なぜ演技を楽しめない。
携帯電話でのメールを警察が解析したことから発覚した今回の大相撲の八百長疑惑。子供の頃から相撲を観てきた私からすると、なにを今更の話に過ぎない。
そもそも、相撲を素人のアマチュアスポーツと混同している。古代においては神事であったかもしれないが、江戸の昔より今日に至るまで、あれは観客を楽しませることで収益を得る興行が本質だ。
断言するが、真剣勝負は観ていて楽しいとは限らない。
私はつまらない真剣勝負よりも、面白い格闘演技のほうが好きだ。演技でなにが悪い。身体を極端に鍛え上げた力人たちの演じる相撲は、いかに演技力があろうと貧弱な一般人には決して出来ない。
土俵間際で観てみれば分る。頭蓋骨と頭蓋骨がゴチン!とぶつかり合う音の衝撃は、見ているだけで、こちらの頭が痛くなりそうだ。鍛え上げた筋肉の上に、分厚い脂肪の鎧をまとうが故に可能な荒業だ。
私は髷も結べない相撲取り(入門一年程度だった)のお腹に、全力で頭突きをかましたことがある。まるでゴムに覆われた鉄板にぶつかったような衝撃で、こちらがへたり込んでしまった。
異形の怪物だと思った。そんな相撲取たちでも、月収100万以上稼げるのは十両以上だけ。幕下の相撲取たちは、薄給で我慢せざるえない。それゆえに、どの相撲取りも、十両昇進をなによりも喜ぶ。
そして、なにがなんでも十両の地位にしがみつく。当然に、そこには八百長相撲の余地がある。以前は公傷制度があったが、無気力相撲対策でなくなった為、怪我をおしてでも試合に出ざる得ない。なおさら、星のやり取りが行われる土壌となっている。
更に言うなら、取組みの数が多すぎる。年5場所もやっていたら、真剣勝負なんてリスクが高すぎる。地方巡業もあれば、トーナメント戦もある。そんなに沢山取組みを組まれたら、当然に怪我も出る。
格闘技の興行をするなら、理想は年一回。多くても年3回程度だろう。これなら真剣勝負が出来る。だがね、真剣勝負は、観ていて必ずしも楽しいとは限らない。
勝つためには、見た目がツマラナイ地味な試合をすることは珍しくない。観客を楽しませることより、自分が勝つことのみに固執すると、素人目には凡戦となるケースは多いはず。
絶対勝つための技術なんて、地味で目立たないもの。とりわけ負けない為の技術ともなると、傍目にはイライラする。実際、プロボクシングの世界では、実力はあっても人気がないボクサーが、このタイプであることは多い。
またアマチュアの格闘技だと、当然に観客の目なんて気にしないから、地味でつまらない試合ばかりだ。玄人目には、高度な技術の応酬であったとしても、格闘技に疎い素人には、その真価が分らない。
多分、本気で八百長を止めてしまうと、むしろツマラナイ取組みが増えると思う。私としては、ツマラナい取組みを見せられるより、本気の格闘演技を楽しみたい。