ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ロラックスおじさんと不思議な種

2012-10-19 14:08:00 | 映画

自然は美しいと云うが、それほど単純ではないと思う。

私が困ってしまうのは、浜離宮や桂離宮に代表されるようなよく整備された庭園をみて、自然美を称賛するのことだ。たしかに綺麗だと思うが、あれは自然を活用した造形美だと思う。あれだけ綺麗に整備された庭園の維持は、大変な手間がかかる。

更に苦々しく思うのは、ゴルフ場や牧場をみて「嗚呼、自然は素晴らしい」なんて思ってしまう人たちだ。あれは人の手が加えられ、人のために作り上げられたもので、間違っても自然本来の姿ではない。

もっといえば、田んぼや畑の光景でさえ、本来の自然とは程遠く、人間の文明が環境構築(あるいは破壊)型であることが良く分かる。

自然の力は凄まじい。人間の手が及ばぬところでは、自然は恐るべき侵略者であり、破壊者でもある。以前、放棄されたスキー場を見たことがあるが、かつては瀟洒な西欧風ロッジであった建物は、木の壁は苔とカビでボロボロであり、窓ガラスは全て割れて鳥の糞の跡から草木の芽が生えている始末だ。

アスファルトで舗装されていた駐車場は、ほんの小さなひび割れから草木の芽が伸びて、そのひび割れは次第に大きく広がっていく。コンクリートでさえ、水と草の侵食からは逃れられず、手で叩くとボロボロと崩れる。

やがて草木は人間の作ったものを全て壊し、多い尽くしてしまう。如何に人間の文明が優れていようと、最後に勝つのは自然だと思う。強烈な放射能を放ち、人を近づけないチェルノブイリの原発跡地でさえ、数百年後には草木に覆われてしまうだろう。

それでも自然は美しいと言えるのか。

実を云えば、私はそのような自然が嫌いではない。むしろ敬意と畏れさえ抱いている。人間の手が入らぬ自然は、逞しくて、図太くて、厚かましいほどでもある。人間がどれほど抗おうと、数千年単位で測れば、最後に勝つのは自然だと思う。

人間の目には荒れ果てた雑草と雑木の荒れ地でも、それが気候と地勢にあった本来の自然の姿なのだ。人間が美しいと思う造形された姿は、本来の自然とは程遠い。

だが、私の考えはおそらく少数派であり、自然を人間の嗜好に合わせ、努力してそのような姿を作り、保つことで作られた美しい庭園を自然として捉える人のほうが多いように思う。これが自然との共存だとさえ考えているようだ。

表題の映画がまさにそんな自然観が根底にあるようで、その点だけが納得できなかった。

でも、大人から子供まで楽しめる映画であることは間違いない。

3Dも不自然さは少なく、時々飛び出す映像を楽しめる。ストーリーは単純だし、伏線もない。最近ありがちの次回作を予告するような、あざとい作りもない。ミュージカルの場面は、楽しくて体が自然に動き出すような出来の良さ。

小さい子供の観客が多かったにもかかわらず、上映中むずかる子供はなく、映画館が明るくなるまで席を立つ子供もいなかった。いかに子供たちを惹きつけたか、よく分かると思う。

素直に楽しめる映画であることに異議はない。少し不満があるとしたらストーリーの底が浅いことだ。自然が元の姿を取り戻すには数十年の時間が必要だという現実を省いたらダメだと思う。それ以外は及第点だと思う。

でもなァ~、やっぱり、あの自然観には素直に同意できない。子供向け映画に対する批判としては、行き過ぎというか、過剰反応だと思うが、人間にとって都合のいい自然、人間だけが美しいと思って育てる自然。

あれは、やっぱり不自然な自然だと思うな。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする