い出が浮き上がってきた。じわじわと湧き上がる不安感と、過去のことだと捨て鉢になる厭らしさ。
あれはまだ大学生の頃、新宿の深夜喫茶でバイトしていた時だ。遅番の私は、23時に出勤して翌朝8時までの勤務だった。夜更かしには自信があったが、やはり立ち仕事は辛い。
仕事を終えると、体の芯に疲労がこびりつく。身体をほぐすため、新宿から渋谷までを歩くことがあった。途中の明治神宮を通り抜ける参道は、緑が濃く疲労を吸い取ってくれる。
私はこの参道を歩くのが好きだった。多分多くの方は、大晦日から正月にかけての初詣で異常に混み合った参道しか知らないと思うが、時季はずれの明治神宮は人影まばらで、軽いハイキングにも似た爽快さが味わえる。
その日も渋谷まで歩くつもりだった。夏休み中とはいえ朝の新宿は人ごみでごったがえす。私は喧しい表通りを避けて、細い路地を抜けて代々木方面に向かった。
大都市である新宿といえども、一歩裏に入り込むと、そこには古い木造家屋が立ち並ぶ。男同士でも入れると噂のある連れ込み宿の前を足早に通り過ぎた時だ。
なぜか路上に手提げの紙袋が放り出してあった。何気なく見やると、なにやら紙に包まれた袋が幾つも入っている。よく見ると、包装紙は某有名デパートのものだ。
興味にかられて持ち上げると、妙に重い。もしかして札束かな?と思った。少し前に竹藪に札束が捨てられた事件があったからだ。
やった!おいらが第一発見者だ。なんて、手前勝手な妄想を浮かべつつ、冷静にあたりを見渡す。誰も見てない。
路上に放置してあるくらいだから、持ち去っても盗みじゃないよなと呟きながら、手に持って歩き去った。しばらく歩き、公衆電話の裏の路地奥で中味を見てみる。
ん?なんだ、柔らかいぞ。
包装を解くと、中からビニール袋に入った粉が覗けた。
さっと顔面から血の気が引いた。やばい!
この白い粉がホットケーキミックスである訳がないことぐらいは、暢気な私でも分る。丁寧に包装しなおし、あたりを見回して人気がないことを確認した。即座にゴミ置き場のわきに放り出して、私は早々に逃げ出した。
その日一日、気が気ではなかった。もうなにもないだろうと安堵した数日後のことだ。新聞の紙面の片隅に、新宿で発砲事件が起きたとの記事に目が釘付けとなった。紙面では、暴力団同士の抗争だと伝えてあるだけで、詳細は不明だった。
私の想像では、紙袋一杯の白い粉末の末端価格は、数千万どころか億の単位に達する。人の生き死にかかわる値段であることぐらいは、容易に想像がついた。
もちろん、あの白い粉末が小麦粉である可能性はある。私の好きなホットケーキミックスであったかもしれない。そして、暴力団同士の抗争は、白い粉末とは無関係である可能性だって十分ある。
うん、そうに違いない。あれは関係ない・・・と思う。いや、思いたい!
だが、この後ろめたい気持ちは拭いきれない。あれが小麦粉で、たちの悪い悪戯であったら良かったのにと、何度も心の中で繰り返す。
私は夏休みの終わりとともに、そのバイトも止め、しばらくはあの近辺には近寄ることさえしなかった。ほんの気まぐれな振る舞いが、これほどまでに祟るとは思いもしなかった。
表題の短編を読んで、またもや思い出してしまった。既に三十年近くたっている今でさえ、心の奥底に苦い悔恨が残っていることを確認せざる得なかった
人生って、ままならぬものなのだと思います。
これは浮「!
ヌマンタさんって色々な経験なさってますね~。白い粉、浮キぎる!!
30年絶った今でも、記事にしたりするのちょっと浮ュなかったですか?(T_T)
田舎にいると、こんな事って想像できないわ~。
誰にも見られてなくて良かったですねー。
変に通報してばれてもこわいし…。
それにしても、なんで道の真ん中に放置してあったのか、本当に不思議でした。