ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ISSパリ襲撃テロに思うこと

2015-11-19 12:55:00 | 社会・政治・一般

いくら憲法で戦争放棄を高らかにうたおうと、戦争は日本を放棄してくれたりしない。

話せば分かることもある。しかし、分からないことが多いからこそ争いは絶えることはない。それが人類の歴史だ。

先週末の深夜のパリを襲った、ISSによるテロ攻撃は、数百人の犠牲者を出す大惨事となった。テロとは、単なる武装攻撃ではない。自らが正しいと信じる政治的信念が世の中に認められない場合に、その不満が武力による意思表示となる。

ISSの賛同者は、西欧的な価値観が自分たちを幸せにしないと確信し、イスラムの過去の栄光にすがることで、西欧に裏切られた傷心を癒し、当てのない不確定な未来を信仰で癒す人たちである。

にもかかわらず、ISSとの話し合いだの、日本が襲われるなどと、お気楽、間抜けな言動を弄するおバカを散見する。

話し合いというものは、同じ価値観を共有するからこそ有効なのであり、女性を性奴隷とし、人質の首切りを公開するような中世の価値観を信奉するISSとの話し合い、妥協はまず成立しない。それでも話し合いに固執するというなら、それは性奴隷を容認し、首切りに賛同すると、はっきり賛意を示すべきだ。

日本が襲われるというのは、ある意味当然であり、警戒すべきことである。日本国は、どう言い逃れしようと、現代に生きる近代国家であり、当然にISSとは異なる価値観を有する。

当然に同じ価値観を有する国々と連携すべきであり、事実、日本は西側先進国の代表的国家の一つである。政治面でも、経済面でも、そして軍事面でも西側先進国の側に立つ国である。

当然にISSとは敵対する側であり、いくら平和憲法だの、戦争の放棄だのと妄言を吐こうと、ISSのみならず世界中の国々は、日本が西側先進国の側であることを認識している。

断言するが、ISSとの平和的な共存はありえない。価値観が致命的に対立しているうえに、ISSは西側先進国のみならず、イスラム社会までをも敵に回している。

アメリカ軍と日本の軍隊に守られた安全な日本列島で、いくら平和を願う美辞麗句を並べようと、それは雑音でしかない。そのような妄言を自由に吐くことが出来ることを感謝すべきであろう。

まァ、あの手のいじけた平和原理主義者が、このような残酷な現実から目を逸らし続けることも分かってはいるのですがね。

コメント (2)
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