ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/5)3

2022-08-16 19:50:00 | メディア
「えー、実は、ストーンズ…えー、ストーンズが、ナンと!
『ライブ アット エル・モカンボ』っていうライブ(盤)が出ておりまして…」と甲斐さん
「これ、1977年にカナダでやった…
もう、ちいーさなクラブでやった、シークレット・ギグなんですけど
それ『ラブ・ユー・ライブ』って2枚組のアルバムん中に、4曲だけ入ってたのね、これ…」

…と紹介し始められたんですが、奥さんは「ラブ・ユー・ライブ」と聴いた途端に
アンディ・ウォーフォルの例のインナー写真…
甲斐バンドの皆さんが「野獣」の12インチシングルのジャケ写で真似なさった…を思い出した模様(笑)

ともあれ…「えー、それを全面的に全部、えー、ミックスし直して…ミックス…
うーん…とにかく、ミックスし直してんだよな…
あと、もうとにかくマスタリング、全編素晴らしくて、えー、とにかく演奏が上手い!
あのー、やっぱり、あの…ちぃ…ちぃっちゃなクラブでやってるのと

あと、もう1コは、あのー、ビリー・プレスソンがキーボードで
もう、みんながグルーヴで…グルーヴを信じて
イケイケでって感じでやってるんで、是非それを、えー、聴いて下さい
『ライブ アット エル・モカンボ』ローリング・ストーンズ『クラッキン・アップ』」を流され

曲明けには…「ハイ、ということで…『クラッキン・アップ』
エル…『ライブ アット エル・モカンボ』…ねぇ?
これを…(音源)全編はもう、あるっていうのは判ってたんで、全部…
えー、でも、まさか『このタイミングで出るか!?』という…
2枚組のライブCDになってるんですけど…

まっ『クラッキン・アップ』…『正気じゃないぜ』っていうね
『あいつ、正気じゃないぜ』っていう、非常に…これはもう、あのー、あるシンガーの…
えー、レゲエシンガーの、えー、カバーですけどもね、ハイ」…と説明なさってましたが

この「ライブ アット エル・モカンボ」には、1977年3月5日に行われたライブの全曲と
3月4日のライブから3曲がボーナストラックとして追加収録されているみたいです
ちなみに、ミックスは全てボブ・クリアマウンテンの手によるものなんだとか…

続いては…「物知りな甲斐さんに質問です」という投稿
「地面に裏返しになって、もう死んでしまったかのように転がってるセミを
触ろうとしたり、近づいたりすると、突然オシッコを撒き散らしながら飛んで行く」のは
「何ですか?休憩ですか?」…といった内容に

「まあ、休憩かもね、ハイ。あの…間違って枝から落ちちゃって
えー、転がったまま、静かに死期を待っているのに
えー、人間が横から触ろうとして邪魔したりするから、えー、思わず逃げるとかね
えー、いずれにしても、静かにほっといてやればいいことなんですよ、アレは

というのは、ああいう死んだふりの体をですね
僕らは『セミリタイア』と呼んでるという、ね?(笑)
これは、昔から…僕らは高校の時から言って…これ、言ってました、これホントに…
『あいつ、死んだふりしてるよね』って…(笑)

基本的に…でも、僕、昆虫、全然詳しくないんですけど
香川(照之)くんの…あのー、Eテレの昆虫番組は、再放送含め、結構観てますけど…
もう、あんまり、ナンかこう…死にそうになってるセミを触るっていうのが
僕、あんまり、アレだったんで、ジーッと見てましたけど…」とお答えになってましたが

確かに、香川さんの「昆虫すごいぜ!」は、不定期放送のためか?たびたび再放送があるし
総合テレビでは「昆虫すごいZ!」というタイトルで、毎週日曜にレギュラー化されているし
朝の帯番組に、連ドラに、CMに、カマキリ先生までこなされる香川さん、恐るべし!です(笑)

次は「The Covers」をご覧になった方からの投稿…
「甲斐ファン歴が浅い私には大変勉強になった」と投稿者の方
甲斐さんが「カバーの名手」と紹介されていたことに疑問をお持ちだったみたいだけど

「『恋のバカンス』の歌詞の淫靡さに着目して
あえてスローなレゲエタッチにアレンジされたことや
『今宵の月のように』のメロディーをより生かしたアレンジ
原曲の良さを引き出し、楽曲にアレンジを重ねた甲斐さんの歌は
最早、カバーを超えた作品になっている」とか
「甲斐さんの卓越したプロデューサーとしての手腕を感じました」と記されているのが
もう、それが当たり前のことのように感じられていた奥さんには新鮮だったらしい(笑)

更に…甲斐さんがプロデュースなさった、中島みゆきさんのアルバム「36.5°」は
「みゆきさんの曲調を大きく変えた、1つの転換点」で
「みゆきさんのアルバムで、1番と言える作品です」…と続いていて
「良かった、良かった」と甲斐さん(笑)

「えー、まっ(Coversで)久しぶりの、あの…ギターの古川(望)くんともですね、会えて…
まっ、古川くん、プレイ最高ですからね、やっぱり…もう最高でしたね、やっぱりね」と
ビルボードツアーのMCで「新しいギターが心配だ」と発言なさったことなど
一切なかったかのように話され(笑)…って、それはまあ、古川さんの腕前云々ではなく
他の甲斐バンドのメンバーの皆さんと、あまり馴染みがおありにならない?
…という意味でのご心配だったんでしょうね?

