デザートは最後のお楽しみ。
あれは20代の時、身体を壊して入院したが、治る目処どころか命も危ない羽目に陥った。毎日6時間の人工透析を受けていたが、症状は改善せず、その日は急遽二度目の透析となった。
今にして思うと、あの時が一番危機的だったらしいが、私に危機感はなかった。寝たきりの生活を苦痛に思う以上に、無塩の低蛋白食がまずいことが、私にとって最大の問題だった。
昼間は人が一杯の透析室も、夜になると寂しいものだ。沢山あるベッドは皆空っぽで、私一人がど真ん中のベッドを占拠していた。付き添いの医師が2人と透析スタッフと看護婦さんだけが、夜の透析室で働いていた。
あれは夜9時過ぎだった。私の様態が落ち着いたので、ようやく夕食を食べることが許可された。運ばれてきた食事は、やはり無塩、低蛋白食であり、決して美味しいものではなかった。唯一の希望はデザートであり、その時はシロップ漬けのパイナップルであった。
私はデザートは最後に食べる主義だ。出されたものは残さず食べるのが私の矜持であり、いかに不味かろうと、断固として胃の中に放り込み、体力つけて病気が治ることを念じていた。
もうすぐお粥を食べきる直前だった。担当医のM先生がやってきて、私の食膳をみて顔色を変えた。なんと、私が楽しみにしていたパイナップルの小皿を持ち去るではないか。
「パ、パ、パイナップル~~~!」
M先生が言うことには、私は現在カリウムの血中濃度が高く、そのため心臓に悪影響が出ている。そして、パイナップルはカリウムが多く含まれているので、今は食べられないとの説明だった。
理屈は分った。でも、この失望感をどうしてくれよう。
どうも、私はこの時そうとうに情けない顔つきだったらしく、後日その場にはいなかった看護婦さんたちから「元気になったらパイナップル、おまけしてあげるよ」と励まされた。
実はこの時、透析室に立ち会ってくれた難病治療で著名なN教授は、私のこの無様な間抜け面を見て「この人は、きっと治るよ」とM先生に話していたそうだ。
単に食いしん坊なだけだと思うが、食べることへの執着心は生きることへの執着心に似ているらしい。まあ、具体的な治療法がない急性腎不全がその後治ったのは事実だが、食欲と関係があったかどうかは定かではない。
ちなみに難病と食いしん坊は治っていない。だからこそ、表題の本を美味しい食事を紹介するものだと勘違いした。つまり期待した美味しいレシピは載っていない。
この本に書かれているのは、心の糧としての神の愛であり、病んだ心を癒すレシピでもある。正直、キリスト教徒でない人には、いささかお薦めしずらい内容ではあるが、教会から距離を置くようになった私には、神と人とのありかたを再確認できる内容でした。興味がありましたら是非どうぞ。
あれは20代の時、身体を壊して入院したが、治る目処どころか命も危ない羽目に陥った。毎日6時間の人工透析を受けていたが、症状は改善せず、その日は急遽二度目の透析となった。
今にして思うと、あの時が一番危機的だったらしいが、私に危機感はなかった。寝たきりの生活を苦痛に思う以上に、無塩の低蛋白食がまずいことが、私にとって最大の問題だった。
昼間は人が一杯の透析室も、夜になると寂しいものだ。沢山あるベッドは皆空っぽで、私一人がど真ん中のベッドを占拠していた。付き添いの医師が2人と透析スタッフと看護婦さんだけが、夜の透析室で働いていた。
あれは夜9時過ぎだった。私の様態が落ち着いたので、ようやく夕食を食べることが許可された。運ばれてきた食事は、やはり無塩、低蛋白食であり、決して美味しいものではなかった。唯一の希望はデザートであり、その時はシロップ漬けのパイナップルであった。
私はデザートは最後に食べる主義だ。出されたものは残さず食べるのが私の矜持であり、いかに不味かろうと、断固として胃の中に放り込み、体力つけて病気が治ることを念じていた。
もうすぐお粥を食べきる直前だった。担当医のM先生がやってきて、私の食膳をみて顔色を変えた。なんと、私が楽しみにしていたパイナップルの小皿を持ち去るではないか。
「パ、パ、パイナップル~~~!」
M先生が言うことには、私は現在カリウムの血中濃度が高く、そのため心臓に悪影響が出ている。そして、パイナップルはカリウムが多く含まれているので、今は食べられないとの説明だった。
理屈は分った。でも、この失望感をどうしてくれよう。
どうも、私はこの時そうとうに情けない顔つきだったらしく、後日その場にはいなかった看護婦さんたちから「元気になったらパイナップル、おまけしてあげるよ」と励まされた。
実はこの時、透析室に立ち会ってくれた難病治療で著名なN教授は、私のこの無様な間抜け面を見て「この人は、きっと治るよ」とM先生に話していたそうだ。
単に食いしん坊なだけだと思うが、食べることへの執着心は生きることへの執着心に似ているらしい。まあ、具体的な治療法がない急性腎不全がその後治ったのは事実だが、食欲と関係があったかどうかは定かではない。
ちなみに難病と食いしん坊は治っていない。だからこそ、表題の本を美味しい食事を紹介するものだと勘違いした。つまり期待した美味しいレシピは載っていない。
この本に書かれているのは、心の糧としての神の愛であり、病んだ心を癒すレシピでもある。正直、キリスト教徒でない人には、いささかお薦めしずらい内容ではあるが、教会から距離を置くようになった私には、神と人とのありかたを再確認できる内容でした。興味がありましたら是非どうぞ。
やっぱり、精神の力が体に与える影響ってものすごいんでしょうね。
今、行ってるお医者さんでも、「特効薬といつわってビタミン剤を与えると、治ってしまう事があるんですよね」なんて、サラっと言ってました。(・・;)
しかし、楽しみにしていた「本日のドルチェ」をとりあげられるのはショック!ですね。
デザートが果物じゃなければ良かったのに。ケーキみたいのだったら大丈夫だったかもしれませんね。
まずい、おひたしも甘い。
一日に歩いてもいい距離も決められて、そんなんで、水分はこれ以上飲めって・・・飲めないよーーーー。
幸いなことに食事制限のある病気をしたことがありません。
ただ塩昆布の食べ過ぎで顔がむくんだことはありますが…ただのバカです。
ただ今、食べたいもの食いまくりの放埒な食生活をしています。甘辛どっちもあり。幸せです。
きっと辛いだろうな~と思います。
特に食後のデザートには特別な楽しみがありますね。
それにしてもこの日のデザートがパイナップルでなかったらよかったのに…災難でしたね!
長期入院をしていた時を思い出しました。
あれこれ食事制限をつけられ、病院食はおいしくないし量も少ない。
仲良しになった看護婦さん三名と隣町のおいしいパン屋までタクシーでパンを買いに行ったものです。
当然点滴ぶら下げての無断外出。帰ってきたところで主治医に怒られたものです。
何でも食えるってのが一番の幸せですよね。