犬の黒くて真っ直ぐな瞳に弱い
あの無心で無欲で無邪気な目線に見つめられると、心の鎧が解けてしまう。
なんで、そんな健気なワンコを苛めるのか。私には理解できない。ワンコのあのつぶらな瞳で見つめられたら、その気持ちに堂々応えたいと思わないのか不思議でならない。
一時期、流行にのって人気の犬となったコーギーの雑種であり、妊娠して子供を産んだところで捨てられたのがチロリだった。団地住まいの子供たちに救いだされ廃屋の一角で隠れて生き残ったが、子供たちはエサやりが精一杯。
そこに現れた犬好きの男性が、なんとか子犬たちだけでも助け出そうと里親を探し、なんとか目途が立ったところでチロリが失踪。まさかと思い市役所に連絡すると、動物愛護センターと言う名の殺処分場に留め置かれていた。
既に4日目であり、規則では5日目には殺処分となる。翌日、電話で処分を中断してもらい、見に行くと檻の中で怯えていたチロリの姿に胸打たれ、遂に自身で飼うことを決断する。
その男性が後の国際セラピードッグ協会の設立者である大木氏であった。彼がチロリを飼うのを躊躇っていたのは、既にシベリアンハスキーを6頭、飼っていたからだ。
ハスキーに比べ二回りは小柄なチロリを危うんだが、一匹のハスキーが彼を受け入れてくれたので、なんとか飼う目途がたった。大木氏はアメリカで60年以上伝統があるセラピードッグの育成を試みている最中であった。
試しにチロリにもその育成訓練に参加させてみた。実はチロリは捨てられる前、人間から虐待を受けていたようで、杖でひどく打たれたのか、後足に障害があった。この足では、到底訓練は無理かもしれない。そう思っていた大木氏の予想をチロリは大きく覆した。
通常ならば2年半かかるプログラムを、わずか半年で終えてしまったのだ。一番小柄で足に障害があるにも関わらず、持ち前の負けん気で他のハスキー犬たちを圧倒し、気が付いたらリーダーとなっていた。
そして、このチロリは日本初のセラピードッグとして認知され、活躍し多くの奇跡を起こすこととなる。
怪我により身体が不自由になったことを受け入れられず、依怙地になっていた老人は、当初チロリを毛嫌いしていた。しかし、チロリのつぶらな瞳で見つめられるうちに、犬を撫でたいと思うようになり、リハビリを受け入れるようになった。
リハビリに苦労する老人の傍らで、じっと待っているチロリの姿こそが、老人の元気の素であったのは誰の目にも明らかであった。医師や看護師がいくら説得しても動かなかった老人たちを、チロリはそのつぶらな瞳と、献身的な態度で動かしてみせた。まさに奇跡の犬であった。
私はセラピードッグの事は断片的ながら知っていた。しかし、そのセラピードッグの嚆矢であるチロリが、人間から虐待され、捨てられた犬であることは知らなかった。そんな酷い目に合いながらも、チロリは多くの人間に癒しと救いを与え続けた。
なんで、これほど人に対して献身的な動物を捨てたり、虐待したりするのか私には理解できない。現在活躍しているセラピードッグの内、半数ちかくが捨て犬である。もちろん厳しいトレーニングを受けた上で、セラピードッグとして活躍している。
犬を捨てたことがある人間は、恥を知るべきだ。
ところでチロリだが、癌に罹患して亡くなっている。私の職場から徒歩8分くらいにある銀座築地川公園に、チロリとその子供たちの銅像がある。気が付かずに通り過ぎる人も多いと思うが、出来たら足を止めてセラピードッグの活躍を思い浮かべて欲しい。
そして犬を捨てることが、如何に恥ずべき行為であることかを銘記して欲しいと思います。
保護活動をしている人から聞いたのですが、引っ越しするときに、マットレスと一緒にゴミ捨て場に犬を置き去り等、信じられないことをする人が少なからずいるようです。そういう人はそもそも動物を飼う資格はないのももちろんですが、そうした行為はその人の人間性を判断するリトマス紙になると思います。
犬を飼う資格のない人間は、たしかに居ると思います。そんな屑な人間を判じるリトマス試験紙の役を犬が担うのは可哀そう過ぎます。