そして…「で…(番組)プロデューサーがですね
まっ、女性の方なんですけど、本気で興奮してくれて…
ああいうのを…まあ見ると、ちょっと嬉しいですよね、ええ…
まっ、リリー(フランキー)さんも、水原…えー、希子さんもね、えー、水原希子、ハイ
良かったです…『あのこは貴族』ねぇ?水原希子、なかなかイイですが…

ただ、あの…リリーさん、ちょっと声がですね
少々、品があって、少々、ちっちゃいんですね
だから、こう…横並びになってて、意外とこう…アクリル板あるんで
離れてる以上に聞きづらい、みたいな…でも、放送観ると『あっ!なるほどね』
あのリリーさん特有の、あのヤクザな喋り口調ね、『これイイな』と思って…
なかなか番組…僕自体も、ね?あの…楽しみましたけど、ハイ」…と振り返られ

「えー、中島みゆきの『36.5°』ですか?あっ、なるほど、ありましたねぇ
ニューヨークでやりましたよ、僕、ミックス…ものすごい忙しい時に…
えー、僕のソロのヤツ(アルバム)の準備…イヤ、もう終わった直後か!?…くらいに
また行って、ニューヨークに…(それまでも)ニューヨークに行ってたのに…」

…と、おっしゃってましたが、確か当時は、甲斐バンドの解散ツアーのために
甲斐さんのソロアルバム制作は中断されていて
ツアー終了後も、そのファイナルだった武道館ライブの模様を収めた映画をお作りになるため
毎日のように、メンバーの皆さんとお会いになったりしていらしたせいで

いざ、全ての作業が終わり「さあ、ソロアルバムだ!」となった時には
「全く気持ちが切り替わらなくて、どうしたもんか?」と思っておられたトコへ
みゆきさんから、アルバムプロデュースのオファーがあったらしく
「その仕事のおかげで、またソロアルバムに集中できた」
…といった風に話されていた記事を目にしたような気が…?(笑)

それはともかく…「で、この時に、僕、あの…中島さんから、しっかり騙されてるんですけど
『私は声がだんだん出なくなってて、ナンかこの先、不安だ』みたいなことが、ガンガン相談があって…
えー、で、僕はあのー、私鉄協(同無線センター)っていう、うん…
ナンか、3社か4社入ってるタクシー会社を紹介…ちょうど引っ越してて
そのタクシー会社、紹介して貰った恩とかですね…そういうツマンナイ恩なんですよ

で、そういう、ナンかちょっと切ない話を聞かされて…
ああいうのはですね、もう、あのー、持ってった人が、えー、一番得ですから
えー、まっ、持って行かれたって感じなんですけど、それでもう(プロデュースを)やったと…
にも関わらず、ムチャムチャ健在ですよね、あの声
ムチャムチャ相変わらず、まだ太いっていうですね
ヤられちゃったか…という感じですけど…」と明かされてましたが

みゆきさんご自身は、この「36.5°」をリリースなさった頃のことを
「ご乱心の時代」と呼んでおられるみたいで
それは、以前に甲斐さんが「歌の作り手側から言わして貰えば
中島みゆきの『ひとり上手』って曲、あんまり好きじゃなかったのね

もちろん『みゆき節』っていうのは評価してるし、いいんだけどさ
この曲、出た時は、ナンかこう…『また、この路線か』みたいな感じがあったわけ
…と、おっしゃっていたことが、どこかで、その「みゆき節」を取っ払って
全く違う路線のアルバムにしてみよう的なお考えに結びつかれたのかなあと…?
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/5)2

2022-08-15 15:39:00 | メディア
続いて、朝ドラ「とと姉ちゃん」をご覧になってから
「暮らしの手帖」の愛読者になられた方からの投稿を読まれ
「ハイ『とと姉ちゃん』ありましたね」と甲斐さん

「あっ、そうです、ハイ、あれ(とと姉ちゃん)は『暮らしの手帖』の編集者…
『暮らしの手帖』作った、えー、人の話でしたもんね、ハイ」とか
その「暮らしの手帖」の中に…「『私の好きな音楽オールタイムベストテン』っていう…
まっ、そういう見開き2ページの、ね?あのー、ページがあるんですけど…」と説明

その「著名人が自分の好きな曲を紹介するというコーナー」で
17号・18号と2号続けて甲斐さんの曲が紹介されていたらしく
17号の「好きなカバー曲10曲」とのテーマでは、江國香織さんが「恋のバカンス」を紹介なさって
「この人が歌うと、こんなに色っぽくなるのか」と書かれ
この曲が入ったアルバム(翼あるもの)を「甲斐よしひろのセンスと技術を堪能できます」と絶賛

