ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

はじめての銭湯

2011-09-16 12:44:00 | 日記
早く文明のなかに戻りたかった。

大学一年の夏は、北海道は大雪山系への長期合宿であった。ちなみに大雪山という名の山はない。旭岳や黒岳、トムラウシ山などの連峰を総称して「大雪山」と呼ばれているだけだ。

二つのパーティーに分かれて、交差する形で広大な大雪山系を2週間にわたり踏破した。私のパーティーは、石狩岳から西進して、トムラウシに抜けて、旭岳へと至るルートであった。

今でも忘れられないが、人造湖である糠平湖の駅で電車は止まったが、ホームがなかった。電車から飛び降りる形で下車したのは、生まれて初めての経験だった。

その後、予め呼び寄せてあったタクシーに分乗して、林道を走りキャンプ地に着く。もはや周囲は原生林であり、ここから先は、山道と標識にしか文明の痕跡は見当たらない。

事実、翌日急な山道を登りつめ、石狩岳の山頂からの広大な展望には、登山小屋一つ見当たらす、原生林が広がるばかり。人間の生活の痕跡が無い風景が、これほど荒涼としたものだとは思わなかった。

それから一週間後、トムラウシに向かう途中で、避難小屋を見つけた時は、やっと人間の文明の一端に触れた気がして、もの凄く安堵したことを覚えている。

なにせ、ここ数日、親子連れ(とっても、危険!)のヒグマの生息域のど真ん中に居たので、粗末な避難小屋であっても、もの凄い安堵感を得られた。

大げさに思えるかもしれないが、朝起きてテントの入り口を開けたら、湯気を上げるヒグマの巨大な糞を発見していた私たちである。この巨大な糞は、ここは俺たちヒグマの領域だとの宣言に他ならない。これにはビビッタ。陽が高く上るまで、テントのなかで大人しくせざるえなかった。

その日は、足早に大雪の中心地域であるトムラウシ近くまで行き、そこでみた粗末な避難小屋に、文明のありがたみを感じたのは、決して大げさではなかったと思う。

その一週間後、旭岳の麓まで駆け下りて、ようやく長い合宿を終えた。乗れなかったロープウェイ駅のそばにたつ近代的な造りのホテルを見上げながら、ようやく文明世界へ戻ったのだと感慨を深くした。広い大浴場で2週間分の垢を流し、さっぱりして、ようやく文明人に戻れた。

その後、もう一つのパーティーと合流して打ち上げをやり、現地解散。私たち一年生は、札幌へ移動してOBの方が営む会社の寮に泊めていただくことになった。宿泊費が浮くので、たいへんありがたかった。

ただ、風呂は近くの銭湯を使うことになっていた。別に構わないのだが、同期の一人は妙に浮かれていた。お父上がオーナーの中小企業の社長息子である彼は、銭湯に行くのは生まれて初めてなのだ。これが浮かれずにいられようか。

銭湯なんぞ、子供の頃から通い慣れている私は、なに浮かれていやがるとチャチャを入れたが、当人は聞く耳持たずで、早く行こうと皆をせかす。

歩いて5分くらいのところに、その銭湯はあり、初めて入る彼は番台に感激している始末である。番台に上がるならまだしも、たかが番台でなにを騒いでいるのかと呆れた。

彼は素早く着替えると、洗い場にむかっていそいそと小走りだ。おい、滑るぞと言いかけた直後、ドンと衝撃音が響いた。

そこにはガラス戸にぶつかって、おでこを抑えてうずくまる彼の姿があった。一言フォローしておくと、彼は私同様、かなりの近眼であり、日頃はメガネを手放せない。もちろん、入浴時にはメガネははずしていた。

呆れるのもそこそこに、おい大丈夫かと声をかけると、むくっと立ち上がり、無言で洗い場に入っていった。さすがに恥ずかしかったらしい。

その様子がおかしかったので、おい、山のなかじゃないのだから、扉は当然にあるぞとからかった。当人は「まだ、大雪の山のなかにいる感覚が抜けない・・・」などと妙な言い訳をしていたのがおかしい。

なにわともあれ、初めての銭湯を満喫した彼は、入浴後着替えの場でジュースを飲み干しながら一言「腹減ったから、あとで夜食食べにいこうぜ」。

つい2時間前に腹いっぱい食べたはずなんだが・・・どうやら胃袋は野生化したままなようだ。
コメント (2)
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