ヌマンタの書斎

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天才数学者たちが挑んだ最大の難問 アミール・D・アクゼル

2013-04-22 11:52:00 | 

数学者になりたかったなァ。

ないものネダリだと分かっている。私には数学的センスに乏しい。あまり過去を悔いることは好きではないが、数学あるいは算数をまじめに勉強しなかったことを悔いる気持ちは、今でもかなり強い。

元来、勉強が嫌いだったわけではない。ただ、好きなもの、関心が湧いたものから勉強する癖があり、それ以外の勉強をさぼる傾向が強かった。雑学的知識欲が強かったせいで、百科事典を愛読する一方、問題を良く読み答えを模索するような勉強を避けていたように思う。

だから小学生の頃の算数の成績は良くて平均点であった。問題は中学に進学してからだ。あの頃は貧しさから高校への進学の気持ちはなく、早く社会に出て働きたい気持ちが強かった。だから勉強とか成績には関心が薄かった。

ただ、本を読むのが好きだったので、その関連で国語と歴史の成績だけは良かった。そして関心がまるでなかった英語と数学の成績はひどいものだった。アヒルの行進(2、2、2・・・)ならマシな方で、補習を受けてようやく2が貰える惨状であった。ちなみに5段階評価ではなく10段階である。そう簡単にはとれないぞ、2は。

なんせ、以下の数式が解けなかった。

 2a+5b+8a+2b=10a+7b

この数式を眺めながら、これはいったい何を示しているのだろう?と考え込み、すぐに天井を眺め始め、次に窓の方を眺めて、今日はどこに遊びに行こうかと悩み始める。先生に「もう出来たのか?」と訊かれたので、なにをですか?と訊き返して怒鳴られる。

怒鳴られて初めて数学の補習を受けていることを思い出すが、分からないものは分からない。何が分からないのかさえ分からない、典型的な落ちこぼれであった。

だから中二の冬に父の援助で高校に行けると分かり、慌てて勉強をやり始めた時の最大の難関が数学であった。英語ももちろん出来なかったが、これはとにかく何度も例文を書いて、書いて、書きまくることで暗記した。

元々の読書好きなので、英語は単語やイディオムの意味さえ分かれば、自然と覚えられた。内心「これは鉛筆ですか?」とか「これは鉛筆です」なんて会話、するわけないと思っていたが、とりあえず成績を上げるために黙って暗記した。これで偏差値は30台から半年で60台まで上昇した。

ところが困ったのが数学だった。なにせ、暗記が通用しない。だが、やるしかない。だから問題数を多量にこなした。同じ問題を出来るまで徹底的に反復練習した。やがて問題と答を暗記するくらい繰り返すと、おぼろげながら理解が追い付いてきた。

意外にも面白かった。ただ、吐き気を催すほどに反復練習したので、どうしても代数は好きになれなかったが、答えを出す爽快感は認めざるを得ない楽しみがあった。幾何学にはずいぶんと惹かれたが、集合には戸惑った。

それでも一年後には、偏差値30台の私が偏差値50台にまで成績を上げることが出来た。ただ、ここで壁にぶつかった。代数を厭う気持ちが強かったので、今一つ努力が不足していたのだと思うが、なにより後悔の念が強かった。

もし中一の頃から真面目に数学を勉強していたら・・・

何度も思わずにはいられなかったのは、数学の楽しみに気が付いていたからだ。論理的思考の末に辿り着く完成された証明の美しさを感じていたからだ。

私は気が付いていた、絶対的な勉強量が不足していることに。一夜漬けでは到底追いつけぬ場所で私が足掻いていることに。

この後悔は、高校に進学し、真面目に勉強することが当たり前になってから、更に強まることになる。特に微積分の勉強に踏み込むと、自分に知的鍛錬が不足していることを強く自覚するようになった。

知識欲が強すぎて、逆に思索を疎かにしていたことを自省せずにはいられなかった。知識を受け入れることに傾唐オすぎて、その知識を消化することにまで及ばなかったのが当時の私の限界であったと今にして分かる。

大学は経済学部と決め込んでいたので、合格の確率を上げる為に試験科目は得意科目の国語や世界史を選択したことが、殊更数学を遠ざけることとなった。おかげで大学進学後に統計学で苦労する羽目に陥る。

ちなみに税理士試験に計算はあれども、数学はない。おかげで増々数学から離れてしまった。

それでも未だ覚えている。複雑な方程式の解を出せた時の喜びや、図形を何度も書き散らして後にようやく証明できたときの喜悦。この楽しみは数学以外で味わったことはない。

同時に想像も出来る。完璧な論理による美しい答えが導かれるまでに、過酷で困難な思索と絶望的なまでの否定があることも。

その一例が、フェルマーの最終定理の証明であり、表題の本において証明しんと苦闘する数学者たちの姿が描かれている。歴史的経緯を踏まえ、20世紀の最後の最後になされた証明。

その完成には、日本人数学者の貢献が多大であったことは、この本を読んで初めて知りました。数多くの数学者の苦悩の果てに辿り着いた証明であり、その過程において、日本人が大きく役立っていたとは、他人事ながら誇らしいものです。興味がありましたら是非どうぞ。

コメント (4)
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