18号は「和と洋のセンチな10曲」というテーマで
みうらじゅんさんが、甲斐バンドの「光と影」について
「聴いてみたら染みるんですよ…『恋には光と影がある』みたいな歌詞に
まだ大した恋愛もしていなかった僕は、この世には自分の知らない歌が沢山あるんだなあと
恋の予習をしたような気がしました」と記されていた…といった内容に

「これ、あのー『暮らしの手帖』は、2ヶ月に1回…2ヶ月に1回出るんですよね、ハイ
で、その江國さんが紹介してくれてるっていうんで…
江國さんが僕に『書きました』って言って教えてくれたんで
17号買ったんですよ、江國さん(のベストテンが)載ってる…

で、17号買った(買いに行って下さった?)人間がですね
そのまんま流れで、次(18号)も買って来てくれて…まあ有難いことに…
ということで、僕、じゅう…えー、8号も実は見てます、ハイ」と明かされ

「えー、まあ、これ…みうらじゅんがですね
えー『光と影』…意外だなと、すごい思ったんですけど
えー『和のセンチな曲』5曲、えー『洋のセンチな曲』5曲っていうことで、計10曲になるんですけど

あのー、その時の、その洋楽のヤツ(5曲を)見てると
『あっ!みうらじゅんはプログレ好きなんだ』と思って…そのプログレ好きの感じが…
好みが、このまんま、この『光と影』に…曲に反映されてるっていう感じでしたね、ハイ

あのー、洋の…あのーセンチな5曲の中に
クリムゾンの『ムーンチャイルド』とか入ってるのね
で、これ『光と影』はね、非常にクリムゾンから影響されて…(笑)
曲自体はそうじゃないんだけど…曲自体は、僕、アマチュアん時、書いたんで…

えー、それにアレンジする時に、非常にプログレっぽい…
露骨にその味つけをしたというのがあるんで、えー、そういうナンかこう…
やっぱり、みうらじゅんのその時の好みが、このまんま『光と影』にね
『好きですよ』っていうのが出てたと思います」と分析なさってましたが

我が家で「みうらじゅん」さんと言えば…
「広告代理店が手がける様々な仕事を1人で全部やる『一人電通』」となられたきっかけが
美大時代に「昨日まで酒を飲んで、甘い夢を語っていた奴等が
急にスーツを着て会社を回り始め、当然、不安になり、2社だけ面接を受けた」ことで
その1社が、かつて甲斐バンドが所属されていた「シンコーミュージック」だった
…というエピソードが、一番に思い浮かびます(笑)

その面接の時に、ご自身の漫画が掲載された雑誌をお見せになったら
面接官に「漫画家として頑張って下さい」と言われ(苦笑)
次に面接をお受けになったサンリオでは「当時『牛』がマイブームだったので
『牛のキャラクターグッズを出したい』と言ったら
『それは自分でして下さい』と…」返され(苦笑)

「『どこか受け入れてくれる会社があるかも?』という
甘い夢をハッキリと打ち砕いて頂いた」とみうらさん
「就職試験って『似合わない格好でも生きて行けますか?』って
問われてるんだなって、つくづく思いました」と振り返っておられました

ちなみに…みうらさんが、そう話されていたお相手…編集者で写真家の都築響一さんが…
「好きなことをして、お金になればいいと思いがちだけど
好きなことはお金にしたくない人もいるんですよ

好きなことを飯の種に出来れば幸運だろうが、金稼ぎは不安定なもので
やがてその『好き』も濁って来るかも知れない
でも、仕事をただの手段とするのもやるせない
いずれにせよ、好きなことだけして大金持ちはあり得ない」…とおっしゃると

みうらさんは「実は、自分の好きなことで仕事になっていることは、ほぼないです
頼んで来たクライアントや読者が喜ぶことをやって来ました
自分の好きなことは、10の内1にして、9は膨らませています」とお応えになっているんだけど

ボクは「チャートに入るロック」を目指されたミュージシャンの方が
一方で「売れ線を狙ってコケたら、目も当てられないから」と
世間に迎合するような作品だけは書くまいと、自らを律していらしたことを思い出しました

それはさておき…「まっ、僕、19歳の頃ですね
もう、とにかく大森さんと…(後の甲斐バンドの)リードギターの大森さんと俺は
もう、クリムゾンとサンタナばっかり聴いてたんで、1年間…
えー、もう延々そこで、研究とかっていうより…でも、好きでね、好きで延々聴いてた

えー、特に、クリムゾン1stと2枚目と…えー、キング・クリムゾンね
それから、サンタナ3rd…サンタナ3rdはもう…
サンタナは、3rdはもうプログレですから、ハッキリ言って…
えー、素晴らしいなあと…えー、思っておりました、ハイ

ということでね、まあ…まあ、ナンかこう…こういう感じで
『暮らしの手帖』で、2号続けて、あのー、ピックアップして貰えると
ホント、ナンか嬉しいなあという感じがしますね、ハイ」と話されてましたが

その「光と影」は、甲斐さんが「ジェレミー」という映画をご覧になって
その感動のあまり、1日足らずの内に書き上げられた歌詞に
大森さんがメロディーをおつけになったそうで

リリース当時、甲斐さんご自身が…「シンプルで、とても気に入ってます
甲斐バンドの作品では、詞と曲が珍しく(笑)
ピッタリ合っている傑作だと思ってます」…とコメントなさっていた曲で
「7月になると、やっぱり大森さんのこと思い出すのかなあ?」と奥さん

甲斐さんが、旅行代理店をお辞めになり「照和」に戻られ
プロのミュージシャンになろうと決心なさったのを機に、ご実家を出られて
妙安寺ファミリーバンドの皆さんの「合宿所」に居候なさっていた頃
大森さんがお住まいになっていたアパートに、よく訪ねて行かれてたらしく
「きっと、その当時の話だよねぇ…」と遠い目

そのアパートのことは、ボクも何かの資料で読んだ覚えが…?
そうそう!確か、長岡さんも同じアパートにお住まいで
甲斐さんは「じっくり曲を聴きたい時は、大森さんの部屋
思いきり騒ぎたい気分の時は、長岡の部屋に行ってた(笑)」と
その目的によって、訪問先を選んでいらしたんですよね?(笑)
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甲斐よしひろ BEAT HARDWORK(8/5)1

2022-08-14 18:45:00 | メディア
今回は「放送日延期のため」メール募集の〆切が延長されたらしく
「えっ!?じゃあ、8月の1週目はお休み?」と思いきや、フツーにオンエアされていて(笑)
…ということは、収録日が延期になったのか?ってトコで
「えー、収録している今日は、8月の2日…ですね」と甲斐さん(笑)

「えー、まあ、日本は世界一になったと…感染(者)数…
えー、トンでもないことになってるんですけど
それに合わせて、岸田(内閣)、えー、支持率も…えー、12.2%…
えー、2ポイント下がるというですね…えー、僕と…僕が知り合いというか
(『バイキング』でご一緒されたことのある?)有馬(晴海)さんが…政治評論家の…
『ひょっとすると(支持率が)30%台まで落ち込む可能性があるんじゃないか?』と…

まっ、要するに、その…色んなポイントで、パッパッパッパッと飛びつき…
良い意味で飛びついて、やってくれるのはいいんだけど、考え方に1本…
『こういう考え方なんですよ』っていうのが、ハッキリしないからなんですね、たぶんね
まっ、それは元々、判ってたんだけど、でも、フットワーク悪いより、えー『良い方が良くね?』っていう…
その…菅さんが、あまりにもフットワークひど過ぎたんで…そういうの、あったんですけども

ちょっとずつ、この辺でね、えー、その…ナンかこう…
1本スジの通った考え方が見えないっていうか、そういうことなんですかね?」
…と話されてましたが、コロナ禍とその中での経済対策に、何も効果的な手が打てない上に
安倍元首相の事件から吹き出した、自民党と旧統一教会との関係もうやむやのまま
莫大な税金をかけて国葬を行おうとしていることに
不信感を募らせていらっしゃる方が多いんじゃないかと…?(汗)

数々の容疑がかかっていた事件に関して、きちんと法的処分を受けていたら
…って、平たく言えば、罪を認めて刑に服していたら、狙われることもなかっただろうに…
といったご意見も少なからずありましたし…(汗)

それはともかく…「僕、あのー、実は、えー、薄ーくカラーリングやったりとか
薄ーくパーマをやったりとか、してるんですけど、それは家でやるんですよ
ウチの、えー、中庭っていうか、そういう所のスペースでやったりするんですけど

2ヶ月くらい前に、えー、ちょっと…カラーリングの、その…まっ、薬品というか
そういうの『ちょっと変えていいですか?』みたいな…2~3ヶ月前か?えー、あって
『いいよ』って言って、それは大丈夫だったんですよ

そうしたら、えー、1ヶ月前に、今度…えー、いわゆるパーマの薬が更に、あの…
まっ、もちろん、それは、何…どっから来てるかと言うと、(薬品を)変えるの…
髪の質に対して『優しいですよ』とか、えー、そういう風なことから
そうやって、どんどん…えー、薬品が変わって行くんですけど…
全部、そういうことのためなんですけども…

えー、その…えー、パーマの薬品も、ちょっとナカナカ肌とか髪の毛に良いんで
『ちょっと変えたいと思ってるんで…優しいんで…』みたいな…
っていう風にして、まっ、やったんですけど
僕、これ…それがですね、今、えー、僕、28日経ってるんですけど

フツー、だいたいパーマかけて、1週間か10日やると、だいたい落ち着くんですよ
で、まっ、しとっとなって来るんですけど
にじゅう…もう、かけて1週間経って、10日経って、2週間経っても
ナンか、ちょっと暴発気味なのね、ずっと…

で、ナンかこう…ナンて言うかな?こう…
髪の毛がイチイチ立ってること以上に、バサバサした感じに…ほいで、こう…暴発気味なんで
で、今、28日後になってるんですけど、これが
ホンのちょっと落ち着いたくらいで、ほとんど変わらない

