ヌマンタの書斎

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コンビニでの成人雑誌販売自粛

2019-01-30 11:42:00 | 社会・政治・一般

人並みにスケベ心を持っていると自負している私だが、コンビニからスケベな雑誌が消えても別に困らない。

ところで報道によるとコンビニ大手が、軒並み店頭から成人雑誌を販売することを止めることにしたようだ。この手の雑誌は書店よりもコンビニ販売が多いくらいだから、出版社には痛いと思う。

反面、私のようなスケベな読者も、コンビニで買えなくなるので困るかと言えば、実はそうでもない。私に言わせれば、まだ売っていたのかと訝るほどである。

近年、あのようなスケベな記事を主体とした成人雑誌の劣化がひどいと思っていたからである。写真に関して云えば、印刷技術の向上などにより質は上がっていると思うが、問題はその中身である。はっきり言って、広告記事のような駄文ばかり。

以前、私がドキドキ、ワクワクしながらページをめくっていた頃の成人雑誌は、今よりも遥かに質が高かった。写真にせよ、記事にせよ、それぞれの雑誌が個性を出し、読者のスケベ心をくすぐる企画を出してきたものだ。

しかし、現在店頭に並ぶ成人雑誌にかつての面影を見出すのは難しい。はっきり言えば、雑誌の内容よりも付録のDVDのほうに力が入っている。静止画(写真)よりも動画(DVD)に力を入れているせいか、肝心の雑誌のほうがおまけの印象が強い。

動画の魅力を否定する気はないが、私は静止画というか写真の魅力も大いに認めている。腕の良いカメラマンに撮影された写真には、そのモデルである女性の魅力を引き出す為に相当な技量が投入されている。

動画と異なり、一瞬を切り取る写真には読者の視線を釘づけにする技量が求められる。動画は一連の流れを重視するせいか、その撮影には安易さを感じ取れることがある。

TVや映画でも、動きがあるがゆえに誤魔化せる部分がある。もちろん動きがあることで、より表現が豊かになることもある。でも、時を止めて表現される写真には、制約があるが故に切り詰めた表現が輝く。

おそらく予算の問題もあると思う。現在のメディアでは動画により多くの予算が配分されているはずだ。その流れに従い、かつての名カメラマンが動画撮影に転向しているようだが、その技量には相当な差がついているようだ。

デジカメの出現により撮影から出版放送媒体への転送が即時性を持つと、かつてのように時間と予算を掛けた写真撮影は望まれない事情も分からないではない。

かつてはスケベな成人雑誌には、かなり熱心に目を通していた私だが、現在はまったく縁遠くなった。私が時間を割くに値する立派なスケベ雑誌がなくなったから当然の結果である。

ところで書店で堂々とスケベ雑誌を買うことに躊躇いのない私なのだが、コンビニで購入したことはない。好みのものがなかったせいでもあるが、私はコンビニでスケベな成人雑誌を買い求める客も見たことない。

でも、販売量は書店よりもコンビニの方が多かったらしい。はて?買うところを見られるの、やはり恥ずかしいのかしらねぇ。

コメント
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