幼稚な情報操作には、ほとほと呆れてしまう。
東京新聞の望月記者の、質問というよりも自己の政治的信条のアピールに辟易した官房長官が、記者会見での質問を拒絶している件は、先だって報じられていた。
野党もこの件で与党に抗議しているが、世間的に盛り上がりに欠ける観は否めない。それが不満だったのだらしく、妙なニュースが取り上げられていた。
曰く、中学二年生の女の子が、望月記者を応援するツイートを流して、世論を盛り上げようとしているらしい。
中学生がこの時期に、しかも真昼間にツイートしている不自然さはともかく、このニュースの浅薄さにはうんざりする。
まず大前提として、民主主義社会では権力を監視するマスコミの役割は重要である。だから、権力側は、マスコミを規制するような行為は、極力避けるべきだと私は思う。
しかし、この東京新聞の記者さんの振る舞いは、単に自らの政治信条に基づく政府批判、権力批判を主張するだけ。しかも、その主張には、事実の裏付けもない、プロの記者として恥ずかしくなるような稚拙なものが多い。
その典型があの森友加計問題である。これは東京新聞に限らないが、初めっから安倍首相が悪いとの前提の下での問題追及であるため、質問の形をとりながら、実質的な中身がない質疑応答になる。
菅官房長官が嫌がるのも当然である。嫌だからといって、取材制限は如何なものかと思う。そこは我慢して、望月記者の愚行に耐えて欲しい。その画像を視聴者がどう判断するかは、既に結論が出ているのだが、愚者は決して自らを省みない。
こんな時、彼らがよくやるのが子供を使った印象操作である。今回の望月記者を応援するツイートがその典型例である。ちなみに二月のツイート以来、1万9千件の支援があったと誇らしげに語っている。
懲りない方々である。ツイッターの利用者数全体からみれば、1%に満たないことが分からないらしい。毎度のことだが、自らが少数派であることを直視する勇気がないので、決して反省しない。
更に厭らしいのは、その中学生のツイートに対する批判が出ると、子供が政治的な意見を述べてはいけないのかと斜め下から媚びる。そのくせ、批判的なツイートをブロックするのだから笑ってしまう。
自分が批判するのはイイが、批判されるのはお嫌らしい。
政治的な意見を述べる以上、それに対して賛意や批判が出るのは当然であり、それを受け入れる覚悟が当然に必要である。その覚悟の無い甘ったれぶりが醜悪である。
安倍政権を批判する自分は良いが、その自分を否定する意見は許せない。これが甘えでなくて、何なのだ。批判する以上、批判されることを甘受する義務がある。権利と義務は背中合わせである。
このマスコミの幼稚さこそ、戦後の日本における政治的未熟さの典型だと思います。
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