ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

1970年女/昭和45年女 Vol.8(7月29日発売号)2

2022-08-13 15:12:00 | メディア
続いて、長尾さんは「甲斐さんが先陣を切ってきた
今、都庁が建っている所で野外ライブ『THE BIG GIG』(83年)もやって…」
…と、甲斐バンド伝説の野外ライブに触れられ

甲斐さんが「あの時、すでに3万人集めてるんだよね
あんなこと、普通はできないし、よくやったよね
僕、インフラがない所を選んで、ライブをやってたから…」と返されると

「観に行くのが大変だった」とおっしゃって
「新宿は近いじゃない(笑)」という甲斐さんの言葉に
「あの頃の新宿西口は何もなかったから」とお応えになってましたが

中井貴一さんが、ご自身のツイッターに
「1974(昭和48)年に上空から撮影された新宿副都心」の写真をアップされ
「新宿三井ビル、国際通信センタービル(現KDDIビル)が建設中
新宿住友ビルが完成間近なことから、74年の冬に撮影された写真と推測されます」
…と呟かれてますので「何もなかった」ことはないんじゃないかと?(笑)

ちなみに、同じく中井さんがアップされていた…
「1970年(昭和45年)西新宿で撮影された写真」には
「荒涼たる風景の中に京王プラザホテルがポツンと建って」いて
こちらは、ホントに「何もない」感がスゴイです(笑)

甲斐さんがよく口になさっていたという『60年代のシッポ』の仲間でいらした
井出情児さんは…「ジャケット撮影のため、甲斐さんに新宿西口中央公園に来て貰った時
『あそこでコンサートが出来たらいいね』と話してたんだけど
それが、BIGGIGとして実現したことは、未だに忘れることの出来ない大きな事件ですね」

…と明かされているんですが、石田衣良さんも
新宿副都心の高層ビル街に心惹かれたお一人らしく…というか
村上龍さんの「コインロッカー・ベイビーズ」の舞台として
紀行ドキュメンタリー番組の中で「西新宿」を取り上げられ

「薬島は毒物汚染地域である。薬島のすぐ脇に超高層ビルが13本建っている
鉄条網に切り取られた菱形の街」という描写について
「作者がどこまでこの場所のことを考えてたか判りませんけど、ホントにドンピシャで
緩やかな坂と更地と超高層ビルという画が揃ってますからね」と紹介なさっていて
実際は、村上さんが「西新宿」に触発されてお書きになったのかも知れませんが…?

ともあれ…「でも、そこでインフラのノウハウやデータを出して
それが、他のアーティストが野外ライブをする時にも生きている
甲斐さんが作った田んぼや畑に、後に続いた人たちが種を蒔いているんです」と長尾さん
甲斐さんは「そんなに持ち上げなくてもいいでしょ(笑)」と返されてますが

当時の日本ではまだ導入されてなかった
ブロック制や、それに基づく規制退場、仮設トイレの設置
また、用意しておくべき飲み物の量や、2万人以上の人間が出すゴミが
4トントラック4往復分になる…といったデータは、大いに参考となったでしょうし

…って、中島みゆきさんは、両国国技館を使用されるにあたって
こけら落としをなさった甲斐さんに「どうだった?」と問い合わせて来られたんですよね?
まあ、甲斐さんは、予定していた場所に照明機材を設置出来ず
代わりに照明用の櫓を組んだために、収容人数を削減せざるを得なかったことではなく

「リハーサル中に誰も中へ入れるな」という言いつけを守ったバイト君が
当時の春日野理事長の入場を拒み「ノコッタノコッタ」ならぬ
「オコッタオコッタ」になったことをお伝えになり(笑)
「バイト君に気をつければ大丈夫(笑)」とおっしゃったみたいだけど…(笑)

「THE BIG GIG AGAIN」を開催される際には、すでに都庁が建っていたため
当然「都有5号地(ZONE)」は影も形もなくなっていて
代わりに日比谷野外音楽堂で行われた訳ですが
その時に甲斐さんが「当時の映像や写真には歴史的な価値が出て来る」とおっしゃったのを
前述の「中井さんがアップなさった写真」を拝見して、ふいに思い出した次第です(笑)

