異国で暮らせますか?
冷静に考えてみたが、多分私は無理だと思う。少なくても一人では無理だ。仕事とか病院とか理由はいろいろあるが、やはり最大の問題は言葉だ。
人間って生き物は集団で生きていく。最小の集団はおそらく夫婦だが、子供を加えた家族でならば、なんとかなるかもしれない。でも、出来たら兄弟や親が居て欲しい。一人でも親族が多いほうが、生きやすいはずだ。
故国を離れて異国で生きていくことを選択した人たちとして有名なのが華僑であり、印僑である。いずれも家族ごと移り住んでくる。やはり故国を離れて暮らす生き方で知られているのがユダヤ人もまた、世界各地にユダヤ人社会を築き上げる。
私はユダヤ人とは、ユダヤ教の信者であると考えていたが、どうもあまり正確な概念ではないらしい。実際、表題の著者は無神論者である。でも、ユダヤ人以外の何者でもない。
ハンガリー系ユダヤ人と規定されるべきに思うが、当のピーター氏ご本人はハンガリーに郷愁を覚えない訳ではないが、そこで暮らしたいとは思わないと断言している。
ハンガリーから亡命後、苦労してフランス国籍を得たが、フランス社会に馴染めなかった。仕事が多いアメリカでも暮らしてみたが、やはり馴染めず。インド、タイなどでも暮らすも、やはり安住の地だとは思えなかった。
結局、数学者である著者が選んだのは日本であった。表題の本のタイトルは「僕が日本を選んだ理由」とあるが文中に明確な理由は書かれていない。ただ、文章のところどころに、断片的に書かれているだけなので、彼の本音は分かりにくい。
私の想像なのだが、理由の一つは日本人がユダヤ人を差別しないからではないかと思っている。
これは認めなければいけない思うので書いてしまうが、日本人にも外国人に対する差別感情は十二分にある。肌の色、言葉、体臭、生活習慣などの違いから、異人種に対する警戒感は、生物としての人に備わる自然な感情である。この警戒感は、意図も容易に差別意識へと変貌する。
ただ、日本人は外来文化を積極的に受け入れてきた歴史を持つが故に、排他感情は比較的少ないと思う。江戸時代に出島を設けて異国人を閉じ込めたが、あれは防衛上の政策的なものだ。
でも、モンゴル侵攻の際、捕虜として捕まえたシナ人は丁重に帰国させているが、コリアはぞんざいに扱っていたりする。おそらく感情的なものだと思うが、日本人にも大なり小なり差別感情はある。
もっとも白人が日本人、シナ人、半島人を区別できないように、日本人は白人とユダヤ人を区別できない。このあたりが、著者が日本定住を決めた大きな要因ではないかと推測している。
現代でも、日本人の差別感情はいささか変わっているようだ。来日したアラブやイラン、インドネシアの人たちは、ムスリムであることを理由に差別しない日本を絶賛する。またアメリカの黒人は、肌の色が黒いことを理由に蔑視されないことを非常に喜ぶ。
気を付けねばならないと思う。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと煽てられて、イイ気になっていたらバブルが弾けて無様な衰退を味わったことを忘れてはならない。
日本人にだって差別感情はある。おそらく個人の絶対的な生活領域に外国人が侵犯してこない限り、差別感情が表に出ないだけだ。自分の娘や息子が、外国人の配偶者を連れてきたとき、そのような差別感情が噴出することも珍しくない。
相当に個人差があるだろうとは思うが、異人種に対する違和感や差別感情は、そうおいそれと解決できる問題ではないと思う。
でも、高齢化と少子化により人口が減衰していく日本には、今後ますます定住する外国人が増加していくはずだ。きっと、さまざまな問題が出てくるはずである。
その際は、差別はいけないと押し隠すのではなく、差別があることを前提に相互理解と妥協により問題解決を図るべきだと思います。