『これはヤバイね』って言って、ちょっと…さっき、ウチのマネージャーに
『ちょっと撮って!撮って!』って言って…
『正面と斜めから撮って!』みたいな感じで、それをちょっと…画像を送って
『やっぱり、元に…ちょっと戻した方がいいんじゃないかな?』みたいな感じなんですけど

まっ、そんなことよりも何よりも、その…『落ち着かねぇな!』って
ムース色々やっても『落ち着かねぇな!』って時に
僕の周り…家族が『今度(の髪型は)すごい、結構イイよね』って言って
全く意見が噛み合わないっていう…(笑)
家族は褒める、俺は気になる…っていう、ナンか、そういうのありつつね
えー、ちょっと…まっ、日々を送っております、ハイ」

…と、奥さんが「その暴発ヘア、ちょっと見てみたい(笑)」と食いついた話題も披露され
インターバルを挟んだあと、いきなりイントロが流れ始める中
「『LEGENDS 甲斐よしひろ BEAT HARDWORK』まずは1曲目!
これは…『FLASH BACK』ね?2枚組のベストより、KAIFIVE『激愛』」…をかけられ
参議院選挙に関する投稿へ…

投票率が52%と低かったことを意外に思われた投稿者の方
投票率を上げるため、隣の市のショッピングモールには、期日前投票所が設置されていたらしく
そのショッピングモールの館内放送で「選挙コーナーからお知らせです」という
アナウンスが流れた際に「投票所開設の案内だろう」と思っていらしたら
「『お刺身がどーのこーの』という言葉が耳に入って」来られ
「よくよく聴いてみたら『選挙コーナー』ではなく『鮮魚コーナー』からのお知らせ」で(笑)

「ショッピングモールで投票できるのは便利かも知れない」が
「投票率アップに繋がるかどうかはビミョー」
「投票所を増やし、アナウンスするだけでなく
投票の方法そのものを変えて行く必要があるのかも?」…といった内容のあとに
「尚、買い物においては、館内放送の効果は大きく」
お刺身をお買い求めになったと記されてました(笑)

甲斐さんは「なるほどね、ハイハイ、上手い『選挙』と『鮮魚』ね、ハイ
上手い上手い、これはナカナカ気づかない、ハイ」と、まずはダジャレに触れられ(笑)
「あの…『投票方法そのもの』っていうのは結局ね、あともう、やるとしたら
えー、ネットを上手く使いつつ…っていうことしか、もうないから…

そうすると、もうね、アメリカのように…まあ、そうすると…
それで、ネットで、えー、かなり全面的にやったりとか、色々あると
えー、不正だとか、票が盗まれたなどという話に、またなって行くんで、ね?
えー、この辺がまた、難しい問題だよね、ハイ、ええ…」と話されてましたが

確かに、トランプ前大統領が、あちらこちらの州の投票結果に
「不正だ!」「インチキだ!」とイチャモンをつけまくり
集計をやり直させるってことがあったし(汗)
それこそ、某教会の「組織票」を誰に何票とか分配しやすくなるような気が…?

何より、ネット投票が実施されても、高齢者の方には、ワクチン接種の予約騒ぎみたいに
かえって不便に感じられるんじゃないかと…?
それよりも、自宅まで投票用紙を回収しに回ってくれるようなシステムとか
「投票したいのに投票所に行けない」という方々のための方法があるといいなあと…

ともあれ…最後は「結局、お刺身買ったんかい!?…っていうことですけど、ハイ」と甲斐さん(笑)
ツッコミどころは、外さない方なんですね?(笑)
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1970年女/昭和45年女 Vol.8(7月29日発売号)2

2022-08-13 15:12:00 | メディア
続いて、長尾さんは「甲斐さんが先陣を切ってきた
今、都庁が建っている所で野外ライブ『THE BIG GIG』(83年)もやって…」
…と、甲斐バンド伝説の野外ライブに触れられ

甲斐さんが「あの時、すでに3万人集めてるんだよね
あんなこと、普通はできないし、よくやったよね
僕、インフラがない所を選んで、ライブをやってたから…」と返されると

「観に行くのが大変だった」とおっしゃって
「新宿は近いじゃない(笑)」という甲斐さんの言葉に
「あの頃の新宿西口は何もなかったから」とお応えになってましたが

中井貴一さんが、ご自身のツイッターに
「1974(昭和48)年に上空から撮影された新宿副都心」の写真をアップされ
「新宿三井ビル、国際通信センタービル(現KDDIビル)が建設中
新宿住友ビルが完成間近なことから、74年の冬に撮影された写真と推測されます」
…と呟かれてますので「何もなかった」ことはないんじゃないかと?(笑)

ちなみに、同じく中井さんがアップされていた…
「1970年(昭和45年)西新宿で撮影された写真」には
「荒涼たる風景の中に京王プラザホテルがポツンと建って」いて
こちらは、ホントに「何もない」感がスゴイです(笑)

