ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

宮崎被告への死刑判決で思い出した事

2006-01-18 09:44:46 | 社会・政治・一般
昭和63年から平成元年にかけて世間を騒がせた連続女児殺害事件の宮崎被告の上告が棄却され、死刑判決が確定したようです。なんとも後味の悪い事件でした。私個人も、実に不愉快な思いをした事件でもありました。

狭山湖の付近で失踪した女児の遺体の一部が見つかったのは、私が病院を退院してた数日後でした。2度目の入院は5ヶ月ほどと短く、病状が落ち着いたので再び自宅療養に切り替わっただけでしたが、それでも自宅は自由に感じられ、ホッとしていた矢先でした。

病み衰えた身体は、日焼けが抜けて色白に成り下がり、筋肉は壊れ骨に辛うじて残っている悲惨な状況でした。十代の頃の夏冬問わず日焼けして、ジーパンが履けないほど足回りに筋肉があった3年前を想うと、実に情けない身体になっていたものです。

小春日和の日差しがうららかな日中、神田上水沿いをゆっくり散歩していた時の事です。軽い疲労を感じて、公園のベンチで一休み。広場では子供たちが賑やかにボール遊びをしていました。そのボールがこちらへ転がってきて、私の足元に止まりました。ボールをとり顔を上げると、女の子が私に向かって、にこやかに微笑んでいました。まだ幼稚園の上級クラスくらいかな?

「ほら!」とボールを投げると、受け取った彼女が何か喋ろうとした瞬間でした。突然、母親とおぼしき女性が、その女の子を抱きかかえると、キッと私を睨み付け駆け去って行きました。唖然呆然。いったい何が起こったんだ?

走り去った方を見ると、母親グループが私のほうを胡散臭げに見ています。そして、子供たちを集めると、公園から去っていきました。おいおい・・・

私はすぐに連続女児失踪事件を思い出しました。なんとも嫌な気分でした。そりゃ、平日の真昼間、公園でブラブラしている顔色の悪い青年を疑わしく思う、母親たちの気持ちは判らなくもない。なにせ、まだ犯人は捕まっていませんでしたからね。当時、幼い子供を持つ親たちが、軽いパニック症状を示していることは新聞などで知っていましたが、それが我が身に降りかかるとは・・・・なんとも疎ましく、犯人に対して憎しみすら感じる一件でした。

あれから17年、ようやく判決が確定したようです。ところで、死刑反対論者の皆様方、当然宮崎被告の死刑には反対なのですよね?よもや、黙り込んだりしませんよね?

あたしゃ、早いことろ死刑を執行してもらいたいと願っています。我々の税金で、あんな人間養うなんて、あたしゃ真っ平ですね。
コメント (6)
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