笑顔に騙された。
中一の夏休みだった。部活にも入らず、さりとて塾の夏季講習にも興味がない私は、悪ガキ仲間とつるんで街をウロウロするのが日課であった。
時々、渋谷の街までうろつくことがあった。金がないので繁華街には行かず、裏通りを用心深く歩いた。似たような奴らと、さりげなく目を交わす。
ちょっと気を抜けば、たちまち喧嘩になるのは分っている。だから目のいい奴を先頭にして、いかにも強そうな、危なそうな奴らを避けて歩く。弱そうな奴らを見つけたら、囲んで「お友達」になって一緒にゲームセンターへ行く。もちろんゲーム代は「お友達」持ちだ。
一緒に遊んでいるだけだから、とくに罪悪感はない。まァ、「お友達」には別の意見もあるかもしれないが、何も言ってこないので、多分イイのだろう。
でも、その日は「お友達」は見つからず、空っぽの財布と腹ペコ感だけで、宮下公園で水をカブのみして暑さをしのいでいた。
気だるい午後の陽射しのなか、駅のほうから小柄な野朗が歩いてきた。イラついていた私たちは、カモが来たとばかりに、そいつを囲んでトイレの裏に連れ込もうとした。
黙ってうつむいていたそいつは、顔を上げると、ニコっと微笑んだ。イイ笑顔だったので、思わず気を抜いてしまった。
次の瞬間、私のお腹をなにか熱い塊りが通り抜け、膝から力が抜けて、気がついたら倒れこんでいた。唖然とする悪ガキ仲間が気がついた時には、その野朗は全力で走り去っていた。
正拳突き。
私のどてっぱらを、奴の正拳が打ち抜いたことは、後になって分った。口元に胃液の苦い味が残っているのが、ひどく不快であった。しかし、見事にやられたとの想いも強く、むしろ賛嘆の想いのほうが強かった。
少し離れていた場所から見ていた先輩が、おもむろに近づいてきて、怖い顔で「おめえら、そこに並べ」と言い放った。そして、右から順に、顔面を殴られた。
「いいか、相手をよく見極めろ。あの野朗、多分空手の色帯持ちだぞ。拳の拳ダコに気づかなかったのか?」
返す言葉もなかった。俺って喧嘩弱いなと実感せざるえなかった。それにしても、あの笑顔、いい表情だった。見事に騙された。
そう、喧嘩に強い奴は嘘が上手い。はったりや、怒鳴り声だけが武器ではない。相手を油断させることも立派な技術だった。そのうえで、格闘技の技量をもっているからこそ、余裕をもって演技ができる。そこに気がつけなかった。
以来、笑顔がイイ野朗には油断しないようにしている。プロレスラーにも同じことが言える。80年代に活躍したアドリアン・アドニスも、やはりイイ笑顔をしていた。
いささか太りすぎであったが、愛嬌のある顔立ちであり、余裕たっぷりの試合振りからも、腕っ節の強さが伺われた。格闘家というよりも、明らかに喧嘩屋であり、不良の匂いをプンプンさせていた。
私は十代の頃、新宿の京王ホテルのロビーで、両手に日本人女性のファンを抱えてにやけているアドニスを見かけたことがあります。通りがかりの外国人数人ににからかわれた途端怖い「笑顔を見せて、暴力をふるわずに相手を怯えさせて追い払った凄みにビビッたものです。
笑顔があれほど凄みを持つなんて、ちょっとビックリでした。でも、日本人女性に向かって安心さすように、ちゃらけた笑顔の変貌振りには、もっと驚かされました。
ここのロビーでは、写真をとってはいけないとの不文律があったのですが、あの場面は撮りたかった。笑顔で相手を怯えさせたアドニスは、まちがいなく喧嘩上手な野朗であったと確信しています。
ただ、案外と繊細な神経の持ち主であったらしく、精神安定のための薬物中毒とストレス性の過食に陥り30代の若さで亡くなっている。
私としては、アドニスは壮年になればプロレス界を代表する名プロレスラーになれる人材だと思っていただけに、彼の早すぎる死亡は残念でした。