甲斐さんがよく口になさっていたという『60年代のシッポ』の仲間でいらした
井出情児さんは…「ジャケット撮影のため、甲斐さんに新宿西口中央公園に来て貰った時
『あそこでコンサートが出来たらいいね』と話してたんだけど
それが、BIGGIGとして実現したことは、未だに忘れることの出来ない大きな事件ですね」

…と明かされているんですが、石田衣良さんも
新宿副都心の高層ビル街に心惹かれたお一人らしく…というか
村上龍さんの「コインロッカー・ベイビーズ」の舞台として
紀行ドキュメンタリー番組の中で「西新宿」を取り上げられ

「薬島は毒物汚染地域である。薬島のすぐ脇に超高層ビルが13本建っている
鉄条網に切り取られた菱形の街」という描写について
「作者がどこまでこの場所のことを考えてたか判りませんけど、ホントにドンピシャで
緩やかな坂と更地と超高層ビルという画が揃ってますからね」と紹介なさっていて
実際は、村上さんが「西新宿」に触発されてお書きになったのかも知れませんが…?

ともあれ…「でも、そこでインフラのノウハウやデータを出して
それが、他のアーティストが野外ライブをする時にも生きている
甲斐さんが作った田んぼや畑に、後に続いた人たちが種を蒔いているんです」と長尾さん
甲斐さんは「そんなに持ち上げなくてもいいでしょ(笑)」と返されてますが

当時の日本ではまだ導入されてなかった
ブロック制や、それに基づく規制退場、仮設トイレの設置
また、用意しておくべき飲み物の量や、2万人以上の人間が出すゴミが
4トントラック4往復分になる…といったデータは、大いに参考となったでしょうし

…って、中島みゆきさんは、両国国技館を使用されるにあたって
こけら落としをなさった甲斐さんに「どうだった?」と問い合わせて来られたんですよね?
まあ、甲斐さんは、予定していた場所に照明機材を設置出来ず
代わりに照明用の櫓を組んだために、収容人数を削減せざるを得なかったことではなく

「リハーサル中に誰も中へ入れるな」という言いつけを守ったバイト君が
当時の春日野理事長の入場を拒み「ノコッタノコッタ」ならぬ
「オコッタオコッタ」になったことをお伝えになり(笑)
「バイト君に気をつければ大丈夫(笑)」とおっしゃったみたいだけど…(笑)

「THE BIG GIG AGAIN」を開催される際には、すでに都庁が建っていたため
当然「都有5号地(ZONE)」は影も形もなくなっていて
代わりに日比谷野外音楽堂で行われた訳ですが
その時に甲斐さんが「当時の映像や写真には歴史的な価値が出て来る」とおっしゃったのを
前述の「中井さんがアップなさった写真」を拝見して、ふいに思い出した次第です(笑)

余談ですが…その「THE BIG GIG AGAIN」開催のきっかけをお作りになった
ディスクガレージの上島正昭さんは、KAIFIVEから甲斐さんの担当になられたそうで
その時、一番に思われたのは「ああ、これでもう甲斐さんのライブを
初めから終わりまで見ることは出来ないんだ」ということだったらしく(笑)
特に、担当として初めて手がけられた武道館ライブは
「やはり客席で観たいライブでした」とおっしゃってました

また「仕事の相手としての甲斐さんの一番の特徴は『数字に強いこと』
お金のことにしても、非常にオープンで話しやすい
アーティストらしく浮世離れはしてるんだけど
キチッと現実に戻って、またイッちゃう人だから(笑)話しててホントに面白い」と評されてますが
甲斐さんは、各BOXセットの音源にしても、ライブ映像にしても
膨大な数を保管なさっているみたいですし
「文化は経済力(笑)」とおっしゃってますもんね?(笑)

それはさておき…甲斐さんから「思うんだけど
長尾さんって、色んな切り口を出して来るじゃないですか」と振られて
長尾さんは「甲斐さんには新しいことをやらせてみたくなるんだよね
何か仕掛けて、こっちを向いてもらおうと思って…」と返され

甲斐さんの「テレビでもラジオでも、手を替え品を替え出して来るよね(笑)
で、僕は毎回『やらない』って言ってるんだけど…」という言葉に
「その度に違うことを考えようとしてはいます(笑)」とお応えになると

「ミュージシャンをのせるって大事なことだなと思いますよ
もちろん、そこにある種の誠実さや人間のつき合いが出来るかどうかが入っては来る
それでずっとつき合いが出来ているから大したもんだと思います」と甲斐さん

以前に「頼まれると『イヤ』って言えないんで…(笑)」とおっしゃっていたのは
長尾さんのような「のせ上手」な方を思い浮かべていらしたのかなあと…?(笑)

その長尾さんが「こっちも甲斐バンドで何かやりたいと思った時
『これなら甲斐さんも面白いと思ってくれるんじゃないか』という案を当てるんですよね
そうすると案の定、反応がある」と明かされると

甲斐さんも「今日の収録でも、全く思い出したことがなかったことがフッと出て来たしね」と
アマチュア時代に、能古島でご覧になった野外ライブに触れられていて
やはり、甲斐さんの「やる気スイッチ」の押し方を心得ていらっしゃるんじゃないかと…?(笑)

