ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

不確実性の時代 ジョン・K・ガルブレイス

2009-01-26 12:16:18 | 
少し前にアメリカ経済学会の「のっぽさん」がお亡くなりになった。

私を経済学に導いてくれたのは、小室直樹と長谷川慶太郎だが、どちらも経済学が本業ではない。経済学者として、私に経済学の面白さを知らしめてくれたのが、表題の著者ガルブレイスだった。私は彼を「のっぽさん」と呼んでいた。

なんで「のっぽさん」かというと、2メートルを超える長身なのだ。何度も日本を訪れているが、80年代に訪日された際、私は講演会に行ったことがある。通訳の人がイマイチで、講演の内容はよく覚えていないが、突き抜けて長身であったことはよく覚えている。

ただでさえ長身なのに、その上講壇に昇っての講演だから、殊更見下ろされる感覚が強烈だった。ただし、ガルブレイスの研究の内容は、見上げるというより、下から積み重ねた実証型(専門的には甘いらしいが)のものであり、それゆえ説得力があった。

高校生の頃は当時主流であったマルクス経済学を学ぶつもりだったが、学生運動から遠ざかり、なんとはなしに疑問を感じるようになった。マルクス経済学では、高度成長の最中にあった日本経済を説明できないと思えたからだ。幸い入学した大学は、マルクス系の経済学部ではなかった。

大学の講義は、まずは基本のアダム・スミスから入り、需要と供給の曲線のグラフの勉強、すなわち市場原理の講義が中心であった。原理は分るが、これでは日本経済は説明できぬと疑問を呈すると、講師の方に当然だと言い放たれた。

そこで勧められたのがガルブレイスだった。大学時代に読んだ経済学の本で、面白いと思ったのは彼一人であった。

多分、他にもあったのだと思うが、私は大学を社会に出て働く前の休養期間だと考えていた。だから、最低限の出席と留年しない程度の勉強で済ませるつもりだった。実際、私の大学時代は、その8割がWV部での登山に充てられていた。

今にして思うと、もう少し勉強すれば良かったと後悔している。それでも、ガルブレイスを知ったことは、私に学問の世界の一端を知らしめる効果はあった。

ただ、当時の経済学部長が中曽根内閣のブレーンの一人であり、レーガノミックスの影響を強く受けた人であったため、ガルブレイスは講義の主流ではなかった。そのため、ガルブレイスの学説の一端を知るだけで終わってしまった。

仕事が一段落したら、是非とも再び大学の門を叩きたいものだ。多分、十代の頃よりずっと真剣に勉強できると思う。
コメント (4)
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