ヌマンタの書斎

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「エンデュアランス号漂流」 アルフレッド・ランシング

2007-08-23 09:30:18 | 
人生、苦もありゃ楽もある。運気が登り調子の時は、痘痕もえくぼで、何事も良い方向にみえるものだ。しかし、いつもいつも成功できるわけじゃない。

どんなに努力しても、失意の人生を過ごさねばならぬ時は、誰の人生にも必ずあると思う。そんな時は、なにをやっても上手くいかない。大物の貫禄と思えた鷹揚さは、ノロマで怠惰に成り下がり、堂々としたリーダーシップは、単なるえばり屋に堕する。上り調子の時は長所に思えたことが、下り坂の人生ではすべて欠点だと思えてしまう。

だからこそ失敗して、失意のどん底にある時こそ、その人の真価が問われると思う。

イギリスの冒険家、サー・アーネスト・シャクルトンは失敗した冒険家だ。失敗したにもかかわらず、その失敗の時の生き様が人々の共感と敬意を育んだ稀有な人物だ。近年、ビジネス・スクールやコンサルティング・ファームのテキストとして使われているせいで、けっこう知られるようになった人物でもある。

私にとっては、東の文天祥、西のシャクルトンと称する、憧れの人物でもある。

憧れるのは、私が失地の時にこそだらしなく、情けない人間だったからだ。冷たい氷雨が襟元から浸み込む悪天候のなかで、私は寒さに震え、縮こまって怯えていた。多分、本気で生きる気力を引き起こせば、立ち上がることも出来たと思う。思うけど、それを実行することなく、テントの片隅でへたりこんでいた新人の頃。

天気は回復の兆しをみせず、強風は轟音を轟かす。濡れた衣類は体温を奪い去り、身体が震えることを抑えられない。へたり込むほどの肉体的疲労よりも、希望をもてない不安が引き起こす精神的な萎縮のほうが辛かった。私一人じゃない。同じ一年の数人も私と同様にへたり込んでいた。

新人練成と言う名の「しごき」登山は、たしかにきつかった。きつすぎた。私は自分がこれほどまでに弱弱しいとは思いもしなかった。喧嘩に負けて、ぼろ糞に殴られている時よりも辛かった。相手に負けたのではない。自分の弱さに負けたことを自覚していたからこそ、殊更その敗北感は強かった。

そんな状況下でも、明るい笑顔で励まし、率先して雑用をこなし、話しかけてくる奴がいた。私の方が体力はあるはずなのに・・・私の方が経験豊富なはずなのに・・・同じ一年なのに、何故にこれほど差がつくのだ?

それは心の強さだと思う。どんな状況にも屈せず、常に希望を失わず、人々を明るい方向に振り向かせることが出来る。私はそんな強さに憧れた。いつかは自分もそんな人間になりたいと切望した。

未だ遠く叶わぬ願いではあるが、少しずつでいい。一歩でも近く、理想に近づきたいと思う。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kinkacho)
2007-08-23 11:26:55
「エンデュアランス号漂流」はなんかすごい本でしたよね。すげ~生き延びちゃったよと感心しました。最悪事態の際のリーダーほどしんどいものはないと思うのですが、やりとげちゃいましたねえ。
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Unknown (ヌマンタ)
2007-08-24 13:41:09
kinkachoさん、こんにちは。あの過酷な状況で仲間をまとめあがる手腕は、ただただ尊敬するのみです。私には到底無理です。だからこそ憧れるのです。

しかしまあ、白人が生肉食べているシーンを読んだのは、これが初めてでした。美味くはないと思いますがね。
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Unknown (タク)
2007-08-24 20:42:21
しかし、ヌマンタさんの書評は不思議です。今回もほとんど「エンデュ
アランス号漂流」に関しては内容の記述がないのに、ネガを透かすよう
に骨格が浮き上がってくる。むむむ、と、読みたくなりました。
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Unknown (ヌマンタ)
2007-08-25 14:45:07
タクさん、こんにちは。単に内容を書き記すような文は避けたいと思っています。紀伊国屋やアマゾンのサイトには、私よりはるかに上手な解説がありますしね。

シャクルトンに関する本は、ほかにも何冊かあるので、もし機会がありましたらどうぞ。迫真の冒険だと思います。
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