そして、最後は…「今年はソロワーク35周年イヤーとして、秋に向けて着々と企画を進めているし
甲斐バンドもあと2年で50周年。僕は『表現』って伝えることだと思ってるんで
色んな意味で、いつでも歌える準備はしておきたいですね」…という
甲斐さんの言葉で結ばれてますが、その辺りでも長尾さんの「仕掛け」がありそうですね?(笑)

余談ですが…この見開き2ページの対談の他に
「歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M」の放送告知と
「長尾Pが証言!甲斐バンドの魅力と好きな曲」という欄があり
前者は「やらされてる」感満載の?(笑)甲斐さんが、スタジオのテーブル前に立たれ
DJ KOOさんと廣瀬アナと共に、両手をピストル型になさって
その手をカメラへ差し出すポーズで写っておられる写真が添えられ

後者の「FAVORITE1」には「ヒットチャートを意識」として…
「甲斐バンドは学生の頃から聴いているけど、必ず受け入れられる曲を書くんですよ
『ダニーボーイに耳をふさいで』を最初に聴いた時は『やられたなあ』と思って…
ファンじゃなくても受け入れられるってすごいと思うし
そういうところに甲斐さんの商才があるのかな」…と記され

「FAVORITE2」は「先陣を切るアイデア」として…
「甲斐さんは、野外ライブなんかで新しいスタイルを切り拓いてきた人
何もないところから開拓して、それをお手本にしていけばいいっていう
ミュージシャンがたくさん出てきたの
本当の意味で、甲斐さんは日本のミュージックビジネスのパイオニアだと思うんだよね」

…とおっしゃっていて、それぞれの「FAVORITE」に
「ダニーボーイに耳をふさいで」と「ビューティフル・エネルギー」のジャケ写が添えられてますが
奥さんは「全国のイベンターやホール関係者に、オールスタンディングを了承させたことも
もっとプッシュして欲しいなあ…」と申しておりました(笑)
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1970年女/昭和45年女 Vol.8(7月29日発売号)1

2022-08-11 19:30:00 | メディア
こちらは、以前にご紹介した「昭和40年男」の女性版というか姉妹誌みたいです
「昭和40年男」では、甲斐バンドが取り上げられたり、甲斐さんが表紙を飾られたり
また、本編に掲載されていない号でも、甲斐バンド愛あふれる(笑)北村明広編集長が
編集後記やブログなどで、たびたび甲斐バンドに触れておられるんですが

この「昭和45年女」では、先月末に甲斐さんが出演なさった
「歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M」の番組プロデューサーでいらっしゃる
長尾賢治さんの連載ページ「語ろう!J-POP」の第5回に甲斐さんがご登場ということで

その長尾さんのツイッターのプロフィールを拝見すると…「40年以上の音楽番組制作
拓郎さんや浜田(省吾)さん、ラルク、ゆず、MISIA…etc
色んなアーティストのNHK初の番組を手掛けましたが、定年退職しました
今はフリーで番組を企画して制作しています
『歌える!J-POP』の3シリーズ ぜひ応援お願いします!」と記されていて
甲斐さんのビルボードツアー横浜公演にお見えになっていたことも呟かれてました

更に「語ろう!J-POP」のプロフィール欄にも…
「昭和31年生まれ。NHKエンタープライズプロデューサー
『ポップジャム』(1993~2003年)や『新・真夜中の王国』(98~03年)など
NHKの音楽番組を数多く手がける」…と紹介されているんだけど

何よりも、この連載ページのトップ「futuring甲斐よしひろ」との文字の隣に記された
「39年前の伝説の野外ライブも目撃、甲斐よしひろさんを長年リスペクトしている長尾P
対談では、長尾Pの切り込みに甲斐さんが苦笑する場面もありつつ
信頼し合う2人だからこそのエピソードが飛び出しました」という一文に
北村編集長に勝るとも劣らない「熱」を感じながら(笑)読み始めると…

「1974年に甲斐バンドとしてデビュー
今年、ソロワーク35周年を迎える甲斐よしひろさん
『歌える!J-POP』収録後の対談は、長尾Pのストレートな物言いに甲斐さんが苦笑する場面も
それも、長いつき合いと信頼関係あってこそ!
番組でもVTRが流れる『甲斐バンド伝説』に迫る」という書き出しに続く

長尾さんの「僕がまだ大分の高校生だった頃、甲斐バンドの『バス通り』を聴いて
すごいシンプルな曲で、すげぇバンドだなって思った」との言葉に
甲斐さんが「長尾さんとは仕事を通しての知り合いですけど
アカデミックな仕事じゃないと、やっていて楽しくないし

そうじゃない仕事のつき合いだと段々フェードアウトしていくわけ
そんな中で、今もつき合いが続いているっていうのは
お互いにいい仕事をしているってことだから」と返されると
「お世話になった甲斐バンドをもっとみんなに知ってほしいと思ってるんですよ」と長尾さん

