反省しないから、進展もない。
TVでニュースを観ていたら、新安保法制に反対する市民が、国会前に集結していると報じていた。アナウンサーが「家にいても黙っていられず、国会に駆けつけました」と興奮顔で語る市民の声を報じていたのに呆れた。
毎回のことではあるが、相変わらず進歩のない。
ちなみに報道では、自主的に国会前に集結した平和を愛する市民たちは2万人だそうだ。多分実数は、その半分にも満たないだろう。また自主的に駆けつけた市民なんて多くて二桁。大半は共産党や社民、民主のプロ市民たちの主導に従って集った人たちであろう。
それにしたって、わずか2万である。100万人を遥かに超えた60年、70年安保闘争に及ばないのはともかく、実質的な戦争法案である新安保法制に反対する平和を愛する市民は、それだけしか集結しない現実に憐みを覚える。
断言するが、ほとんどの日本国民は戦争に参加することなんて望んでいない。政治思想を問わず、戦争には否定的であろう。しかし、この人たちは、ニュースなどでマスコミが盛んに誇張して報道している戦争反対の市民の集いには参加しない。
何故なら分かっているからだ。日本の平和を守っているのは憲法9条ではないことに。戦後70年以上、日本が戦場にならなかったのは、アメリカ軍のおかげであり、日本は兵站拠点としてアメリカの戦争に間接的に協力することで生き延びてきた現実を知っているからだ。
だから、アメリカが望むなら、自衛隊の派兵にも応じねばならぬ冷酷な現実を分かっている。抗議したって無駄なことも分かっている。アメリカの政策に同意している訳ではない。しかし、そのアメリカに従うことで平和を守ってこれた現実も分かっている。
このような矜持もなければ、強い独立の意思もない穏健な(あるいは姑息な)平和主義者であり、自分の手を汚さずに戦争で稼いできた優秀な(あるいは卑劣な)平和主義者である日本人が、実は多数派を占める。自覚があろうとなかろうと、対米追随こそが戦後の日本の生きる道だと諦念している人たちでもある。
この現実を直視できないのが、所謂左派反日自虐の平和愛好善人ぶりっこの新聞社であり、TV局であり、出版社である。なんとかして、この穏健な平和主義者を自分たちの運動の支持者に取り込みたい。
だからこそ、毎回のように、如何にもおとなしそうな一般市民が、自主的に政府への抗議運動に参加しているとう報道をしたがる。そして、毎回多少ではあるが、これに釣られる鴨葱がいる。成果あり!と意気盛んなことは、アナウンサーの口調からも分かる。
バカだね。
相変わらず、自分たちの活動を客観視出来ていない。なぜに選挙で自分たちが常に少数派であるのかを真面目に考えていない。自分たちが正しいと信じ込むがゆえに、その正しさが本当かどうかを検証する勇気がない。
私の知る限り、このおバカちゃんたちはイイ人が多い。弱い人への労りの気持ちを持ち、不正に対する憤りを持ち、良き隣人たらんと務める善良なる市民である。そして、自ら自分たちがイイ人だと自覚している。
自分たちがイイ人であるがゆえに、自分たちの考えは常に正しいと検証なしに信じ込んでいる。だから現実に対応するのが苦手だ。ただ、自分たちが正しいと信じていることが実現すれば、それで世の中は平和になると思い込んでいる。
5年前、民主党が選挙において自民党を破ったのは、多くの有権者が自民党に満足せず、その不満を解消してくれるはずと民主党に期待したからに他ならない。しかし、民主党はその民意を無視した。
自分たちが政権与党になれたのは、長年少数意見であった自分たちの政治的主張に有権者が理解を示したからだと曲解した。そして、その現実離れした少数意見を実現しようとして、無様に失敗した。それが3年間の民主党政権であった。
今回の新安保法制を巡る民主党ら野党の動きを観ていると、その三年間の失政をまるで反省していないことが良く分かる。相変わらず、民意をくみ取ることよりも、自分たちの正しさを主張することに固執している。
そして、それを応援している輩がマスコミに少なからずいることが、良く分かる報道が相次いでいた。
私としては一安心である。彼らが現実を直視する勇気を持たず、真摯に民意を汲み取る気がない以上、決して多数派になることはない。そのことに確信を持てたのが、今回の新安保法制を巡るマスコミの煽動報道であった。