ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

思い出のマーニー

2014-09-08 12:44:00 | 映画

幸せは計れない。

私は根が能天気なのか、自分を不幸だと思い込んだことはない。その一方で、自分を恵まれている、幸せだと思っていたこともない。浮き沈みの激しい人生であったので、不幸だの幸福だのと考え込んでいる余裕がなかったせいでもある。

いや、正確に云うなら不幸だと落ち込んだことはあるし、幸せだと浮かれていたこともある。要するに気分屋であり、その場その時の状況で幸せなんて変わるものだと達観していた。

だから、自分は不幸だと思い込んでいる人に対して、どうしてもある種の違和感というか、理解できないでいる。自分は不幸だとの思い込みには、自分以外は不幸ではないとの思い込みもあるからだ。

目をよく見開いて、周囲を見渡せば、不幸も幸福も至る所にある。決して同じ場所、同じ時間に留まらないのも不幸であり、幸福である。そもそも幸せなんて、誰かと比較して測れるものではないはずだと考えている。

ところが、世の中には他人と比較することで幸せの度合いを確認したがる人が多い。外観だけで相手は自分より幸せだと思い込み、吾が身の不幸を嘆くのである。

幸せが心で感じるものである以上、外観から測れるはずもないと思うのだが、そうは考えていないようだ。傍目、幸せそうな人が心の奥底に深い闇を抱えていることは珍しくない。また暗く落ち込んでいるような人が、自分だけの楽しみを満喫して幸せだと思っていることもよくある話。

なかには不幸自慢というか、自分は不幸だ、不幸だと嘆くくせに、案外と平穏で幸福な人生を送っている人はけっこう多い。童話の青い鳥が教えてくれるように、幸せは自分の心の内にあるもので、それに気がついていれば幸福だし、そうでないといつまでたっても不幸のままである。

ところで表題の映画の主人公であるが、これまた典型的な自分を不幸だと思い込むタイプであるようだ。ネタバレになるので詳細は書かないが、本当は自分の傍に幸せがあったことに気が付かず、ただ不幸だと自分を追い込んでいたようだ。

マーニーはいつだって自分の傍にいたのに、それに気が付かずにいた。そして、マーニーの真相に気が付いて、自分を取り戻すストーリーなのだが、勘のいい人ならば前半でその真相に気が付いてしまうはずだ。

これは舞台を日本にもってきたことの弊害だと思うが、ミステリーではないので許容範囲だとも思う。映画として悪くないと思ったけれど、多分原作のほうが出来がよさそうな気がする。

児童文学のようなので、読む機会があるかどうか分からないが、見かけたら読んでみようと考えています。

コメント (10)
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