「甲斐さんがすごいなって思うのは、たとえば、28歳の頃からずっとジムに行ってるでしょ
僕は甲斐さんを見てて、ミュージシャンってそれが当たり前だと思っていたし
それをやっていなかった人たちは辞めていっちゃうのかも…
そういうことを番組を通して伝えたい、とかね」とおっしゃってますが

確かに、ライブ本数を数多くこなされているミュージシャンの方々は
皆さん、そのための体力作りをなさってるようですし
年齢を重ねられれば、尚更その必要に迫られると思うんだけど
甲斐さんの場合は、まだまだ「若さ」と「勢い」で乗り切る方が多かったであろう(笑)
20代から、もうすでに身体づくりをなさっていたことがスゴイなあと…

まあ、奥さんは「甲斐さんを見てて当たり前だと思っていたこと」が
当たり前じゃないと思い知ったライブを何本か経験しているらしく
「あの時はガッカリしたなあ…」と遠い目をしておりましたが…(笑)

もっとも、当の甲斐さんは「音楽のジャンルによっても違ってきますよ
僕は肉体を使って歌わなきゃいけない方向にいるから、自ずとそういうモチベーションでやるし
オーディエンスに対してもそういうアピールをしている
基本的に、僕の頭の中では作品にそなえて役者が身体を鍛えてるイメージなんです
そういうことを浮かべながらやってきている」

…とお応えになってましたけど、ステージのためというのはもちろん
「夕方に美味しいビールを飲むため(笑)」という「ご褒美」的な要素も含めながら(笑)
「健康のためなら死ねる(笑)」とおっしゃるくらい(笑)
食生活にも気を遣っていらっしゃるんですよね?

それはともかく…長尾さんが「今日の番組収録で、甲斐さんがおっしゃっていたけど
常にヒットチャートを意識しているっていうのが、カッコいいと思うんだよね
なかには『どうしてこんな曲出すの?』って思っちゃう人もいるから」とブッ込まれ(笑)
「誰かの名前を出して、僕を巻き込まないでよ(笑)」と甲斐さん(笑)

でも「チャートを考えた上で受け入れられない曲はやらない
結果、それが、ファンもそうじゃない人たちも
甲斐バンドを受け入れたと思うんだよね」という長尾さんの言葉には
「小学、中学、高校とか、10代ってチャートにいないと判らないもんね、自分もそうだったから
ビッグヒットはなくても、少なくともチャートにインしてるかどうかは
とても大事なことだと思ってるんです」と返され

更に、長尾さんが「甲斐さんって、ビジネス感覚も優れているんですよ
商法を考えてはみても、なかなか結果にならない人もいるでしょ
(『やめなさいって(笑)』と甲斐さん(笑))
そういう意味では、ロックをやって、ライブが出来て
歌声も衰えない最高齢は、甲斐よしひろだと思うんですよ」とおっしゃると

「まだ、ロックに市民権がないところからやってきたから
市民権を獲得するためにチャートに送り込んでいくという考えが、最初からあったんですよね
どれだけ浸透していけば、どれだけマーケットを動かせるか?ということなんだけど…
だから、色んな切り口を見せながら、バンドをビッグにしていくという思いは
最初から持ってました」と話されてましたが

歌謡曲全盛だった当時…つまり「歌番組」が華やかなりし頃に
早々とテレビ出演から撤退なさって、ライブ中心の活動に切り替えられた上で
なおかつチャートインを目指されるというのは、並々ならぬ覚悟が必要というか
ご自身が「歌いたい」と思われる内容で、しかもチャートインがかなう曲をお書きになることは元より

「職業作家」の方々がお書きになった「売れ線」の曲を「いかにヒットさせるか?」と
プロダクションやレコード会社の皆さんが戦略を立てられ
チャートを賑わせていらっしゃる中に、食い込むために
ラジオ局や有線放送所を回られたり、レコード店でキャンペーンを打たれたり
いわゆる「草の根」的な活動によって「甲斐バンド」の名前と
その「楽曲」を世に知らしめて行かれた訳で
有線放送大賞新人賞を受賞なさったというのは
まさに甲斐バンドらしいと言えるんじゃないかと…?

ちなみに、1996年の甲斐バンド再結成時には…
「今、最大公約数と最小公倍数と、どちらも携えて球を放つ人は、そんなに多くないと思うんですよ
やっぱり、表現というのは、いつも最大公約数と最小公倍数を頭に入れて
どれだけバックスウィングを大きく取って投げ下ろすか?な訳だから

僕の中では、最大公約数というのは『時代の流行り』と捉えていて
最小公倍数は、僕が本来持っている自分のサムシングエルスというか…
甲斐バンドっていうのは、流行りものの中で
どう立ち向かうか?ということも大事なんだけど
それ以上に大事なのは、それが時代の中で全くそぐわないというなら
単なるマスターベーションだからダメなんだけど

甲斐バンドの表現というのは、非常に普遍的なところがあると思う
普遍的なものを、ここに来てもう一度ぶつけても全然問題ないというか
びくともしないという感じがする」…と、おっしゃっていて
やはり、単にヒットを狙うだけでなく、その後もずっと聴き手の中に残る曲を
お書きになって来たからこそのお言葉なんだなあと…
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