余談ですが…その「THE BIG GIG AGAIN」開催のきっかけをお作りになった
ディスクガレージの上島正昭さんは、KAIFIVEから甲斐さんの担当になられたそうで
その時、一番に思われたのは「ああ、これでもう甲斐さんのライブを
初めから終わりまで見ることは出来ないんだ」ということだったらしく(笑)
特に、担当として初めて手がけられた武道館ライブは
「やはり客席で観たいライブでした」とおっしゃってました

また「仕事の相手としての甲斐さんの一番の特徴は『数字に強いこと』
お金のことにしても、非常にオープンで話しやすい
アーティストらしく浮世離れはしてるんだけど
キチッと現実に戻って、またイッちゃう人だから(笑)話しててホントに面白い」と評されてますが
甲斐さんは、各BOXセットの音源にしても、ライブ映像にしても
膨大な数を保管なさっているみたいですし
「文化は経済力(笑)」とおっしゃってますもんね?(笑)

それはさておき…甲斐さんから「思うんだけど
長尾さんって、色んな切り口を出して来るじゃないですか」と振られて
長尾さんは「甲斐さんには新しいことをやらせてみたくなるんだよね
何か仕掛けて、こっちを向いてもらおうと思って…」と返され

甲斐さんの「テレビでもラジオでも、手を替え品を替え出して来るよね(笑)
で、僕は毎回『やらない』って言ってるんだけど…」という言葉に
「その度に違うことを考えようとしてはいます(笑)」とお応えになると

「ミュージシャンをのせるって大事なことだなと思いますよ
もちろん、そこにある種の誠実さや人間のつき合いが出来るかどうかが入っては来る
それでずっとつき合いが出来ているから大したもんだと思います」と甲斐さん

以前に「頼まれると『イヤ』って言えないんで…(笑)」とおっしゃっていたのは
長尾さんのような「のせ上手」な方を思い浮かべていらしたのかなあと…?(笑)

その長尾さんが「こっちも甲斐バンドで何かやりたいと思った時
『これなら甲斐さんも面白いと思ってくれるんじゃないか』という案を当てるんですよね
そうすると案の定、反応がある」と明かされると

甲斐さんも「今日の収録でも、全く思い出したことがなかったことがフッと出て来たしね」と
アマチュア時代に、能古島でご覧になった野外ライブに触れられていて
やはり、甲斐さんの「やる気スイッチ」の押し方を心得ていらっしゃるんじゃないかと…?(笑)

そして、最後は…「今年はソロワーク35周年イヤーとして、秋に向けて着々と企画を進めているし
甲斐バンドもあと2年で50周年。僕は『表現』って伝えることだと思ってるんで
色んな意味で、いつでも歌える準備はしておきたいですね」…という
甲斐さんの言葉で結ばれてますが、その辺りでも長尾さんの「仕掛け」がありそうですね?(笑)

余談ですが…この見開き2ページの対談の他に
「歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M」の放送告知と
「長尾Pが証言!甲斐バンドの魅力と好きな曲」という欄があり
前者は「やらされてる」感満載の?(笑)甲斐さんが、スタジオのテーブル前に立たれ
DJ KOOさんと廣瀬アナと共に、両手をピストル型になさって
その手をカメラへ差し出すポーズで写っておられる写真が添えられ

後者の「FAVORITE1」には「ヒットチャートを意識」として…
「甲斐バンドは学生の頃から聴いているけど、必ず受け入れられる曲を書くんですよ
『ダニーボーイに耳をふさいで』を最初に聴いた時は『やられたなあ』と思って…
ファンじゃなくても受け入れられるってすごいと思うし
そういうところに甲斐さんの商才があるのかな」…と記され

「FAVORITE2」は「先陣を切るアイデア」として…
「甲斐さんは、野外ライブなんかで新しいスタイルを切り拓いてきた人
何もないところから開拓して、それをお手本にしていけばいいっていう
ミュージシャンがたくさん出てきたの
本当の意味で、甲斐さんは日本のミュージックビジネスのパイオニアだと思うんだよね」

…とおっしゃっていて、それぞれの「FAVORITE」に
「ダニーボーイに耳をふさいで」と「ビューティフル・エネルギー」のジャケ写が添えられてますが
奥さんは「全国のイベンターやホール関係者に、オールスタンディングを了承させたことも
もっとプッシュして欲しいなあ…」と申しておりました(笑)
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