ヌマンタの書斎

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プロレスってさ 木戸修

2014-08-05 13:29:00 | スポーツ

中学生の頃に、町道場出身のクラスメイトからいろいろと柔道技を教わった。

彼は当然に柔道部であったが、それゆえに体育の授業で柔道の時間となると、そのあまりの強さから日ごろ腕自慢の喧嘩猛者でさえ敬遠されていた。私は彼がつまらぬ弱いもの苛めをしない奴だと知っていたし、どうせなら強い奴とやって技を覚えるくらいのほうがいいと思ったので、積極的に彼と組み合った。

そのせいで、妙に気に入られてしまい、また彼がプロレスにも関心が深いこともあって、休み時間などに体育館のマットの上で、プロレスの技のかけっこなどをして遊ぶようになった。

空手やボクシングをやる連中が、プロレスを八百長だと馬鹿にするなか、彼は珍しくプロレス擁護派であった。その理由は、誰もが使えるプロレス技は、かけかた次第で恐るべき殺人技になることを知っていたからだ。

どうも町道場の先輩たちに教わったらしいのだが、彼はプロレスラーが、技と怪我をしないように技をかけていることに、ある種の敬意を抱いていたように思えた。

その彼から教わった、怖いプロレス技にボディスラムがある。ただ単に抱え上げてマットに投げ落とすだけの痛め技であり、単に次の大技へとつなぐための技でもある。それだけだと思っていた。

しかし、放課後の体育館で、高跳び用のマットの上で彼にかけてもらったボディスラムは、私に背筋が凍るような恐怖を味あわせた。背中からではなく、脳天から落とすボディスラムは、文字通り殺人が可能な威力があることが私にも分かった。

プロレスラーは、意図的に背中から投げ落とすことで、ボディスラムの威力を弱めて使っているのだとよく分かった。ただ、安全に投げるには、相当な背筋力と腕力を要する。怪我をさせずに投げるには、やはり相当な練習が必要なのだと分かった。

ちなみにアメリカのNYで絶大な人気を誇った善玉レスラーのブルーノ・サンマルチノは、悪役レスラーのスタン・ハンセンがかけそこなったボディスラムのせいで首を折り、それが結果的に引退を早めた。あのぶっとい首のサンマルチノでさえ、受け身をしくじると、首の骨が折れるのだからボディスラムは恐ろしい技である。

もっとも、柔道では背負い投げや一本背負いなどでも、落とし方次第で同様な効果があるとも教えてくれた。柔道では意図的に背中から落とすように指導しているので、その怖さが知られずにいることを、彼はひどく悔しがっていた。

あまり喧嘩が強くなかった私は、喧嘩でも使える柔道技を教えてくれと頼むと、ちょっと首を傾げ「これなら、いいかな」といいつつ、私に殴りかかれと言ってきた。

どうディフェンスするのだろうと思いつつ、軽く左ジャブを放った次の瞬間、私は肩に激痛を感じながら、床に押し倒されていた。私の左手首を掴んだ瞬間、彼は腕を支点に回り込み、梃子の要領で私を地面に押し唐オてしまったのだ。

技の名は「脇固め」。肩と肘を同時に極めてしまう関節技であり、手加減を間違えると折れる可能性も高い。寝技と思われがちだが、上手な使い手は立ったままの姿勢からでも極めてしまう。

痛ってて・・・ギムアップ、ギブアップと悲鳴を上げながら、その威力に戦慄を覚えた。この技を決めるポイントは、如何に相手の上腕部を捕まえるかであり、腕の払い方や、足運びを何度も練習した。

私は足元を見ずに崩す足払いは、けっこう得意だったが、上半身が固いのか、この技に入る手前でもたつき、覚えるのに苦労した。だが、この技は確かに実戦的で、なんどか街の喧嘩で私を救ってくれた。

この技は、見た目が地味なので、プロレスでは当時あまり使い手はいなかった。だが、新日本プロレスで関節技の鬼と呼ばれた藤原義明が使いだし、注目を集めるようになった。特にUWF勢は、この地味な関節技を上手く使っていたが、そのなかでも藤原に並ぶ使い手が、木戸修であった。

今どきの方だと女子プロゴルファーの木戸愛の父親といったほうが分かりやすいかもしれない。新日本プロレスでは古参レスラーであったが、非常に地味な選手であり、UWF以前は前座の試合でしか観たことがなかった。

顔立ちはまあまあ整った人であり、常に日焼けしたバランスのとれた体躯であり、本来ならもっと目立ってもおかしくないはずであった。にもかかわらず地味なままの前座レスラーであったのは、関節技など実戦的だが、見栄えが良くない技に固執する頑固者であったからだと思う。


当時、コアなプロレスファンの間で話題に上がっていたのは、どんな激しい試合でも乱れない木戸の髪型であった。どうもポマードでがちがちに固めていたようだ。それほど髪型に拘るほどの人が、なぜに地味な技ばかり使い、前座レスラーに甘んじているのか、それが不思議であった。

これは正味の話だが、プロレスラーは目立ちたがりが多い。自分の強さをアピールしたがる喧嘩自慢に、最も相応しい仕事がプロレスラーだ。そんな思いでプロレスラーになった人は少なくない。

では、木戸はいったい何を求めてプロレスラーになったのか。実はよく分からない、分からないが木戸がプロレスが好きで続けていたことは確かだ。強さをアピールすることに固執しなかったが、使う技は実戦的な関節技に拘った。

しかし、本気の勝負(シュートと呼ばれる)に強かった藤原ほど、勝負に固執していたようにも思えない。ただ木戸の実力は本物で、のちにトーナメント戦で優勝しているほどだ。それも地味な技ばかりで。

優勝した時は、実に嬉しそうであったが、翌日の試合からは再び地味な技を繰り返す元の木戸に戻っていた。今だから分かるが、多分木戸はプロレスをすること自体が好きだったのだろう。

あれだけ関節技を駆使しながら、誰ひとり怪我させず、あれだけの強さを持ちながら、それを他人を押しのけてまでアピールしようともしなかった。ただ、プロレスが出来て、それが毎日続けばよい。

非常に珍しいタイプのプロレス職人、それが木戸修であったと思います。

コメント (11)
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